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March 31, 2005

偉大な主人だけに仕える

20050330_2234_000ちくま新書の今月の新刊「靖国問題」(高橋哲哉)を読んでいる。
立ち読みをしているとき、ふと、
「無惨というべきだろう。当時の日本の基督教はここに至って、「神社非宗教」すなわち「祭教分離」の狡知に完全にはまってしまったと言わざるをえない。」
の一文が目に止まってしまったのが運のつき。
戦時中の日本の基督教「無惨」さに一章を割いている。あ~ぁ。例によって、卑怯者NIKKOU、ぐっと目を閉じて偽りの平和の中に逃げてしまいたいところです。

3月30日のヒルティは、
「われわれも、巨人クリストフォルスのように、この地上の最も偉大な主人にだけ仕えようと硬く決心しなければならない。」という。(岩波文庫版:草間・大和訳。以下同)
でもそれが、
「物質的進歩と享楽」であるか、「祖国とその代表者」か、「教会」か、それとも「神とキリスト」か…
それは、あなたが決めること、とちょっと皮肉っぽい。
(訳注によると、巨人クリストフォルスとはカトリックの聖人で、この世の最大の主人を求めているとき、幼児の姿をしたキリストを、それとしらずに背負って川を渡してやり、その途中に川の水で洗礼を受けて彼に従った、という伝承の人物とのこと)

戦時中の日本人クリスチャンは、神様という偉大な主人にだけ仕えようとせず、軍国主義という主人の二人に仕えたから過った、などと口で言うはたやすい。
この本の第一章で、かの時代の、靖国崇拝に対する感傷的な言葉をいくつか引用されただけでもうすでに、わがかよわい信仰は、不安の波にさらわれそうになる。
おおきな時代の波がうねりをもって、私をさらおうとしたとき、私は主イエス・キリストだけに仕えつづけることができるだろうか。
だからこそ、眼をそらさず、今一度、歴史を学ぶ勇気を、神様私におあたえください。

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March 30, 2005

家の教会

20030907_1112_000

イースターの日曜、
友人にともなわれて、「家の教会」に行った。

「家の教会」とは、文字通り、ちいさな家庭の教会で、毎週ささやかな礼拝が持たれている。
農家の納屋を改築したという木の香りのする家は、周囲を一面の田畑につつまれ、
そこここに農作業をする人のかがみこむ姿が見えた。

おっとりとした若いご夫婦と、わが友と、私。
4人がそれぞれ、こたつの四方に座り、祈りとともに礼拝をはじめる。
牧師も、オルガンもない。
けれども、ちいさな部屋に賛美と感謝の歌があふれ、4人の前には神様の言葉を取り次いでくれる聖書が置かれている。

賛美の歌を歌ったあと、
ご主人が、おおきな大学ノートを取り出した。
そこには、びっしりと彼の聖書の学びがしるされているのが見えた。
誠実に、そして必死に主をもとめる様子がにじんでいた。

4人で「コリント人への手紙第一」から第15章を輪読する。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。 キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、 また聖書に従って三日目によみがえられたこと、 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(新改訳 3~5節)

同時に「ガラテヤ人への手紙」を引きつつ、「罪」とはどのようなことか、ご主人が説明した。

「もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。しかし聖書は逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。」(21節後半~22節)

「罪の下に閉じ込める」とは高い囲いの中に囚われている状態のこと。
神様は、イエスの命という代価を払って囲いからひとりひとり出して、自由にしてくださった。

実は、私は長い間、「イエスキリストの復活」を信じられずにいた。
あまりにも非現実的。だからクリスチャンはわけがわからない、と思っていた。
しかし、ある日、イエスはすっと手を伸べて「いい加減、立ち上がれ。これからは問い続けて生きていこう」と私に呼びかけた。
その言葉の力強さに、「主が我がうちに生きておられる」というクリスチャンの常套句がすとん、と胸におちた。
「聖書(ここでは旧約に書かれた「律法」のことだと思う)は逆に、罪の下に閉じ込める」というパウロの指摘の的確なこと。
そう、「律法」(ルール)は、私に罪を教え、正しく生きることを促すけれど、
守れないとき、それはやがて自責の念を生み、
他人をも責め立てる鞭とも化す。
そのジレンマをあざやかに抜け出したのが、イエスキリストの命のあがないであり、復活だった。
…あなたが罪深いのは百も承知、その身代わりに私が死のう、そして、ともによみがえろう。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。「ガラテヤ人への手紙2章20節」

自責の念からも、人を裁くことからも自由に。
「W.W.J.D.」(What Wold JESUS Do? イエス様ならどうする?)と常に問いつつ、求めつつ進みたい、と願う。

礼拝のあと、ご夫婦の8歳の男の子S君を含め、5人で山へドライブをする。
山腹の牧場で、早春の空に両手を広げ、飛行機のように飛ぶまねをするS君。
S君を高く抱き上げ、くるくると回る我が友。
ぶどうの枝に連なった、主にある小さな家族の春の聖日。

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March 27, 2005

どのように通り抜けたのだろう

3月26日『眠られぬ夜のために』

「私の生涯において、まるで夢遊病者と同じ様子であったことが数限りなくあった。危険に対して眼が開かれていたら、決して歩こうとしないような危険きわまる小道を、あたかも見えざる手に導かれたように、知らぬ間に通り抜けたのである。」(岩波文庫:草間・大和訳)

私の好きなゴスペルの一節に似たような歌詞がある。
「How got I over? Trouble is over.I just wonder how got I over」
(どのようにして乗り越えたのだろう。トラブルは過ぎ去った。ただ、私はどのようにして乗り越えたのか不思議だ)

