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June 30, 2005

気さくで凛とした人

6月29日『眠られぬ夜のために』

「精神的な戦いにおいて、われわれは決して中立にとどまってはならない。
しかし、敵に対して好意をよせ、理解を持つことは、ほとんどいつでもなしうることである。

神と密接な個人的関係にあるという確信があれば、間違いなく、他人に対しては思いやりをもち、しかし彼らの判断に対しては平気になれる。

神と完全に友となった人にとっては、それ以後の人生において、もはや幸福な出来事しか起こらない。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

今日のヒルティは、
マタイによる福音書5章33節から48節の言い換えである。

「あなたたちの言葉は『はい、はい』『いいえ、いいえ』であれ。」
それでいながら、
「あなたたちの敵を愛せ、そしてあなたたちを迫害する者らのために祈れ。」

イエスのこの考え方、人間関係の築き方は、
イエスのそんなに多くはないメッセージのなかで、もっとも難しいものだとnikkouは思ってる。
でも、ヒルティが言い換えると、なんだか
「気さくだけど凛としてるヒト」
…って印象になる。
ヒルティの言うように、いつも神様と友達だったら、できなくもないかな、って気がしてくる。

6月16日の記事でも、ヒルティはこんなことを言ってる。

「まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。
すでに落ち着きを得てから、人間に向かうべきである。」

そして、ゾイゼというドイツの思想家の言葉を引用する。

「なにびとも親切に迎えること、
話は手短にすること、
慰めて帰らせること、
いつまでもその人のことを気にかけないこと。」

いいよね。nikkkouは、この一文に出会ったとき、おお、これだこれ、と思ったよ。

nikkouは、むかし、群れるのがとっても苦手な女の子だった。
お弁当もひとりで食べていた。
高校時代、やっぱりひとりでお弁当を食べている女の子がいて、
ときどきあぶれ者同士ということで、彼女と一緒にお弁当を食べた。
この人が、かなり強烈だった。
お弁当を食べている間、ずうっとクラスメイトとか先生の悪口を延々言うのだ。
彼女の価値観は、基本的に「うちのお母さんが~って言ってた」だった。
「お母さん」が知らないことは、わたしも知らない、だから、学校の人間関係は嫌い、って感じだった。
世界中で、「お母さんとわたし」だけが正しくって、
あとはみんな敵。
どうしてるかなあ、彼女。
ちゃんと親離れしただろうか。

こんなこと言うとすんごい申し訳ないんだけど、
わたしは、彼女から
親に依存してると社会生活が営めない、ということを学んだ。
でもnikkouだって、そのころは、彼女ほど親には依存していないけれど、
自己は確立してなくって、しかも群れることが苦手だから、
なんとな~くみんなと距離がある感じ。
とっつきにくかったろうな。

先日高校卒業以来、ひさしぶりに旧友に会った。
そいつから、
「nikkouちゃん、ひとかわ剥けたって感じ」といわれた。
まあ、あのころから10kg近くやせたので(自慢~ふふふ~)、文字通り一枚脂肪分を脱いでるんだけど、
もちっと性格的にもとっつきやすくなった、ってことだったらいいな、と思う。

「他人に対して思いやりを持ち、しかし、彼らの判断に対しては平気」
つまり、自分と立場が違うからといってとっちめたりやっつけたりしないけど、
相手に影響されて動揺したりもしない。
だって、nikkouはイエスのみことばがルールだから。
今、nikkouの目標とする人間像は、そんな
気さくで凛とした人。

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June 23, 2005

種をまこう

6月24日『眠られぬ夜のために』

「…もしあなたが戦いにのぞんで、悪の霊を恐れるようなことがあれば、初めから戦いを断念するがよい。
なぜなら、恐れは敗北の予感であり、したがって、いやしくも戦士としては、到底ゆるしがたい欠点だからである。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

今夜、nikkouは、某ファーストフード会社の内定祝賀会でゴスペルを歌ってまいりました。
nikkouが所属するクワイアー(ゴスペルの合唱団)のメンバーがこの会社の社員と親しくしている関係で、
会に華を添えるため、およばれしたのでした。

まさに「宴もたけなわ」というころ、
クワイアー一同、宴会場の前に出ました。
今、すっごく正直に告白すると、nikkou、そのとき、
「うわーこんな酔っ払いの前で歌うの、やだな~」と思っておりました。

