« 100万人のキャンドルナイト | Main | アメイジング・グレイスinキャンドル・ナイト »

June 21, 2005

聖霊ってなに?

6月20日『眠られぬ夜のために』

「神は、神の聖霊を役立てたいと思う人びとにだけ、それを授け給うのであって、
ただそれを所有して楽しむためには、与えられない」
(岩波文庫:草間・大和訳)

「聖霊」という言葉は、クリスチャンの世界でしか聞かない語彙である。
神は「父なる神、子なるキリスト、聖霊」という三種類の形態をとる、ということをフレーズとしては知っていても、それがどういうことなのか、クリスチャン3年生のnikkouは、実はよく分かっていない。
とくに、「聖霊」というのがなぞの存在である。

岩波書店「新約聖書」の注によると、
新約聖書に「聖霊」という言葉は275回出てくるんだそうで、
それをひとつひとつ丁寧に読めば、きっと
どういう感覚、どういう思いのとき
「聖霊を感じる」というのかわかるんだろうな。
いずれ、ひとつひとつ書き出して、じっくり考えてみようと思う。
それはnikkouの今後の宿題。

ヒルティによると、「聖霊」というのは神様から「授けられる」ものである。
と同時に、「所有」することもできちゃう。
(しちゃダメ、とは言っているけど)

それで思い出したのは、アメリカにゴスペル旅行に行ったとき、礼拝に参加した黒人教会のことだ。
黒人教会では、説教や賛美で感極まると、黒人さんたちがトランス状態に陥る。
泣いて、震えて、床に倒れて、走り回って、叫ぶ。
なんていうか、黒人「文化」だなあ、と思って見てしまう。
彼らはそれを「聖霊が降りてきた」という。

このようなトランス状態は、聖書の時代からあったことだ、と
わたしの通う教会の牧師は聖書を紐解いて教えてくれた。
そして、そのような状態に陥ることで、病が本当に治ることもあるんだそうだ。

これはnikkouの個人的な見解なのだけど、
たぶん、あの「聖霊が降りてきた」という状態は、
彼らの精神状態を表現する一種の方法、手段なんだろうと思う。
大人になると、とても激しく感動したり、
激しい怒りを感じたり、苦しみを感じたりしても、
それを社会で表に出す事はいけないこととされている。
そうした抑圧した思いを、
「どうぞ、ぶちまけなさい、だれも気にしないよ。」と
やさしく受け止めてくれるのが、
あの「黒人教会」という環境なんだろうと思う。

大人になっても、わんわん泣きたいことってある。
だから、教会がそうやって彼らを癒してきた事は、本当に大切なことだと思う。

でも、個人的には「聖霊」の働きというのは、
さらにもう一歩前進するエネルギーのことなんじゃないかな、と思っている。
ヒルティ的に言えば、「所有」しちゃいけない、
つまり、泣いて癒されて、すっきりしちゃったら、もうおしまい、じゃないんじゃないかな、って思う。
イエス様は「聖霊」に満たされたときは、人びとに向かって福音を、愛を投げかけるし、
イエスの弟子たちは、「聖霊」を受けたのち、迫害にあっても、「神の国は近い!イエス様はまた来る!」と証言しつづけた。

と、すると、先日書いた、斉藤百合さんを動かし続けたガソリンも、「聖霊」だったのかなあ、と思う。
http://nikkou.cocolog-nifty.com/nemurarenuyorunotameni/2005/06/post_674d.html

なんだか、まだ中途半端な見解だから、まとまらないけれど、
「聖霊」というのが、nikkouの中で大きな課題だ、ということだけ、
今日は書き留めておきたい。

|

« 100万人のキャンドルナイト | Main | アメイジング・グレイスinキャンドル・ナイト »

「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91294/4642753

Listed below are links to weblogs that reference 聖霊ってなに?:

« 100万人のキャンドルナイト | Main | アメイジング・グレイスinキャンドル・ナイト »