今の部署に異動した当初、実は何度かパニックに陥った。
私の手元に回ってきたゲラ(印刷物)は、いったいいかなる経緯を経たものなのか、
あと何回赤字を入れていいものなのか、
そもそも、一体全体、何者がこの原稿を書いているのだ!?(おいおい・・・)

人手不足のなか、急遽補充された人事異動だったので、丁寧に手順を踏んでいる余裕がなかったのだろう。
前任者からの仕事はすべて途中から。
経験の浅い私には何がなにやらさっぱりわからなかったのである。

パニックになるたび、非常階段の踊り場で祈った。
--あたらしい職場を与えてくださったこと、感謝します。だけど、神様、私はいったいどうしたらいいのでしょうか。
ご覧のとおり、私はこんなにも不器用です・・・。

そんなあるとき、ふいに、背後から声をかけられた。
「大丈夫!? 寒くない?」
振り返ると、同じ部署の先輩が泣き笑いの表情でわたしを見ていた。
仕事のつらさに、新人が泣いているとでも思ったのだろうか。
つい照れ笑いでごまかし、先輩がそのまま階段を駆け下りてゆくのを待って
ふたたび祈った。
--だれもが忙しくて、大変なときだけど、それでも、わたしはずいぶん気遣われています。
神様、感謝します、どうぞこの編集部ひとりひとりの体調をお守りください。

別に、こうしてさぼっていたわけじゃありません。
やがて頭がさえてくると、ふたたび机に戻って、仕事に取りかかることができた。
本当です。

今ふりかえると、何とも未熟な技術で、よくもまあ乗り切ったものだ、と思う。
主と語り合う非常階段が、もうろうとした頭を冷やす最適の場所だった。
そして、「大丈夫!?」と聞いた先輩の表情は、今でも妙に鮮明に覚えている。

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March 26, 2005

いつわりの平和とまことの平和

今宵、ヒルティは『タウラー説教集』から一篇の詩を引く。

「主よ、これからもわたしに耳を傾けて下さるなら、
もはや平和をあなたに願いません。
安らぎに心をだまされてはならない、
願うのは、ただ勇者の力が与えられることだけです。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

旧約聖書の預言者エレミヤのようである。
堕落し、滅ぼされようとする祖国に対し、敢然と滅びの預言を伝えつづけたエレミヤ。
まだ若かったし、そんな役回りなど、本当は怖くて、不安で仕方がなかったのに。

では、「それって、人として、どーなのよ」と思うような場面に遭遇したとき、
私NIKKOUはどうしているか。
正直に言います。


  黙る。


臆病者ですから、ええ。(開き直り)

自分さえ、加担しなければいいや、と思ってひっそりと黙り込む。
ドン引きされて、座がしらけるのもいやだし。

そういえば、先日のウィメンズカンファレンスでのこと、
ある女の子が立ち上がって、こんな話をした。
「自分は、容姿や体型のことで、よく周囲からからかわれる。(たしかに、ちょっとふっくらした子でした。)
本当はいやなのだけれど、盛りさがると悪いので、からかった相手に、さらなるからかいの言葉を返したりしてやりすごしてきた。しかし、クリスチャンになって以来、人を傷つける言葉を投げつけることを、ためらってしまう。私が言い返さないので、周囲はしらけてしまう。どうしたらいいのだろう。」

うー・・・ん、若いころはあるよなあ、そういうコミュニケーション。
まあアケスケに言ってみるなら、「でぶぅー!」「なんだよぉ、出っ歯ー!」みたいなのですね。(ちょっと幼すぎ?)
10代くらいの仲良しグループ(と周囲から見られる)女の子同士でよくやってる。
ある程度社会人生活を重ねると、そんな「突っ込みあい」コミュニケーションは減るんだけどね。

それに対する講師の答えは以下のようなものだった。
「あなたをからかったり、それを見て楽しんだりする人々全員の前で、あなたの正義を主張する必要はない。
ひとりひとりと向き合って、食事やお茶をしながら、自分は傷ついているし、人を傷つけたくもない、ということを伝えていくことだ。」
そして、彼女のクリスチャンとしての生きかたを通して、周囲が変えられてゆくことを祈った。

座をしらけさせたくない、でも正義を主張したい、という場面というのは、
人とかかわりあう中で、何度も出会うことだ。
そのためには、地道に、かつ毅然として戦う。
まあ、わかるけど、なかなか、ね。タイミングも見計らわなきゃいけないし、友達失っちゃうかもしれないし。
がんばれヨ。

大人になると、なにごともナアナアで切り抜けようとする。
まさに「いつわりの平和」の世界だ。
本当の本当に、正直に言うと、私は「いつわりの平和」のほうが楽。
目をつぶってやり過ごしたいことばかり。
されど、まことの平和の戦いに出てゆく勇気を、
ああ、神様、こんな私にどうぞお与えください。

「地上では敵陣のさなかにあって
つらい仕事でのいくさをさせてください。
天上の救われた人々の家に行ってから、
私は平和の椰子(しゅろ)の枝をかざしたい。」
(岩波文庫:草間・大和訳)


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March 24, 2005

アメリカのクリスチャンに聞けばよかった

イラク戦争以降、日本人クリスチャンはいろんなところで、多かれ少なかれいや~な目にあってきたんじゃないかと思う。

「一神教徒は狭量だ」「クリスチャンは傲慢だ」
「キリスト教徒は、自分の信じる宗教と異なる宗教を信じるものは人間とも思っていないので、殺してもかまわないと思っている。」
そして、「多神教の文化をもつ日本は包容力があってすばらしい。」うんぬん。