ざわざわとした中、まず、英語で詩篇121編をモチーフにした「トータル・プレイズ」を歌いはじめました。

「わたしは、山にむかって、目をあげる。
わたしの助けはどこからくるのか。
わたしの助けは、天地を造られた主からくる…」

曲の最後、「アーメン」の輪唱が終わったとき、
会場は静まり返っていて、最前列で聞いていた若い男性が
「鳥肌が立った…」とつぶやくのが聞こえました。

続いて、英語で、詩篇89編
「わたしは永遠にあなたの慈しみを歌い、
わたしの口はすべての世代にあなたの真実を伝えます」
という歌、
日本語ゴスペルで「JOY」(絶えず喜び、祈り、感謝せよ、という歌)を会場の若者を巻き込んで歌いました。
会場はすぐにゴスペルの熱に巻き込まれ、
笑顔で手を叩き、とび跳ねる人もいました。

そんな中、ふっと、nikkouの脳裏に、聖書の一節が浮かびました。


「見よ、種まく人が種まきに出て行った。」(マタイ福音書13章3節)
イエスのたとえ話のひとつです。こう続きます。

  ある種は道端に落ちた。それは鳥たちに食べられてしまった。
  ある種は石の上に落ちた。芽は出たものの、太陽に焼かれて枯れてしまった。
  ある種は茨の上に落ちた。芽は出たものの、茨に邪魔されて伸びなかった。
  そして、良い土の上に落ちた種は、大きく成長して、100、60、30の実をつけた。

今、わたしたちは、この「種まき」をしているのではないか。
そして、この地は、…よい土ではないかもしれない。
でも…
  でも、わたしだって、よい土ではなかった。

そう、学生時代からずっと、イエスの考え方に、何度感動し、何度信じたいと思い、
そして、何度あきらめ、何度足をひっぱられ、何度、そっぽをむいたことだろう。

でも、神様はあきらめなかった。
貧しい土であったわたしの心に、せっせせっせと種をまき、
何度枯れようとも、しつこくしつこく、わたしの心を耕し続けた。

種をまこう。
たとえ、そこが道端であろうと、石の上であろうと、茨の中であろうと。
神様がきっと耕してくださる。

最後に、日本語のゴスペル「大切な人」を歌いました。

「あなたは愛されている。主の恵みで満ちています。あなたは主イエスの大切な人。
あなたを愛しています。主が愛してくれたように。あなたはわたしの大切な人」
(作詞・作曲:ピアノ・コージ)

最前列で聞いていた若い社長が、自分にそっくりな―小学校2年生くらいかな?―娘をぎゅっと抱き寄せるのが見えました。
鼻のあたまにぎゅうっとしわが寄っている。
泣いていたみたい。

それは、朝になったら、忘れてしまうような、ささやかな感動かもしれない。
ゴスペルが伝えている「神様の愛」に、そっと触れてはみたものの、
あわてて手をひっこめてしまうかもしれない。

でも、かまわない。
恐れないで、種をまこう。
イエス様がそうしたように。
荒地で育った種はきっと、温室育ちよりも、ずっと丈夫な実をつけるだろう。

(ちなみに、荒地に種をまく農夫は、どんどん賢くなるものらしい。
わたしたちのリーダーは、「宗教色を出さないで」といわれる場所で歌う方法が、ぐん、とうまくなった。
今日は歌詞の翻訳をあらかじめ配るなど、ゴスペルの本当の意味の伝え方もスマートかつ確実でした。
神様、これからもよき知恵を、彼女と、わたしたちにお与えください。アーメン)

追記
われらがディレクター、まりりんもブログにこのときの様子を書いています。
コンサートの詳細や裏話が分かります。
http://blog.goo.ne.jp/marisa050520maria_luisa/e/f987695f55468bb1fd822e9b09e81225

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June 22, 2005

アメイジング・グレイスinキャンドル・ナイト

6月21日『眠られぬ夜のために』

「神の子が完全に絶望しきって死んだという歴史上の実例を、私は一つも知らない」(岩波文庫:大和・草間訳)

本日、「100万人のキャンドルナイト」当日である夏至の夜でありました。
先日書いた池袋センターゴスペルクワイアーのキャンドルナイトに参加してきました。

とてもすばらしいひとときでした。

教会の通路に何本も立てられた灯火台のろうそくに火がともされ、
夜8時には教会の電気すべてが消されました。
オレンジ色の光があたたかく灯るなか、
古くて素朴な、まるで子守唄のようにやさしい歌を何曲も歌いました。

