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March 22, 2005

嫉妬か報いられぬ愛のためか

今夜、ウィメンズ・カンファレンス・コンサートを聴きに、新大久保の東京中央教会に行ってきた。
http://www.church.ne.jp/women_stand/japan/index.htm

ウィメンズ・カンファレンスというのは、
女性に限定した聖書講義と、ゴスペルのワークショップが行われる期間限定のセミナーである。
カンファレンスの最終日にコンサートが開かれる。

今回は私は聖書講義だけ出席した。
ゴスペルのほうは、観客に回って、楽しんできた。
聖書講義の内容については、まだ考えがまとまらないのでまた改めることにしたい。

コンサートは、とても楽しかった。
美しい声で神様をたたえる歌を聴くのはとても気持ちがいいし、
もし、自分に同じようなたまものがあったら、どんなにいいだろう、と思いながら、
歌詞を追い、メロディに耳を傾けていると、だんだん、自分がそのシンガーになって神様に語りかけているような気持ちになる。
ゴスペルの醍醐味である。
一番印象に残ったのは「いのちの泉」という歌であった。

「あなたを見ることができるように、わたしの心の目を開いてください。
あなたが見えなくて祈れないとき、かたくななこの心、砕いてください。」

祈りの歌だ、と思った。
そう祈ることが、私にもある。
祈ることは、私にとっては、生き難いこの世を生き抜いてゆくための「武器」である。

以前、ある人から、
「私のことを祈るな。」といわれた。
「あなたを、私のことで煩わせるとおもうだけで嫌なのだ。」と。

今日のヒルティいわく、
「われわれが人生において人の憎しみをうけるとき、その大部分は、相手の嫉妬か、報いられなかった愛のためである。」

ヒルティは、どんな「憎しみ」を受けたのだろう。
わが信仰の先輩、ヒルティは、こういう。
「それでも、主のがわに立つ利益は、そのための損失よりもはるかに大きい。」

祈るな、などと、誰も私に命じることはできない。
祈るな、というのは、
「あなたの親しいあの人と、あなたは話をするな」というのとおんなじことだ。

あなたの憎しみをもってしても、わたしが「祈る」ということは、とどめられない。
むしろ、あなたとのことを、「祈れなく」なったときこそ、わたしは祈らなくてはならないと思う。
主よ、わたしの心を砕いてください。
道を示してください。

このいさかいを乗り越えて、あなたと新たな関係を持つことができることを、
わたしは信じている。
そして、神様は、その方法を知っている。

わたしは、人間より神を信頼する。
人間の力では、どうしたって、乗り越えられないことってあるよ。

だから、あなたのことを祈っている。
希望をもって。
あなたのために、そして、わたしのために。

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