その手の意見は、全国紙の新聞でも、全国ネットのテレビでも、ベストセラーになった新書のなかでも吹聴されたし、
私自身、職場でもゴスペルを歌うスタジオにおいてでさえも、
そっと、そうささやかれるのを耳にした。

イラクでボランティアが拘束されたとき、世界中で一番「包容力」のない反応をしたのは、
その多神教徒・日本人だったのにね。

いや、しかし、そういわせるものが、たしかに「キリスト教徒」たちを政治基盤とするというブッシュ大統領の行動にはあった、ということなのだ。

私はいちクリスチャンとして、「神の名のもとの戦争」というのはありえないだろう、と思っている。
クリスチャンの主、イエス・キリストは、自ら命をかけて、無抵抗・非暴力の戦いを示したのだから。

イラク戦争の背景には、金と権力の複雑な絡み合いがあって、
それを支持するアメリカの教会員のひとりひとりは、軍隊にいくしか生活の途がない低所得者だから、
彼らに反戦を訴えるのはむずかしい、
本当に非難されるべきは、戦争を金儲けの具にしている一部の人たちなのだ…などといった表向きの解説はもういい。
実際のところはどうなのだろう。

先日書いた、ウイメンズカンファレンスの講師たちは、アメリカからの来客だった。
今にして思えば、一言聞いてみればよかった。
教会の見解や、アメリカ国民としての義務はひとまずおいといて、
いま、あなた個人は、イラク戦争について、どう思いますか、と。

意地悪で聞くんじゃない。
ごく素朴、かつ率直に聞きたい。
たとえそのとき、彼女達が、
戦争を肯定しても、否定しても、いや、もし沈黙してしまったとしても、
学ぶことはあるだろう。
生身の人間の声から、わたしはものを考えてゆきたい、と思うのだ。

今回は「女性の生き方」を学ぶセミナーだったから、そぐわない質問として、退けられただろうか。
カンファレンス・スタッフの姉妹たち、もし今度機会が与えられたら、
NIKKOUはそう、たずねてみたいのですが……。

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March 23, 2005

すばらしい境地

3月23日『眠られぬ夜のために』

「もはやいかなる我意も享楽も念頭にないということは、思いもかけぬすばらしい境地である。」(岩波文庫:草間・大和訳)

このとき、怒りは消え失せ、すべての人と心が通い合い、自分の欠点さえもさらりとなくなってしまう…という。

何度も言うが、よっぽどヒルティは素敵なお爺様だったのでしょうね。
今の私に、そんな境地など、とおいとおい。

先日紹介した、『死んだらどうなるの?』の著者、玄侑宗久さんに、
カトリックのシスター鈴木秀子さんとの対談集がある。
そのなかに、そのような「境地」に至っていたのではないか、という人達が出てくる。
鈴木さんが修道院に入るきっかけになったという、聖心会のシスターたちである。
戦前戦中、戦後に至るまで、「敵国」日本にいても一貫して態度が変わらなかったというアメリカ人やイギリス人のシスターたち。
そして、玄侑さんには、山田無文というお坊さんがそうだった。
静かに禅を組んで、若かりしころの玄侑さんが「食って掛かった」のを静かに受け止めたという山田無文。

どんなに熱心に神や聖書の話をしても、愛がなければやかましいドラやシンバルと同じ、
と、ミもフタもないことを言ったのは2千年前のギリシャ人パウロという人だけど、
今でも時々ドラやシンバルがあちこちでジャカジャカと鳴ってうんざりする。

…いや、人のこと、いえません。
私もある人に言われました。
「君は、ときどき『論破してやる~』という意気込みで迫ってくるので、怖い」と。
そして、「『だって、神様はいるんだもん』と駄々をこねるな、態度でしめせ」とも。

おっしゃるとおりです。
きっと私のなかで、「キリスト教を信じる自分の正当性」を主張しようとするエゴが大きくなってしまっていたのでしょうね。
愛が、つまり、あなたへの思いやりがありませんでした。
自分を誇示するつもりなど、さらさらないんですが、もしまたむくむくとそんな傲慢さが頭をもたげてきたら、
どうぞ遠慮なく教えてくださいませ。

シンバルをばんばかじゃかじゃか打ち鳴らす前に、まずは静かにふるまいを正して、神様の前に謙虚でありたい、と
…心がけます。ハイ。

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俗耳に入りやすい形で

3月22日付けの「眠られぬ夜のために」はふたつの段落に分かれている。

前半は、人生の過程にいるわたしには、まだ理解できない。
「社会的水準よりほんのわずか抜きん出た者」は、生きている間には幸福を得ることができるだろうが、
死後、「彼らの受くべき報酬はすでになくなっている」というのである。

たしかにイエスは、
「富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。」(ルカ6章24節)と言った。
でも、わたしはまだ死んでいないので、
「ああ、そうそう、そうなのよねー」という具体例が思い浮かばない。
具体例といわずとも、どなたか生活のなかで、このヒルティのことばが実感できる、という方がいらしたら、
シェアしてください。