選曲がとてもよかった。
ろうそくの明かりでは歌詞が読めないので、一度耳にすればすぐ覚えられるやさしい歌ばかり。

くり返しくり返し、シンプルな歌詞とメロディとハーモニーを歌いながら、
はっと、気づきました。

18世紀、ゴスペルのルーツであるニグロ・スピリチュアルが生まれた時代は、
…そう、電気がなかった。
毎日綿花畑で激しい労働を強いられた人々が、
夜ごとに、薄暗い奴隷小屋の暖炉の明かりの前で、
こころを癒し、体の疲れを休めるわずかな時間に、歌われてきた歌。
それは、なんとも哀しい、けれどもゆっくりとした時の過ごし方であったことでしょう。

ゴスペルを始めてから、アメリカの黒人たちの歴史に関わる本をずいぶん読みました。
気持ちが暗くなるようなことばかり。
神様、どうして彼らを野放しにしていたのですか、と哀しい気持ちで本を閉じたことも少なくありません。

でも、ゴスペルを歌うと、気づくのです。
いいや、神様は、人びとの罪をほったらかしにはしなかった。
人が、隣人を傷つけ、貶めるような罪をどんなにのさばらせようとも、
神は、人びとに、互いに愛しあい、慰めあう心を根気良く授け続けた。
その武器として、ほら、ゴスペルがある。

彼らにとって、薄暗い炎のもとで、完全に自由な神の国を想い、歌いつづけることが、
絶望的なこの世での、唯一の戦い方だったのだろう。
神はその戦いを、ともに戦ったのだ。

この世界では、神の国を想うことと、人の罪との戦いが、なおも続いている。
たとえ小さな力であっても、歌い続け、祈りつづけよう、と思う。
アメイジング・グレイスが世界中にあふれますように。
この迷子の世界が道をみつけ、なにも見えていなかった目を開く日がくることを。

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June 21, 2005

聖霊ってなに?

6月20日『眠られぬ夜のために』

「神は、神の聖霊を役立てたいと思う人びとにだけ、それを授け給うのであって、
ただそれを所有して楽しむためには、与えられない」
(岩波文庫:草間・大和訳)

「聖霊」という言葉は、クリスチャンの世界でしか聞かない語彙である。
神は「父なる神、子なるキリスト、聖霊」という三種類の形態をとる、ということをフレーズとしては知っていても、それがどういうことなのか、クリスチャン3年生のnikkouは、実はよく分かっていない。
とくに、「聖霊」というのがなぞの存在である。

岩波書店「新約聖書」の注によると、
新約聖書に「聖霊」という言葉は275回出てくるんだそうで、
それをひとつひとつ丁寧に読めば、きっと
どういう感覚、どういう思いのとき
「聖霊を感じる」というのかわかるんだろうな。
いずれ、ひとつひとつ書き出して、じっくり考えてみようと思う。
それはnikkouの今後の宿題。

ヒルティによると、「聖霊」というのは神様から「授けられる」ものである。
と同時に、「所有」することもできちゃう。
(しちゃダメ、とは言っているけど)

それで思い出したのは、アメリカにゴスペル旅行に行ったとき、礼拝に参加した黒人教会のことだ。
黒人教会では、説教や賛美で感極まると、黒人さんたちがトランス状態に陥る。
泣いて、震えて、床に倒れて、走り回って、叫ぶ。
なんていうか、黒人「文化」だなあ、と思って見てしまう。
彼らはそれを「聖霊が降りてきた」という。

このようなトランス状態は、聖書の時代からあったことだ、と
わたしの通う教会の牧師は聖書を紐解いて教えてくれた。
そして、そのような状態に陥ることで、病が本当に治ることもあるんだそうだ。

これはnikkouの個人的な見解なのだけど、
たぶん、あの「聖霊が降りてきた」という状態は、
彼らの精神状態を表現する一種の方法、手段なんだろうと思う。
大人になると、とても激しく感動したり、
激しい怒りを感じたり、苦しみを感じたりしても、
それを社会で表に出す事はいけないこととされている。
そうした抑圧した思いを、
「どうぞ、ぶちまけなさい、だれも気にしないよ。」と
やさしく受け止めてくれるのが、
あの「黒人教会」という環境なんだろうと思う。

大人になっても、わんわん泣きたいことってある。
だから、教会がそうやって彼らを癒してきた事は、本当に大切なことだと思う。

でも、個人的には「聖霊」の働きというのは、
さらにもう一歩前進するエネルギーのことなんじゃないかな、と思っている。
ヒルティ的に言えば、「所有」しちゃいけない、
つまり、泣いて癒されて、すっきりしちゃったら、もうおしまい、じゃないんじゃないかな、って思う。
イエス様は「聖霊」に満たされたときは、人びとに向かって福音を、愛を投げかけるし、
イエスの弟子たちは、「聖霊」を受けたのち、迫害にあっても、「神の国は近い!イエス様はまた来る!」と証言しつづけた。

