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May 14, 2005

「騒音おばさん」を愛することはできるのか

5月13日『眠られぬ夜のために』

「キングスレーのたいへん美しい言葉に、『人の心を見て慈悲を持て。行いだけを見て責めるな』というのがある。これは神の教えにもひとしい、正しい人間知識をあらわす教えである。この言葉はどこの法廷にも掲げておくべきであろう。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

先日、奈良の「騒音おばさん」なる人が逮捕された。じゅうたんをばたばた叩きながら「ひっこし、ひっこし!」と叫ぶ、あの人である。先ほど、ぼんやり見ていたバラエティ番組では、彼女をパロディにして笑っていた。
彼女の行いはたしかにかなり奇矯だった。
もし自分の近所にああいう人がいたら、本当に怖いし、わたしだったらすぐに引っ越すだろうな、と思う。
迷惑というよりも、怖い。
「攻撃」という行動は、それが自分に向いていなくても、なにか吐き気を催すような恐怖を感じさせる。
だから、今日の番組のように、相手を見下した笑いで恐怖をやわらげるんだとおもう。

nikkouは比較的人間関係には恵まれてきたほうだけれども、それでもごくたまに、人間関係で食欲が失せるような思いをする。そんなとき、今日の番組じゃないけれど、「この人はおかしいんじゃないか」と軽蔑したり、「なにか心に深い闇があるんだろうか」とかんぐったりすると、鉛を飲んだような気分がすこし和らぐ。
それでいながら、心の隅で危険信号がぴこぴこ鳴る。
…こうして、相手との溝が深まっていくんだぞ。いつか、取り返しがつかなくなる。
とはいえ、怖い、という思いを処理しないままでいるのは、本当につらい。
どうしたらいいのだろう…。

ヒルティは弁護士だった。
晩年は裁判官もしていた。
人の責むべき行いを数多く見てきただろう。
だからこそなのか、心を見よ、行いを責めるな、というキングスレーの言葉を「正しい人間知識」と言う。
しかし、神ならぬ身に、人の心がどれほど分かるというのだ。
そう、人の心の本当のところは、神しか分からない。
だから、わたしには祈るしかすべがない。

主よ、あなたに見えている人の心の一端でも、わたしに見せてください。
いえ、せめて、隣人には「心」があるのだ、ということを忘れさせないでいてください。
そうすれば、幾分か、わたしの恐怖も和らぐように思うのです。

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Comments

さっき泳ぎに行って帰ってきたら、水中眼鏡とキャップと耳栓を忘れてきたことに気づいた。急いで戻って係りの人に聞いたら、スリッパを履いてシャワー室に入っていい、と言うので取りに行った。やっぱし、シャワーの横の金具に引っ掛けておいたから、そのままだった。あんなものだれも盗らないよね。なにごとも、ゆうくりずむかな。気にしないことです。

Posted by: s k | May 15, 2005 at 05:30 PM

ゆうくりずむ。

素敵な言い方、生き方ですね。
私も「あせって判断するな、落ち着け」と自分によく言い聞かせる。
振り返ってみればだいじょうぶだった、ということは確かによくあるかも。

ともあれ、なんだかたくさんの忘れ物、見つかって本当によかったです。

Posted by: nikkou | May 15, 2005 at 09:26 PM

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