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April 18, 2005

「主の祈り」と太宰治

今日の礼拝から。

「わたしたちに必要なパンを、今日、わたしたちにお与えください。」(マタイによる福音書6章11節)

今日は日曜日。nikkouの通うちいさな教会でも礼拝がもたれた。
今、わたしたちの教会ではマタイ福音書をはじめから少しずつ読んでいる。
今日は6章の11節、イエス様がわたしたちに教えてくれたお祈り、通称「主の祈り」と呼ばれているものから学んだ。
これは、「神様、わたしたちに、今日のごはんをください」というすごく素朴なお祈りだけど、イエス様のシンプルライフが端的に現れているフレーズだ。

彼には当然、金銭欲というものが無かった。
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ福音書6章24節)
だから、弟子たちがおなかをすかせて、安息日に畑の麦をむしって食べてしまったというシーンまで聖書には記録されている。(マタイ福音書12章1節)
かといって、禁欲主義でもなかった。出されたものはしっかり食べる。だから、律法家たちに、「大酒のみの大飯ぐらい」と陰口をきかれたりした。(マタイ11章18~19節)

お金持ちになんか、なりたくない。
でも禁欲もしない。
今日一日食べてゆければ、それで幸せ、という彼の祈りは、その生きかたを通しても、一貫している。
それはシンプルだけど一番健康な生活のように思う。

そんな話を聞きながら、nikkouは、ふと太宰治の「富岳百景」という小説を思い出していた。

この中に、わたしの大好きなシーンがある。

「富岳百景」の主人公「私」は、妻に不倫をされ、離婚してしまう。
傷ついた心を抱えて東京を離れ、富士山の見える峠の宿で鬱々とした日々を送っている。
そこへ、見合い話が持ち上がり、心機一転、その優しそうなお嬢さんと、新しい人生をやり直そうとするのである。
しかし、「私」のだらしない生活に愛想をつかした実家から、新しい結婚に対して金銭的な援助はしない、という手紙が来る。すっかりしょげながら、「私」はその事情をお嬢さんに話すため、破談覚悟でお嬢さんの実家を訪ねる、というシーンである。


私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆の事情を告白した。ときどき演説口調になって、閉口した。けれども、割に素直に語りつくしたように思われた。娘さんは落ちついて、
「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか」と首をかしげて私にたずねた。
「いいえ、反対というのではなく」私は右の手のひらを、そっと卓の上に押し当て、「おまえひとりで、やれ、という工合いらしく思われます」
「結構でございます」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます」
私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めていた。眼の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思った。


何度読んでも、ああ、いいせりふだなあ、と思う。「あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます」――そうだよなあ、と思う。
わたしだって、お金持ちに育ったわけでもなし、これから、お金持ちになりたいとも思わない。必要なのは、自分の日々の働きを通して、主のみ業が行われるように励み、隣人への愛を持つことだ。日々の糧については、イエス様のように「今日お与えください」と祈って、祈ったら、もう安心して、毎日の仕事に前進してゆこう、と思う。

太宰は、内村鑑三に傾倒し、キリストに救いを求めつつ、信じきれずに、ついに自ら命を絶ってしまう。
ただそれでも、彼の作品のなかにはときどき、キラリと彼が見出した愛のかけらが光るような気がする。

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