と、すると、先日書いた、斉藤百合さんを動かし続けたガソリンも、「聖霊」だったのかなあ、と思う。
http://nikkou.cocolog-nifty.com/nemurarenuyorunotameni/2005/06/post_674d.html

なんだか、まだ中途半端な見解だから、まとまらないけれど、
「聖霊」というのが、nikkouの中で大きな課題だ、ということだけ、
今日は書き留めておきたい。

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June 19, 2005

100万人のキャンドルナイト

今年も、キャンドルナイトの季節になりました。
キャンドルナイトというのは、辻信一さんという社会学者の呼びかけで、夏至の日に電気を消しましょう、というエコロジー運動です。

20050619_2017_000


以下、転載します。


*********************
私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2005年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2005年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。

*****************

これに、わが友人たち、池袋センターゴスペルクワイヤーが参加していることを
キャンドルナイトのHPで知りました。

http://www.candle-night.org/2005summer/event/index.html
キャンドルの中で賛美。
いいな、楽しそう。
キャンドルはクリスマスだけ、と限る事はないよね、たしかに。
夏至の日のキャンドルナイトというのもさわやかです。

nikkouはさっそく今夜キャンドルナイトをしてみました。
キャンドルの明かりでご飯を食べ、お風呂に入り、友人に電話して…
なかなか濃密な時間となりました。
なにより、「あ、テレビなしでも退屈しないじゃん。」と思ったのが発見。
今日の月が綺麗だったのも、夕食をとりながら気づいたことです。
…でも、夜更かししてこんな記事書いているんじゃ、エコロジーになってないかも。

さて、聖書の中には、「ともしび」という言葉がよく出てきます。
電気がないから、夜が今よりもずっと暗かった時代。
そんな中、「目はあなたたちの体の中のともしびだ」「ともしびをつけて、台の下に隠すだろうか」
「わたしはくすぶる灯心を消さない」(聖書を引いてもぱっと出てこないのでうろおぼえで。)という言葉は当時なんと説得力があったことだろう、と思う。電気を消してみると、それがよく分かる。

キャンドルの中では大好きな読書もできない。
となると、役にたつのが『眠られぬ夜のために』です。
キャンドルのふもとで一節に目をこらし、
そして、しみじみ思い巡らせる。これもけっこうなスローライフだと思いますが、
…今日はちょっとムリクリな結論かな。

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June 14, 2005

『靖国問題』再び~「心のよりどころ」(最終回)

さて、ここで、靖国に集うおじいさんたちの笑顔を思い出す。

若き日に敗戦で価値観を覆され、
子供の世代には、「偏り」を嫌われ、
孫たちには、「あれは間違っていたのだが」という結論から語らねばならず、
口が重くなる人たち。

彼らが笑顔を見せられるのは、
かつて戦争に大義名分をあたえ、
今は「鎮魂」という名目で若き日を振り返ることのできる靖国神社の中だけなのか。

靖国神社の中で、
かなりの年齢を重ねた彼らを見つつ、
nikkouはふと、焦燥感にかられた。
彼らはきっと、当時のありのままの思いや、当時目にし耳にしたことを、
靖国神社だけにそっと打ち明けて、
この世を去ってしまう。
最後の生き証人が失われるまで、あと何年もないだろう。
こうして、靖国神社と密接に関わった人々を失い、
この施設は、たとえば高橋哲哉が『靖国問題』(ちくま新書)で語るように、
実感のない「鎮魂」「平和祈念」という新たな大義名分を与えられ、
外交問題や政治問題として利用され、浮遊してゆくだろう。

nikkouは思う。
靖国に集うおじいちゃんたちが、わたしたちのほうに振り向いて、
靖国にではなく、わたしたちに、その思いを語ることはできなかったのだろうか。
その昂揚感、その虚無感、その悲しみ、その懐かしさを。
そして、わたしたちが、それを「偏り」と断罪せずに受け止めることができていたら。

そう、だれも彼らを受け止めないから、彼らは「靖国」を必要としているのではないか。
彼らを「靖国」に追いやっているのは、わたしたちではないのか。

6月10日付けの朝日新聞投書欄に、65歳の男性の、
遺族は「靖国」しか「心のよりどころ」にできない、という参拝肯定論が載った。
それは、悲しいことだ、とnikkouは思った。

