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April 08, 2005

追憶と思い出

4月7日『眠られぬ夜のために』
「死後にもその人柄の印象を長く残すような人は非常に少ない。たいていの人は、重要な地位にあった者でも、数年ならずして忘れられてしまう。最も長く心ののこるのは、その人の誠実の追憶であり、また女性の場合は、彼女の真にやさしい愛情の思い出である。」
(岩波文庫版:草間・大和訳)

岩波文庫の解説によると、ヒルティは奥さんのことを深く愛していたらしい。
今日のヒルティは、聖書の話はなしで、わずか3行だけ。
しかしこの中には、聡明で優しかった奥さんへの思い出がじんわりにじみ出ているようである。

死後残る「追憶」や「思い出」。
でも、これが、じつはけっこうクセモノなんだなあ…。

もし、神様に今夜、
「そろそろ、天国に帰ってくる?」と聞かれたら、と想像する。
非現実的な想像じゃない。わたしの命はすべて彼の手中にあるわけだし、いつその日がきてもおかしくないわけだし。

死ぬ瞬間とか、死んだ後はどうなるのか、ということは、今はうまく想像できない。
まだ、一回も死んだことないし。

ただ、わたしが死んだ後に、この世界でなにが起きるか、ということは、わりと上手に想像できていると思う。なぜなら、一度だけその疑似体験をしているから。


7年前、妹が死んだ。


うーん。こうやって、さらっと書けるくらいには、回復したんだなあ、わたしも。

そのときの両親の悲哀たるや、まったく直視するに耐えないものだったので、加えてもうひとり先立ってしまったら、彼らは正気を保っていられるんだろうか、と思う。
またもしわたしがこの地上を去ったら、将来のことを語り合い祈りあった人からは、思い描いていた「将来」を奪い去ることになるんだ。
うぅ。想像しただけで胸が痛む。
「追憶」や「思い出」は深ければ深いほど、人を傷つける。
わたしは、わたしの愛する人たちだけは、絶対に悲しませたくない。
なんとしてでも守りたい。

去年亡くなった中島らもという劇作家が、かつて、こんな意味のことを書いていた。

友人がひとり死ぬたび、残された自分は、苦しい思いをかみ締めなければならない。
自分は友人たちにこんなつらい思いをさせたくないので、生きているうちからそっと人々の意識から消えていって、
死んだときには、「あいつは何が楽しくて生きてたんだろうね」と思われる存在になりたい。

妹が死んだ直後に、これを読んで「ああ、わたしもそうなりたい」と思った。
(当時、クリスチャンの同級生にそういったら「人はみんな、ひとりで生きているんじゃないんだよぉ、なんでそんなことを言うのぉ」と中学生みたいな説教をかましやがった。わたしは、あんなガサガサした馬鹿クリスチャンにはなりたくない。)

妹が死んでから何年も、突発的に、畳を掻いて号泣することがあった。
この傷は、きっと天国で本人に再会するまで癒えないだろうし、こんな想いをさせた神様をうらむ。
妹の死自体には、神様と彼女本人との間だけの「計画」があって、それにわたしの意志は入り込めないんだ、ということは痛感しているけれど、わたし自身のこの傷はどうしてくれるよ!と言いたい。

でも。

それにも、かかわらず、である。
そんなにも、深く傷ついて、妹の死を思えることを、
というか、それほどにまで愛している存在が、この世にあったことを、
自分の生涯で一番の恵みだ、とも思っている。

矛盾するけど、
自分は先立つことで、だれをも傷つけたくない。
でも、自分には、先立たれて傷つくほどの存在がいたことを、本当に、本当に、良かった、と思うのだ。

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