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March 23, 2005

すばらしい境地

3月23日『眠られぬ夜のために』

「もはやいかなる我意も享楽も念頭にないということは、思いもかけぬすばらしい境地である。」(岩波文庫:草間・大和訳)

このとき、怒りは消え失せ、すべての人と心が通い合い、自分の欠点さえもさらりとなくなってしまう…という。

何度も言うが、よっぽどヒルティは素敵なお爺様だったのでしょうね。
今の私に、そんな境地など、とおいとおい。

先日紹介した、『死んだらどうなるの?』の著者、玄侑宗久さんに、
カトリックのシスター鈴木秀子さんとの対談集がある。
そのなかに、そのような「境地」に至っていたのではないか、という人達が出てくる。
鈴木さんが修道院に入るきっかけになったという、聖心会のシスターたちである。
戦前戦中、戦後に至るまで、「敵国」日本にいても一貫して態度が変わらなかったというアメリカ人やイギリス人のシスターたち。
そして、玄侑さんには、山田無文というお坊さんがそうだった。
静かに禅を組んで、若かりしころの玄侑さんが「食って掛かった」のを静かに受け止めたという山田無文。

どんなに熱心に神や聖書の話をしても、愛がなければやかましいドラやシンバルと同じ、
と、ミもフタもないことを言ったのは2千年前のギリシャ人パウロという人だけど、
今でも時々ドラやシンバルがあちこちでジャカジャカと鳴ってうんざりする。

…いや、人のこと、いえません。
私もある人に言われました。
「君は、ときどき『論破してやる~』という意気込みで迫ってくるので、怖い」と。
そして、「『だって、神様はいるんだもん』と駄々をこねるな、態度でしめせ」とも。

おっしゃるとおりです。
きっと私のなかで、「キリスト教を信じる自分の正当性」を主張しようとするエゴが大きくなってしまっていたのでしょうね。
愛が、つまり、あなたへの思いやりがありませんでした。
自分を誇示するつもりなど、さらさらないんですが、もしまたむくむくとそんな傲慢さが頭をもたげてきたら、
どうぞ遠慮なく教えてくださいませ。

シンバルをばんばかじゃかじゃか打ち鳴らす前に、まずは静かにふるまいを正して、神様の前に謙虚でありたい、と
…心がけます。ハイ。

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