この都会のがらんと大きなこの施設ではなく、
家庭で、故郷で、この施設に集ってくるひとりひとりの戦争の日々について、耳を傾け、
彼らの「戦友」のために、彼らが出会った他国の人のために、ともに祈ることのほうが
彼らと私たちの「心のよりどころ」を見出せるのではないかとnikkouは思う。
「心のよりどころ」は、神殿の中ではなく、わたしたちの関わりの中に生まれるものだ。
それは、目にみえなくとも、はるかに慰めと愛に満ちていないか。

だから、まず、nikkouは、
まだらボケがはじまってしまったわが祖父が、
全部の記憶を天国に宅急便で送ってしまう前に、
きちんと話を聞きにいこう、と思う。
あの施設ほど大きくはないけれど、
nikkouの小さな胸のなかに、おじいちゃんの思いを受け止めたい。

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June 13, 2005

『靖国問題』再び~わたしたち孫の世代

ウチのおじいちゃんは、本当のところ、どんな戦争をしてきたのだろう。
考えてみれば、一度もそんな話をしたことがない。

7年前、墓参りへの坂道を登るとき、
手を引いてあげようとしたら、祖父はがんとして拒んだ。
伯母が「おじいちゃんは陸軍だから。足腰が丈夫なの」とフォローしたのを覚えている。
彼は、20歳そこそこで中国に派兵されている。

先日、70代の老紳士とお茶をした。
彼は無教会のクリスチャンである。
彼もかつては軍国少年だった、という。
「天皇陛下のために死ぬんだ、と思っていた。
それが普通だった。
同世代もみんなそう思っていた。
今の若い人たちみたいに、何をしていいかわからない、という虚無感はなかった。」
と回想した。
そして、「今思えば危険だったな~と思う。あの時代は間違っていた」と何度も付け足した。

そう、おじいちゃんたちが戦争を語るとき、そこには「ねじれ」がある。

当時、日本は正しいと思っていた。
でも負けた。
今、あの当時の日本は間違っていたと思う。

というねじれ。

テレビや新聞で、韓国や中国の人たちは言う。
日本と違って、韓国や中国では家庭の中で戦争が語られてきた、と。

でも、韓国や中国の老人たちにはねじれがない。

当時、日本は間違っていると思っていた。
そして、われわれは日本に勝った。
今も、日本は間違っていると思う。

ほら。ストレートに繋がる。

日本の老人たちのねじれは、nikkouたちが想像するよりつらいのではないかと思う。
正しいと信じていたものは、実は正しくなかった、という結論から始めなければならない。
口も重くなるだろう。

だからなのか私たち孫の世代は、戦争の話を直接聞く機会が少ない。
核家族だったせいもあるかもしれない。
もちろん、学校の現代史では習っている。
でも、問題になった「強制連行」や「従軍慰安婦」は新聞で知った。
日本基督教団がなぜできたのか、とか、韓国のクリスチャンへの神社参拝の強制と迫害などを知ったのは、
本当にごく最近のことである。

すべて、活字の中の世界。
わたしたちのおじいちゃんおばあちゃんがその世界にいた人たちだ、ということを実感として持っていないのだ。

そこに、「靖国問題」を解く鍵があるのではないか、と思う。

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June 12, 2005

『靖国問題』再び~わが両親の世代

靖国神社には、うれしそうに集うおじいさんたちがいる、ということを書いた。
さて、そこで今日は、私のお父さんお母さんの世代について書きたい。

わたしの両親は団塊の世代である。
両親とも、70年代に大学生であった。
ふたりとも「ノンポリ」だった、という。
これは、政治活動をしなかった、という意味らしい。
学校に行っても封鎖されていて授業をやっていないので、こりゃ就職が危うい、と図書館に行って国家資格をとる勉強をしていた、という現実的な人たちだ。

学生時代に三島由紀夫の自決事件やら浅間山荘事件やらをテレビで見て、
その血なまぐささや陰惨さに嫌悪感を抱いている。
「全共闘崩れ」という言い方を、侮蔑をこめて言う。

そのせいか、子供たちが政治や社会に積極的に関わる行動を警戒する。
たとえばnikkouが障害者介助を始めたとき、市民団体か宗教団体がからんでいないか、と注意された。

政治的に突出した行動を避ける、というのは、
時代がゆれているときには、ある意味安全な身の処し方かもしれない。
右でも左でもなく、中庸でラジカル。
その時々で判断せよ。
偏るな、深入りするな。