さて、後半は、私にもよくわかる。
要約すると、こういうことだ。

聖書の話、イエスの言葉など、「偉大な善き思想」について、だれもが、一応は
「いいこと言うな~」と思うものだ。
しかし、時々ぴんとこないこともある。
そういうときに、ひとびとはその思想を分かりやすいことばに置き換えて理解しようとする。
もしその「善き思想」が、曲げられず、「本分」が守られていれば、ひとびとは、ついには、理解できるはず。
ただし、そのように「俗耳に入りやすい形で」噛み砕いて話すということは、神様の恵みがないとできない。
自分の考えだけで行動するような人間にはできない仕事だ。

…ということでいいのかな。

このヒルティの忠告で思い出すのが、
わが愛するゴスペルのディレクター(指揮者)たちである。
彼らは、クリスチャンの少ないこの日本で、キリスト教の信仰に基づいた歌を歌い、指揮していかなければならない。
クワイアーのメンバーたちが、ぴんとこないな~という顔をしていることなど、しょっちゅうだろう。
そうした中、「本分」から逸れないよう、しかし、理解されるよう、知恵を振り絞らなきゃいけない。
大変な仕事だと思う。
でも、だからこそ、大切な仕事だと思う。
(ああ、だから、神様、彼らを守って導いてください。)


先日、ある大学病院で行われたゴスペルの練習に参加させてもらったのだが、
なぜか、とても奇妙な感じがした。
ディレクターが、なんだか、とてもひっかかる話し方をするのである。
歌の解説をするにしても、歌を指揮するにしても。
どうやら、それは、病院側から、ミッション系ではないので「宗教色を出さないで」と依頼されたせいだったらしい。
かわいそうに、彼女はとても苦しかっただろうと思う。
だって、ゴスペルから「神」を抜くなんて、どうしても無理だもの。
おかげで、なにに感謝しているのか、なんで喜んでいるのか、さっぱりワケがわからないのである。
そして結局、ただただ、テンションが高いだけの歌を大勢で歌う、という奇妙な状況が生まれてしまっていた。
なにより、歌がとてもかわいそうだった。

「宗教色」なんか出さなくても、ゴスペルの「本分」を伝えることはできるんじゃないか、と思う。
この歌を作った人を尊重する、という立場で解説をする、というのはどうだろう。
たとえば、
「この歌を作った人は、神様を信じていて、神様が自分を愛している、ということを信じていて、だからうれしい、という気持ちを歌にしたんですね」
と、いうふうに、
つまり、「事実」だけ、伝える。
あとは、もう、押し付けない。歌う人たちの心に任せる。

「俗耳に入りやすい形」にする、ということはとても大切だけど、
一番大切なことから離れてしまうのは、歌も、そして歌うひとたちにとっても、とても不幸だと思うよ。

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手話賛美に行ってきました

念願かなって、本日とうとう、行ってまいりました、手話賛美。

小岩栄光キリストろう教会
http://www.koiwa.com/index-j.html

女性ばかり7人、教会の食堂で、ちいさくやっておりました。
うち、ろうあの方はおひとりだけでした。
まず最初に、みんなでお祈り。
なんと、目を開けてお祈りをしました。
ひとりが手話をもって、ひとりひとりの心や身体が整えられることを願い、
集まることができたことを感謝し、
これからの賛美のひとときを神様が祝福してくださるよう祈り、
それをみつめながら、ひとりひとりの手話が、「アーメン」と応えるのです。

そうか、神様はお祈りを「見て」いる…いや、いかなる形であっても、その「ことば」を捉える方なんだ、とこのとき発見しましたね。祈りのことばが、日本語であろうが英語であろうが、タガログ語であろうが、手話であろうが手旗信号であろうが(?)、そう、声にならない声、ことばにならないことばであっても、きっと汲み取るんですね。
だから、わたしたちは安心して祈ることができるんだ、と知りました。

賛美は、当然伴奏なし。
手話がまるで踊るように賛美を描きます。
声に出さなくても伝わるからでしょうか、
歌声はなぜか、ささやき声でした。

これから月一回、通って手話賛美を学んでいく予定。
あたらしい賛美の武器を与えてくださった神様に感謝です。

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March 22, 2005

嫉妬か報いられぬ愛のためか

今夜、ウィメンズ・カンファレンス・コンサートを聴きに、新大久保の東京中央教会に行ってきた。
http://www.church.ne.jp/women_stand/japan/index.htm

ウィメンズ・カンファレンスというのは、
女性に限定した聖書講義と、ゴスペルのワークショップが行われる期間限定のセミナーである。
カンファレンスの最終日にコンサートが開かれる。

今回は私は聖書講義だけ出席した。
ゴスペルのほうは、観客に回って、楽しんできた。
聖書講義の内容については、まだ考えがまとまらないのでまた改めることにしたい。

コンサートは、とても楽しかった。
美しい声で神様をたたえる歌を聴くのはとても気持ちがいいし、
もし、自分に同じようなたまものがあったら、どんなにいいだろう、と思いながら、
歌詞を追い、メロディに耳を傾けていると、だんだん、自分がそのシンガーになって神様に語りかけているような気持ちになる。
ゴスペルの醍醐味である。
一番印象に残ったのは「いのちの泉」という歌であった。

