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April 25, 2005

ヨブ記とは何か

4月25日『眠られぬ夜のために』

「われわれは神を喜ばせねばならない。神が喜ばれるように、われわれ自身がならねばならない。
…その方法がヨブ記のなかに、おそらく最も如実に描かれているので、それを参照しなさい。」
(岩波文庫版:草間・大和訳)

「ヨブ記」というのは、旧約聖書のなかでもおそらく、かなりの人気を誇る章である。
ヨブというきわめて誠実に生きてきた男がある日突然、10人の息子、娘と、財産と、健康を一気に失う。
そこへ、友人3人が訪れてきて、なぜこんな目にあうのか、ということをヨブと延々議論する、という話である。

最近買った『ガンに生かされて』(飯島夏樹・新潮社)の扉にも「ヨブ記」が引かれている。

「私は裸で母の胎から出てきた。また裸で私は彼処へ帰ろう」

飯島氏は若いプロウィンドサーファーであった。サーフィンの世界で絶頂を極めた後、ガンに侵され、四人の子供と妻を残して今年2月他界した。死の直前までの想いをつづったのが本書で、年末にはフジテレビのドキュメンタリーにも取り上げられた。絶頂を極めた後、命を奪われる、という状況が、ヨブにシンクロしたのだろうか。これから読む本なので、まだ何ともいえないけれど。

たぶん、ヨブというのは実在の人物ではないのだろう。
単に実在したひとりの男をルポしたような話じゃない。
この物語には、旧約聖書が結実するまでの長い長い時間に起きたさまざまな不条理、そして、何人分もの嘆きがぎゅうっと凝縮している。
そのくらい、ヨブの言葉には、すさまじい迫力がある。

この物語にも、
―当事者でないくせに「わかる、わかる、つらいよね~」と安易に「理解」するな!
…という叫びがびりびり響いている。
友人たちの「なんか、悪い事をした報いじゃないの?」という説教も、安易な慰めも、「むかつく!だまれ!」というヨブの嘆きと憤りはすんごいリアルである。

芝伸太郎「うつを生きる」(ちくま新書)は、ヨブ記について、面白い解釈をしていた。ヨブは、罪と罰が等価ではない、と「応酬思想」を真っ向から否定している、というのだ。そして、神もその発想をよしとする。

じつは「応酬思想」というのは、聖書にも時々見られる。
「神様の言うことを聞かなかったからわたしたちはこういう目にあうのだ、悔い改めよ…」と。
その一方で罪と罰は等価ではない、と主張する「ヨブ記」みたいな話もあったりする。
聖書は一貫しているようでいて、一冊の中にまったく逆に読めるようなことも、同居していたりするのだ。
(だから、聖書の一部だけ読んで、キリスト教とはこういうものだ、と断言できる人はなんて頭がいいんだろう、とnikkouは思います。わたしはクリスチャンだけど、わからないことばかりだよ。神様は信じるけれど、「理解」できない。)

ヒルティは「ヨブ記」から何を読み取ったのだろう。
『ガンに生かされて』の飯島氏は、何を。
そして、わたしもまた、これからの歩みの中で、「ヨブ記」の読み方が変わってゆくだろう。
今はただ、圧倒的に無力な人間の、みじめで苦しい叫びの記録にしか読めなくても。

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