さて。
わたしたち団塊ジュニアと、靖国に集うおじいさんたちの間には、
こうした警戒心の強い団塊のお父さんお母さんたちがいる、ということを、
実感として告白して、次に続けたい。

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June 11, 2005

『靖国問題』再び(全4回)

6月9日『眠られぬ夜のために』

「『あなたの神はどこにいるか』(ヨエル書2章17節)という問いは、現在またもや、多くの国々の『実利主義政治』に面と向かって、しきりに突きつけられている。」(岩波文庫:草間・大和訳)

最近、二日連続で靖国神社に行った。
別に参拝しに行ったわけではありません。
仕事で通りかかったので、お茶を飲むベンチを求めて立ち寄っただけです。

nikkouはクリスチャンなので、毎日何回も祈っている。
だから、神社に行っても拝む対象がない、その必要がない、
ということを、以前も書いた。
靖国神社についても同じだ。
もしnikkouが首相だったら、追悼と平和祈願は靖国神社ではなく、
ひとり部屋にこもって、
国も死因もさまざまな戦没者名簿でも広げて、ひとりひとりのために真剣に祈るだろう。

nikkouに、靖国神社は必要ないけれど、
でも、この国には、靖国神社を必要とする人がいるんだろう、と思う。
そのことについて、書いてみたい。

とはいっても、nikkouには、首相の靖国参拝問題や、その外交問題まで発展させる知力も根性もない。
1976年生まれ、核家族にて東京育ち、女子、会社員、
というパーソナルな立場から、靖国神社がどう見えているか、という話をしたいだけである。

靖国神社に立ち寄った2日間で、2日とも目に付いた人びとがいる。
蒸し暑い中に、ネクタイ、背広姿のおじいさんたちの集団である。
顔にいっぱいしみを浮かせて、杖をつきつき、見るからに高齢そうな人びとが、
なんだかとてもうれしそうに笑いつつ、
2,3人固まって、立ち話をしたり、砂利道を歩いていたりする。
鳥居の前には大型の観光バスが連なっている。
神社のスケジュールが出ていたので眺めてみると、
連日なんとか師団とかどこそこ県人会とかの慰霊祭が行われている。
察するに、そういうイベントに来た人々なのだろう。

ちくま新書『ナショナリズム』(浅羽通明)によると、
国外での戦争は、本来は生涯、出会うはずのない人同士が、
軍隊という組織の中で出会うことで、
「日本人」という「国民的同胞意識」を自覚する機会となったという。
戦争を知らないnikkouには、サッカーのワールドカップでのチームメイトみたいなのを想像するけれど、
きっと「戦友」というは、そんなのより、ずっと濃い関係なんだと思う。
彼らは文字通り生死を共にしたり、「共犯関係」(浅羽通明)を持っている仲間なのだ。

だから、靖国に集うおじいさんたちのうれしそうな顔は、
「戦友」たちとの同窓会のような、いや、もっと強いなつかしさによるものなのかもしれない。
そういう関係がいいとか悪いとか言う前に、おじいさんたちにはそういう「友」がいるのだ、ということをまず意識しておいて、これから少し、続けて書いていきたいと思う。

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June 09, 2005

『光に向かって咲け』―斉藤百合について

6月7日『眠られぬ夜のために』

「…もしわれわれが時代精神全体と相容れず対立するとしたならば、
われわれの人格を犠牲にしてまで、それに従うほどの値打ちがあるものはめったにない。
むしろ逆に、個人が時代精神に以前と違った方向を与えたという事実は、
これまで少なくないのである。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

友人のてじょんさんのお誘いで、常盤台教会の映画上映会に行ってきた。

てじょんさんのホームページ
http://homepage3.nifty.com/taejeon/

二本立てで、一本はマザーテレサ、もう一本は斉藤百合という女性について。

斉藤百合という女性のことを、nikkouはなにも知らなかった。
戦前、盲人の女性の地位向上につとめた人である。
本人も盲人であった。
その生涯は、岩波新書『光に向かって咲け―斉藤百合の生涯』(粟津キヨ著)にくわしい。
戦前の盲女性がどういう暮らしをしていたか、…などと、nikkouは、考えた事もなかった。
というよりも、そういう問いを、思い浮かべたことすらない。
だから、映画を見ながら、はーっとショックを受ける想いであった。

戦前の女性には、結婚して家庭を切り盛りすることが最も重要な仕事であったという。
今のように、オール電化の世ではないので、家事は重労働。
盲人には危険きわまりない、ということで、
家事訓練は最初から受けられない。
ということは、失明した時点で、結婚することは不可能。
裕福であれば、家の奥深くにひっそりとかくまわれ、
貧しければ、女按摩として、温泉街を流しあるき、父の知らぬ子供を生むことも少なくなかった、というのだ。