「あなたを見ることができるように、わたしの心の目を開いてください。
あなたが見えなくて祈れないとき、かたくななこの心、砕いてください。」

祈りの歌だ、と思った。
そう祈ることが、私にもある。
祈ることは、私にとっては、生き難いこの世を生き抜いてゆくための「武器」である。

以前、ある人から、
「私のことを祈るな。」といわれた。
「あなたを、私のことで煩わせるとおもうだけで嫌なのだ。」と。

今日のヒルティいわく、
「われわれが人生において人の憎しみをうけるとき、その大部分は、相手の嫉妬か、報いられなかった愛のためである。」

ヒルティは、どんな「憎しみ」を受けたのだろう。
わが信仰の先輩、ヒルティは、こういう。
「それでも、主のがわに立つ利益は、そのための損失よりもはるかに大きい。」

祈るな、などと、誰も私に命じることはできない。
祈るな、というのは、
「あなたの親しいあの人と、あなたは話をするな」というのとおんなじことだ。

あなたの憎しみをもってしても、わたしが「祈る」ということは、とどめられない。
むしろ、あなたとのことを、「祈れなく」なったときこそ、わたしは祈らなくてはならないと思う。
主よ、わたしの心を砕いてください。
道を示してください。

このいさかいを乗り越えて、あなたと新たな関係を持つことができることを、
わたしは信じている。
そして、神様は、その方法を知っている。

わたしは、人間より神を信頼する。
人間の力では、どうしたって、乗り越えられないことってあるよ。

だから、あなたのことを祈っている。
希望をもって。
あなたのために、そして、わたしのために。

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March 21, 2005

怒りや憎しみ

ヒルティが「眠られぬ夜のために」の第一部を出版したときは、68歳。
すでに、人生を振り返る時期だったのだろう。
今夜、ヒルティは断言している。
「私はこれまでに生涯に、怒りや憎しみを抱きつづけることはできなかった。」(岩波文庫:草間・大和訳)

…ほんまかいな。
あたしゃ、始終ぷんぷんしておるがな。

しかもそのうち、そういう感情は「突然取り去られた」り、「抱くこともなくな」ったそうです。
うらやましい。わたしも早く、そんな穏やかなおばあちゃんになりたいものです。

ヒルティは今日は詩篇62篇を示している。
「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは動揺しない。」(6節7節)

「暴力に依存するな。
搾取をむなしく誇るな。
力が力を生むことに心を奪われるな」(11節)
(『新共同訳 聖書』)

クリスチャンを標榜するブッシュさんに読んであげたいですねー。

人間が怒りや憎しみに突き動かされて行動しても正しく判断ができるとは限らないので、
あなたはじっと黙っていて、判断は全部神様にまかせなさい、というのは、
旧約時代から新約聖書にいたるまで、多くの人たちが薦めてきた生きかたである。

恥ずかしいことをひとつ告白。
かつてある男性に、ものすごーく腹をたてたことがある。
幾度かメールのやりとりをしたことのある人だったのだけど、
あるとき、友人たちと共有しているホームページの掲示板に、
私あてにいかにも親密な様子の書き込みをされた。
好意を受けていたのだと思う。
でも、そのとき私は、すさまじい怒りを抱いてしまって、彼に暴言をたたきつけた。
また、彼を知る仲のいいゴスペル仲間の女友達に、そのことをメールし、彼女とその男性をあげつらっているうちに、
怒りが増幅されて、すさまじい炎となって、二人してめらめら、もくもく…となってしまった。
その間二人で取り交わしたメールの内容は…、もう人に見せられるようなものじゃないです。

そんなさなか、突然、私たちのゴスペル関係のメーリングリストに、
一通のメールが投げ込まれたのである。
ゴスペル仲間のひとりが、聖書の勉強会にいって聞いてきた話をシェアする、というメールだった。
そのメールには、こう書いていた。

「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。
だれでも、聞くに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
人の怒りは神の義を実現しないからです。」(ヤコブの手紙1章19節・20節)

あまりのタイミングのよさに、
「まるで神様にいままでのやりとりを見られていたみたいじゃない?」と彼女にメールをすると、
「うん、気持ち悪いね。」と返信。
(あまり敬虔な会話じゃないですね。はは。)

しかも、そのメールには、怒りを処理するためには、「神の前で権利を放棄しなさい」と書いてあった。
なんだか奇妙な言い回しである。
私には、「なんのこっちゃ?」であった。
ところが、当時クリスチャンではなかった彼女が、さくっと理解して、私にこう解説してくれたのである。

「たぶん、それぞれが『自分の怒りは正当だ』って主張するのは、愚かしいってことだと思う。
彼も自分の立場を弁明するじゃない、あれ、すごい見苦しいもの。
でも、私たちも神様には同じに見えているんだと思う。
まー、そうは言っても、それぞれにもっともな主張があるとも思うのね。
結局それを判断できるのは、
全員の立場をぜーんぶ理解できる存在…うーん、まあキリスト教でいう『神』だけだってことだと思う。
私はもう、あとは神様にお任せして、ゴスペル歌ったり、おいしいもの食べたりして忘れることにするよ。」

私も結局彼女(と神様)の忠告に従うことにしたのだけど、
その男性に吐いた暴言は、もう取り戻せないでしょうね。
申し訳ないことをしました。

ちなみに、見事にみことばを解き明かしてくれた彼女は、
その一年半後には、イエス様に従って生きることを告白したのでした。
めでたしめでたし。

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March 19, 2005

「ある種の世界的倫理観や哲学」について

4480687033.09.LZZZZZZZ昨日付けのヒルティ「眠られぬ夜のために」は、仏教やイスラム教などの「世界的倫理観や哲学」についてキリスト教との比較が述べられている。
ヒルティ自身の文化的時代的背景によるものなのだろうけれど、
あまり理解ある書き方じゃないなあ、と思った。
とはいえ、私のほうが理解している、といえるような事項でもないのだけど。
でも、仏教のことについて、ちょっと書いてみたい。

