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April 13, 2005

たまたま、クリスチャンになった

4月13日『眠られぬ夜のために』

「人間の生涯には、時として次のような瞬間がある。すなわち…(中略)…魂が神に近づく瞬間である。
こういう時には、あらゆる既成宗教がただお粗末な象徴にすぎない気がし、また、すべての信条や礼典がいかにも人間くさいものに見えてくる。」(岩波文庫版:草間・大和訳)

クリスチャンでなくとも、人智をこえた「何か」を感じることって、ある。
人より遥けく、清くて、強い「何か」。
その前では、人が圧倒的に無力になる「何か」。

わたしもかつては、マジメな文学少女ちゃんだったので、大学一年生くらいのとき、すごく真剣にその「何か」について考えたりした。
キリスト教も勉強した。

…よくわからなかった。

「何か」はきっとあると思うんだけど、それが「キリスト教の神」なのかどうか、断定できなかった。
もし、「キリスト教の神」としてしまうと、「それ」が、とても小さくなってしまう気がした。
外国の人たちが信じている、なんだか小奇麗なくせに血なまぐさくって、生真面目だけど理屈っぽい「それ」じゃなくって、もっと本質的でもっと強い「何か」があるはずだ、と思っていた。

そのうち、学生生活のほうが面白くなってしまって、だんだんそんなことを考えるのも、面倒になって、忘れた。
そんなこんなで、大学3年生くらいのとき。
東後勝明という早稲田大学教育学部の教授の講演を聴いた。
東後先生は、NHKラジオ英会話の講師をしていた人で、すごく声がいい。クリスチャンでもある。
話の内容は、あまり覚えていない。たぶん、英語の教育法が中心で、信仰の話もすこししていたと思う。

ただ、ひとつだけ、すごくよく覚えていることがある。
東後先生のゼミの学生だという男性が、立って質問したのである。
「先生はなぜ、よりによって、キリスト教なんですか。ほかにも、仏教とか、哲学とか、いろいろあるじゃないですか。」
先生は、「うー…ん」とすこし考えて、こう言い放った。


「たまたまかな。」


…マジメなクリスチャンの人が聞いたら、怒るかな。

でも、それを聞いたとき、わたしはなんだかホッとしたのである。
そうかー、一生懸命勉強したから、とか、一生懸命考えたから、とかじゃないんだ。
「たまたま」なんだ。
気楽でいいな~って。
もし、彼がここで、他宗教に対するキリスト教の優位性、なんかを一席ぶったりしていたら、もーうんざりしちゃってたと思う。
それでなくったって、罪だの愛だのって、キリスト教ってなんだか抽象的すぎちゃって、当時のわたしにはなにがなんだか、さっぱり分からなかったんだもの。

その後いろいろあって、無事就職して、転職もして、
すこし余裕が出てきて、趣味でも持とうかと、
「たまたま」当時流行っていたゴスペルを始め、
「たまたま」イエスの言葉に出会い、
本当にびっくりすることに、「たまたま」それが、そのときのわたしが一番、だれかに言ってもらいたかった言葉で、そして、クリスチャンになった。
わたしが「がんばって」得たものなんて、なんにも無かった。
ヒルティの言葉を借りれば「信条」だの「礼典」だのといった、キリスト教を取り囲んでいる色んなことなんか、何にも分からなくっても、だいじょうぶだった。イエスの言葉は、ものすごく本質的で、ものすごく強かった。

今、東後先生に伝えたいな、って思う。
先生、わたしも、「たまたま」クリスチャンになったよ、
神様はなんでも、お見通しだね、って。

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