斉藤百合は、11歳のとき森巻耳(けんじ)・しげ夫妻のクリスチャンホームにひきとられ、
リベラルな家庭でのびのび育ち、
長じては、東京女子大学の一期生に入学。
当時の日本では型破りな盲人女性であったらしい。
まさに「時代精神」に立ち向かった人である。

盲人の女性に家事訓練を受けさせ、教養を身につける私塾をひらき、
自立と、結婚をする勇気を持つよう励まし、
自身、私塾を経営しつつ、4人の子供を育てた。

クリスチャンでもあった。
当時の男性と、百合との信仰のとらえかたの違いにも、「時代」が現れていて面白い。

日本ライトハウス発行の点字雑誌『黎明』に
「盲女子を性の誘惑から守り、異性に心を向けさせぬために、信仰を持たすべし」と書いた岩橋武夫と、
百合の私塾に入りたい、という手紙をよこした17歳の少女に、
「かたい土の下にも春の息吹は感じられます。
ものみなが、芽吹くこのとき、どうして盲女子だけがからにとじこもっていなければならないのでしょう。
勇気を出しなさい。
神様は必要を満たしてくださるでしょう。」
と励ましの返事を書いた百合。

岩橋武夫の文章に、女子であるnikkouは、信仰をなんだと思っているんだ、とむっとするが、
当時の人びとの眼には、百合のほうが非常識に映っていたかもしれない。

「神を愛する者たち、すなわち神の計画に従って召された者たちにとっては、
すべてのことが共に働いて善へと至る、ということを私たちは知っている。」
(ローマ人への手紙8章28節:青野太潮訳)

まったくね、永遠のときを通して人々の営みを見る神のまなざしからは、なにが善とされるのか、
時代に縛られた人間にはわからない、ということもあるんだろう。
nikkouは、ただしく計画に従って働いているだろうか。
ふぅむ、省みるとなんだかちょっと恐ろしい…。

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June 04, 2005

ありがとう、アンドレ・クラウチ

6月4日『眠られぬ夜のために』

「ヨハネの黙示録三の二〇には、
神の霊が心の戸の外に立ってたたくとき、われわれがその戸を開ける
とされている。
つまり、
われわれの願いに応じて神の霊がより善き生活の戸を開けるのではない、
という意味であるが、
これは人間の意志の自由についての重大な見解である。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

先週、アメリカのゴスペルシンガー、アンドレ・クラウチが来日、
そのライブを聴きに行った。

http://committed.jp/gospelfest/
現れたのは、でかいおじさんだった。
野太いガラガラ声、のったりのったりした黒人英語。
「日本には、友達のおかあさんのbirthday partyで来たんだ、
まさか歌わされるとは思わなかったから、バンドもないし、バックコーラスも少ないよ」
とコテコテのアメリカンジョークで会場を沸かせつつ、
アンドレらしい口ずさみやすい旋律の、明るい曲をいくつも聴かせてくれた。

そして最後に、アンドレは、こんなことを話した。

「一年九ヶ月前、突然、母が死んだ。

…その日、実家に寄ったら、母が今日は泊まっていけっていうから、
母の部屋で寝たんだよ。
でも、『いびきがうるさい!』ってたたき起こされて、
しかたないから帰ったんだ。(会場・笑)
次の朝、父から電話があって、『母さんが死んだよ』って知らされた。

その半年後には父が死んだ。

そしてその2ヵ月後、兄も死んだ。
兄が礼拝をめずらしく休んだんで、電話したら、おなかが痛いっていうんだ、
それから、すぐだった。」

こうしてパタパタと身内が亡くなってゆく中で、
アンドレ自身も癌になった。
信仰がゆらぎそうになった、という。

「神様がね、それでも、歌え、って言うんだ。
こうやってね、『聴いているから』って。」
と、アンドレは片頬に手を当てて耳を傾けるジェスチャーをして、会場はすこし笑った。