7年前、大切な人を事故で失った。
その日、急に世界から色が抜け落ちた。
モノクロ映画の中で生きているみたい。
ああ、これが「色即是空」か、と思った。
若くて健康だった人が、突然消えうせるなんて。

文学部だったから、一応「仏教概論」等の授業は受けていて、そのおぼろげな知識で、
なんとなーくの感覚だけど、むかしの日本人に共感したのだった。

最近、玄侑宗久「死んだらどうなるの」(ちくまプリマーブックス)を読んだ。
玄侑さんは、禅宗のお坊さんで、芥川賞作家である。
この本のなかで、良寛の歌が紹介されている。

「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉

 つまり自然のなかに広がった我々のからだのエレメントは、しばらくするとまた新しい命の材料としてつかわれていくだろう。春の花にも、夏山で啼くほととぎすにも、あるいは秋に綺麗に紅葉する葉っぱのなかにだって、私は居るぞ。それ以外にとりたてて形見を残すこともあるまい。」(「死んだらどうなるの」玄侑宗久)


死んだ身体が焼かれて煙になったり、土になったりして、
やがてそれが植物や動物や、いずれはまた人間の身体の一部になってゆく、
その分子の一粒一粒に自分がいる、と考えてもいいじゃないか、ということだろうと思う。
こうした考え方というのは、昔の日本人にとって、「信ずるもの」「宗教」というよりは、
見たまま感じたままの実感だったんだと思う。

大切な人を失ったとき、大学時代の同級生に無理やり引きずられて、教会に行った。
新宿にある大きな教会だった。
そこで旧約聖書にある「ヨブ記」の話を聞いた。

(「ヨブ記」というのは、ヨブというおじさんが、10人もの子供も財産も健康も一気に失って、
それでも神様を信じる、といったり、神様にうらみごとを訴えたりするお話で、
文学的にはこの世の不条理を現した話として、わりと評価が高かったりする。
でも、信仰的にはよく分からない話である。)

なんて気の毒な人がいたものだろう、と思った。
そして、なんと残酷な神だろう、と思った。
牧師の話のオチも、とってつけたようで、ひどかった。
そのうえ、同級生は、私に信仰を迫った。
キリスト教もクリスチャンもきらいだ、と思った。

そのとき圧倒的になぐさめになった考え方は日本の仏教だったといえる。
少なくとも、自分のおかれた状況を理解する手助けにはなった。
なるほど、すべてはむなしい。「諸行無常」だ、って。

イエスに出会ったのはそれから3年後である。
「求めなさい、そうすれば与えられます」という彼のせりふは、
わたしには、「あきらめないで、あなたの命はむなしくないよ、その意味はきっとあるよ」
と聞こえた。
びっくりした。
「ああ、意味を問うてもいいんだ。答えはあるんだ」と思った。
ぼんやりしていた世界が、またくっきり見えるようになった。
だから私は仏教徒ではなく、クリスチャンになった。

キリスト教と他の宗教は簡単に比較できない気がする。
それもまた、私にとっては
「求めなさい」といわれる課題のひとつだと思っている。

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March 17, 2005

自由な人


さきほど、フジテレビのバラエティ番組「アンビリーバボー」で、
北田康広さんという全盲のピアニストを取り上げていた。

幼い時に視力を失った北田さんは、
音楽的な才能が優れていたということで、独学でピアノを学び、
高校生のときには音楽家を夢見たそうである。
しかし、視覚障害者の将来はマッサージ師か鍼灸師、と決め付ける大人たちに理解を得られず、
夢をほとんどあきらめかけていた、ともいう。

そんな中でひとり、盲学校に、彼を叱咤激励して、音楽家になることを薦めた教師がいた。
その先生の薦めに従い、彼は筑波大付属盲学校の音楽専門コースに進み
武蔵野音楽大学に入学、
そして、いま、ピアニスト声楽家として、活躍しているというのである。

「素人にも、すばらしい才能だ、と思ったから。」と、テレビの中で、その先生が淡々とした表情で答えていた。
彼を励ましたという盲学校の先生は、
ヒルティの言う、「善への道」(北田さんの音楽の才能を生かすこと)に気づいたからこそ、
「視覚障害者はマッサージ師」という周囲の「常識」から「自由」になって、勧めることができたのだと思う。

当時を振り返る先生の後ろの棚に、聖書が見えた。
その先生―吉村孝雄さんは、今、徳島で聖書集会を開く、無教会の伝道者だそうだ。
そして、うれしいことに、
徳島聖書集会のホームページには、ヒルティの言葉もありました。

http://pistis.jp/

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最も美しい瞬間

キリスト教で言う「天国」とは、死んだ人がゆく「あの世」のことではなく、
この地上のすべてのものが滅び去って、神様が支配する世界になる、ということである
――ということを知ったのは、クリスチャンになってからである。(ははは)

道理で変だと思ってたよ。
子供のころ、ミッション系の幼稚園で暗記させられた「主の祈り」(イエスキリストが教えてくれたという祈りの言葉)には、
「み国を来たらせたまえ(天国をここに来させてください)」とある。
「天国」=「あの世」だったら、
「早く死ねますように」っていう意味になってしまうもの。

でもまあ、もしクリスチャンでない私の両親姉妹や、友人や、会社の同僚や上司に、いきなり
「早くこの世が滅び去って、天国が来るといいですねー」なんていおうものなら、
どうかしちゃったんじゃないか、と思われそうな気がする。
危険思想かも。

イエスの言う「天国」とは、
「きれいな音楽ときれいなお花があって、おいしいものがたくさん食べられるところ」ではないみたい。
「畑にまかれた小さな小さなからし種が、大きく大きく育って、空の鳥が巣をつくるような」ところ、とか、
「子供たちが最も大切にされる」国、とか、
なんだか、とても感覚的なものに思える。
そして、その「天国」はある日、こっそりやってきて、
人間同士では絶対に判断できないすべてのことを、神様が完璧に裁いてくれる、らしい。
今の私の視界からは、どの人のことも一部分しか見えていないから、
本当はだれがどうなって、なにが正しいのか分からなくなってしまっていることは、
みんなその日に解決する。

そう、私にとって、「天国が来る日」というのは、「すべてが分かる日」である。
なによりも、私なんかがどうして創られて、こうして生きていなきゃいけないのか、が、ようやくはっきりする日である。

イエス様は言った。「求めなさい」って。そして、約束してくれた。そうすれば「与えられます」って。
その約束を信じて、私はクリスチャンになった。

ヒルティは今夜眠れない人のために、この地上で天国を待つ心の楽しさを語る。
それはまるで、果実が実るのを心待ちにしながら、樹の花を見つめているみたいだよね、って。

「あらゆる幸福感のなかで最も美しい瞬間は、所有の瞬間ではなくて、それに先立つ瞬間、
すなわち、願望の実現が近づいて、すでに確実に見えはじめる時である。」
(岩波文庫、草間・大和訳)

いつか、答えがわかる日が来る。
きっときっと。
――そう思うと、たしかにすこし、うれしい。

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March 16, 2005

憂いをゆだねる

新入社員のころ、机の前にカードを貼って仕事をしていた。
カードには、
「神のなさることはすべて時にかなって美しい (伝道の書 3章11節)」と書いてあった。
高校生のころ、社会科見学で行ったイグナチオ教会の売店で買ったものだったと思う。
そのころ、私はまだクリスチャンではなかったけれど、何にもまして、勇気付けられる言葉だった。

私はおおらかな両親に大事に育てられた甘えんぼさんだったので、最初の会社員生活はとてもつらかった。
新入社員とはいえ、社会人としての規律が求められることに疲れ、
小さいけれども、責任が生じる仕事におびえていた。
せっかく入った会社だけれど、なかなかやりたい仕事ができる職場ではないことにも、だんだん気づいてきたし、
将来が不安で不安で仕方が無かった。

でも、いつの日か、「ああ、そんな日があったなあ」と振り返ることがあるかもしれない、
「あの苦しみは『時にかなっていた』なあ」と思えるかもしれない、と思うことは、
息苦しい日々を、すこしだけ解放してくれる見方だった。

今日、ヒルティは言う。
「あなたはいたずらに心配をしたり、いろいろ将来の計画を立てたりして、
そのために、最もよい仕事の時間を多くつぶすことは、全くいらない
神を信じて、神の道を誠実に進もうと努めるならば、
万事はひとりでに、しかもあなたが予期するよりも、はるかにうまく運ぶのである。」
(岩波文庫:草間平作・大和邦太郎訳)

イエスキリストも、
「空の鳥のように、野の花のように、明日のことを心配しないで、今日を十分生きて。
明日は、神様がきっと必要をみたしてくれるよ」
と教えてくれた。

いまや社会人生活にもすっかり慣れた。
転職をして、自分のやりたい仕事にも、すこし近づいた。
あのとき「えーい!」って投げ出しちゃうこともできたけれど、
「この苦労は時にかなっているんだ」と言い聞かせることが、今日の日まで導かれる道のりだった気がする。
今日は、仕事のあと、ゴスペル仲間の大切な女友達4人と、ケーキをひとり二個も食べながら、何時間もおしゃべり。
今、おなかいっぱいでちょっと苦しい。
女友達のうち、2人は看護師さん、2人はゴスペルを歌ったり教えたりすることを生活の中心にしている。
自分の仕事が慣れたら、まったく別の仕事をしている人の話が楽しくなった。
自分の仕事の話をして、「へえ~」とものめずらしそうにされるのも、ちょっと楽しい。
そんな自分を想像もしていなかったころを思うと、
これからの自分も、予想もつかないところにいるんだろうな、と思う。

「主は心配をきらうが、あなたがささげる
天に向かっての祈りはよろこんで聞き給う。
あなたがやっとひとつの策を立てる間に
主は千もの策を持っていられる。」
(岩波文庫:草間平作・大和邦太郎訳)

明日について、神様が持っている「千もの策」に期待して。
おやすみなさい。

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March 15, 2005

意思を自由にして

3月14日

「ダンテ『神曲』煉獄篇弟二二歌五八-六九行」

ヒルティ、今日はいきなり、そうひとこと。
そこで、『神曲』ひらいてみました。

ヴィルジリオという登場人物が、スタツィオという詩人に
「君はどういう過程で、信仰の道を進むことになったのかい?」というようなことをたずねます。
それに対する答えは、なるほど、眠れぬ夜の課題にふさわしい。
「あなたが私を信仰の道に導いたのだよ。
そのやりかたとは、
夜道を歩く人が、
自分の後ろにあかりをかざして、
自分は不便なのにもかかわらず、
後ろから来る人には明るくなるようにしているみたいだったんだよ。」と。