「癌は治った。だからこうして日本に来られた」
とアンドレは言う。

けれども、ふとnikkouは思った。
アンドレが地上で歌うことのできる日数は、もう長くないのかもしれない。

もしそれならば、どうか、神様、アンドレに伝えてほしい。
アンドレ、あなたの人生は神様に用いられていたよ、って。


  3年前の4月1日、お稽古事として始めたゴスペルのスタジオで、
  アンドレ・クラウチの「Jesus is the answer」を歌った。

  「もし、君の頭上に青空が見えないのなら、
  もし、目の前の山が高くって、とても登れないと思っているのなら、
  どうか、知ってほしい。

  イエスは答えだ。」


  nikkouに、この歌はこう聞こえた。

  人生は難題だらけだ。取り組むこともつらいだろう。
  でも、あきらめたり、分かったふりをしないで。
  答えはきっとあるから。
  イエスはそのことをわたしたちに教えてくれたんだよ。

  「求めなさい、そうすれば、与えられます。(マタイによる福音書7章7節)」

  そして、この歌が、
  イエスを信じられなかったわたしの背中をぐっと押してくれた。
  この歌こそ、神の霊が、戸をたたく音だった。

アンドレは、最後に「Lord I thank you」(朝ごとに、あなたに賛美をささげられる喜びを感謝します)
という歌を歌って、さっとステージを降りた。
nikkouは、会場が明るくなるなり、ひとごみをかきわけ、かきわけ、
ステージに駆け寄ったけれど、
「もうアンドレは帰った」と言われた。

伝えたかった。
アンドレ、あなたの歌は、海を越えて、一人の日本人に、イエスを伝えた。
きっとあなたの肉体がこの地上からなくなっても、
神様はあなたの歌を用いるだろう。
だから、アンドレ、あなたがこの地上に生きて、神様を伝える歌を作って、歌い続けてきた事に、
わたしはとても感謝している。
ありがとう。

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June 01, 2005

疲れはてて、落ち込む前に祈れ

6月1日『眠られぬ夜のために』

「神の慎重な、ゆるやかな導きは、
みずからそれを体験しないかぎり、
だれもが信じがたい、最も不思議な経験の一つである。

それはいつも苦痛と不安とを通して行われるものである。
人はたえず、自分の所有する一切のものを捧げ、
とくにこれだけはほんとうに自分のものといえる自己の意志をも、
完全に神にゆだねる覚悟をしなければならない。
そうすると突然、新しい段階が開けてくる。」

(中略)

「自分で選んだ道では、たいてい、いたずらに飛び立とうとはばたいた挙句、
疲れはてて、また世間並みの考え方に落ち込むにすぎない。」

(岩波文庫:草間・大和訳)

ここ一ヶ月ばかり、nikkouは、仕事で営業外回りの日々である。
荷物は重いし、雨だったり暑かったりするし、訪問先はたいがい初対面の人だしで、消耗することこのうえない。
疲れると、たいがい自信喪失をする。

おとといは、帰宅するなり友人に電話をし、ジメジメ泣き言をこぼした。
友人はあれやこれやと励ましてくれたが、
nikkouが一向に機嫌を直さないとみるや、きっぱりとこう言った。

「祈ろう。」

…友よ、正直に打ち明けますと、nikkouはそのとき、祈る気分じゃありませんでした。
頭ン中に砂が詰まったみたいで、祈る言葉なんて出て来やしないんだもん。

それでも、受話器を握りなおし、電話機の前に居住まいをただし、素直に目を閉じた。

友は祈った。
今日一日、nikkouが神に守られたことを感謝し、
神に信頼して明日を恐れぬよう、
もし、今、nikkouが神への信頼を持てずに明日を恐れているのなら、その罪を許してくださるように、
と祈った。

友の祈りに導かれて、nikkouは、今日の一日を省み、静かな思索へと降りていった。
…今日は雨の中の緑がとても美しかった。

思い巡らせば、この不快感は肉体的な疲労感にすぎない。
つぶさに振り返れば、なにも悪いことは無かった。

今日一日の仕事をなすために、多くの同僚たちの努力があった。

私がこの仕事に就くまでにも、私は豊かな環境の中で育まれ、さまざまな人たちとの出会いがあった。

たしかな一日一日の上に、今日があった。充実した一日であった。
明日のことも思い煩うのはよそう。

次第に心が静まり、あたたかくなる。
…主よ、感謝します。
今日までの出会いに感謝します。
今日、またひとつ、出会いが与えられたことに感謝します。
明日もまた、あなたにゆだねます。
と、nikkouも続いて祈った。
受話器を通して、友が「アーメン」とささやいた。

不思議なことだ。
人に話せば重たい愚痴となることも、
時と空間を越える存在、主に語れば、些細なこととなる。
感情や気分に支配されずに、落ち着いたまなざしで眺められるようになる。
頭に詰まっていた砂が、さらさらとこぼれ落ちてゆく。

今日のヒルティが、今日のnikkouには、深くうなずける。

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