そして、ヒルティは続けます。
「善の道をすすもうとするときは、まず、あなたの意思を自由にしなさい。」と。

難しいなあ、とためいき。
神様が「これは善の道」だ、と示されるのなら、やり方とか周囲とかにとらわれないで進みなさい、ということなんだろうけど。

これを読んでふと、思い出したのは、シュバイツアーの話。
彼はすでにオルガニストとして大成していたのに、医者となってアフリカへ向かおうとした。
そこで友人が、オルガンの先生に、シュバイツアーを思いとどまらせるよう、頼んだそうです。
ところが先生はこう言ったそうです。
「止められないよ、神様が呼んでいるんだから」
(NIKKOUが通う教会で聞いた話です。
森有正『いかに生きるか』にあるエピソード。今、本がすぐ見つからないので、うろ覚えです。ごめんなさい。)

無謀に見えても、オルガニストとしての将来がもったいなくっても、
シュバイツアーの心は、そんなことからは「自由」だったんだろうな、と思う。

私には、この道こそ「善だ」と確信して、突き進んだことが、いまだかつてあっただろうか。
これから、そういう選択を迫られることがあるんだろうか。
そうしたとき、なにものからも「自由」になれるだろうか。
うーん、厳しいなあ、ヒルティ。

もちろん、今から不安に思っていても仕方がないけれど、
今夜はただひとつ、
かつて、そういう選択をした人たちがいた、ということを心にとどめて眠ろう。

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March 13, 2005

希望

第一部の3月13日より

**********

希望

十字架は重いが、ふしぎなことに、
おまえがそれを担うやいなや、それがおまえを担ってくれる。
初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ。
この道を進むものは「勇者」と呼ばれる。

おまえの力は小さくても
おまえが帰依した主の力は偉大だ。
おまえの星はくらい夜空に輝きわたり、
今日は死に―明日はいのちによみがえる。

(岩波文庫版より)
********

今日付けでヒルティが引用しているこの詩、
賛美歌の歌詞なのかな。
2連め
「おまえの力は小さくても
おまえが帰依した主の力は偉大だ」は、
子供の賛美歌として有名な「主われを愛す」によく似ている。

「Little ones to Him belong
They are weak but He is strong」
(神様のものであるちいさなひとたち
彼らは弱いけれど、神様は強い)
「われ弱くとも、恐れはあらじ」

今は闇夜に感じるかもしれない。
今日は死を身近に感じているかもしれない。
けれど、すぐに判断してはだめ。
神様は明日を用意してくれる。
明日も闇、明日も死だ、なんて、誰もわからない。

つらい今日を知っている人を、私は信頼する。
そういう人でなければ、「希望」がなにか、知ることはできないから。

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『眠られぬ夜のために』について

日付とともに、
ヒルティ自身の信仰にもとづくエッセイと、賛美歌や聖書の引用が付されています。

1901年に第一部が刊行、
ヒルティ死後の1948年には、遺された草稿をもとに第二部が刊行されました。

ちなみに私の手元には、神田の古本屋の店先で手に入れた岩波文庫版の本書があります。
中扉に「増田蔵書」というおおきな蔵書印。
赤鉛筆でところどころ印がついています。
大きな丸印や、ごしごしと強い筆圧での波線。
増田さん。どんな人だったのでしょうね。
第一部のあとがきのページには「’76.4.19」
第二部には「’76.4.30 車中にて」との走り書き。
私が生まれる前の日付です。

この古書を手にいれたのは2001年の冬でした。
就職活動に汲々としていたこのころ、
神田のちいさな出版社に手紙を出し、
「就職させてください」とお願いしたところ、
社長みずから「一度いらっしゃい」との電話をもらったのでした。
胸はずませて、社長室の戸をたたいたのですが、
結論は、「今の状況ではこれ以上の雇用は無理です」とのことでした。
社長さんは、細身で白髪の紳士然とした人で、
彼が私の母校である中学高校の出身であること、
履歴書を見てそれを知り、直接話したかったとのこと、
好きな本のこと、出版不況の厳しさなど、
一時間ばかり、静かにお話しされました。

出版不況どころか、就職難のころ。
社長室を辞し、
神田の町をふらふらグルグルと歩き回って涙がひくのを
ぐっと待っていたのでした。

と、そこへ、「眠られぬ夜のために」の背表紙が目に飛び込んできたのです。
「ああ、まったくだまったくだ。今夜はまったく寝られねえ」と
つい中身も見ずに買ったのですが、
その後、きちんと開いて読んだのは、就職も決まってから一年以上もたってから。
その夜は…、熟睡したんでしょうね、きっと。

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ヒルティについて

カール・ヒルティ(Carl Hilty) 1833年 - 1909年
スイスの法律家・思想家。

弁護士として仕事にうちこむかたわら、
法律家としての高い見識と、クリスチャンとしての深い信仰心に基づく多くの著作を残しました。
晩年はベルン大学にて教鞭をとり、若い法律家の育成につとめ
ハーグの国際仲裁裁判所判事に任命されるなど、
周囲の信頼も篤かったとのことです。
(参考;岩波文庫『眠られぬ夜のために』「解説」草間平作)

邦訳として、
岩波文庫『幸福論』(全三冊)草間平作・大和邦太郎訳
岩波文庫『眠られぬ夜のために』(一部・二部)草間平作・大和邦太郎訳
筑摩叢書『眠られぬ夜のために』(第一部・第二部)前田敬作訳(絶版)
白水社『眠られぬ夜のために』小池辰雄
などがあります。

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ブログ・スタート

カール・ヒルティ著「眠られぬ夜のために」について、みなさんと分かち合ってゆきたいと思います。

そのほかにも、日々の生活のなかで思うこと、読んだ本についてなど、
つれづれなるままにつづってゆきます。

ご愛顧ください。

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