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July 31, 2005

「宗教教育」について

8月1日『眠られぬ夜のために』第一部

「(祈りや教会通いやそのほかの「宗教行事」は)
われわれの魂の力を高めるための手段であるべきで、
ただこの目的をみたすかぎりにおいてのみ、その価値を持つのである。

(中略)

この点は、すべての宗教教育の根本的な誤りがある。
宗教教育というものは、つねにただ入門的なものにすぎず、
まだ信仰の大部分をまったくのみこめない子供の心に嫌悪を起こさせなければ最上である。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

仕事で都内の高校をいくつも訪問したのだが、
いやはや、ミッションスクールの多いこと。
東京の私学なんて、3校に2校はミッションスクールなんじゃないか。
(印象として、ね。別に数えたわけじゃあない。)

こんなにミッションスクールが多いんじゃあ、
日本中クリスチャンばっかりになりそうだけれど、
そうならないのはなぜなんだろう。

nikkouは小学校から高校まで国公立で教育を受けたので、
こうしたミッションスクールでどのような教育がなされているのか、
具体的にはよく分からない。
クリスチャンホーム育ちでもないので、家庭で「キリスト教」的な教育を受けたこともない。
また、ヒルティの指すドイツの「宗教教育」がどういうものかも、よく分からない。

だから、というわけではないが、最近、いや、実はずっと前から
ひそかに心配していることがある。

わたし自身がいつか、母親となったときの、子供のへ「宗教教育」についてである。
いったいどうしたものだろうか。
どこまでが、ヒルティの言う「子供の心に嫌悪感を抱かせない」ラインなのだろうか。

nikkouの知り合いのさるクリスチャンの夫婦は、
「地元の夏祭りの雰囲気がいやだ」と言った。
たしかに、地方では氏子でもないのに集金を強要する習慣があるとは聞く。
それは、ちょっといやだなあ、とnikkouも思うのだけれど、
でも、夏祭りそのものは、実はとても好きなのだ。
というのも、
nikkouは、夏祭りに、たった200円のお小遣いをやりくりして、
シャボン玉を買い、きんぎょすくいか、ヨーヨー釣りか、迷い
お兄さんたちの神輿を担ぐ姿を境内でうっとり見送り…という
東京人ながら切ない夏祭りの思い出を胸に抱いているのである。
しかし、ご夫婦の前で、
「えー、わたし夏祭り好きですよ」と言えなかった。
なんだか、そういうのがはばかられた。

今、nikkouはクリスチャンとして生きつつ、
自分の中に育んできた日本のいわゆる「異教徒」の文化との折り合いに、
悩む…とまでいかなくても、違和感を感じている。
nikkouを育ててきた「異教徒」の文化をないがしろにしたくない、という思いがあるのだ。

だから、nikkouは、将来子供に、「クリスチャンだから」という理由で何かを禁じたくない。

そういえば、クリスチャンホームとして子供を育てている友人に、あるとき、
「七五三はどうしているんですか?」と聞いてみた。
彼は、「千歳飴がほしい、と言われれば買ってやる」と言った。
しかし、「神社には、当然、詣でないよ」と。
そして
「子供が、クリスチャンでないヨソのお家がうらやましい、と思うことのないようにすればいいんだ」とも言っていた。

また、クリスチャンホームに育ったある友人は子供のころ、
「初詣に行きたい」と父親にせびったところ、連れて行ってくれた、という。
「でも、父は『お前だけ、行って来なさい』と、鳥居の前で待っていた」という。


とりあえず、親と子供が別の人格であることを認めて、
親の価値観を示しつつ、子供に強制しない、
というのが、この二つの家庭のありかたのように思うけれど、
nikkou自身が、価値観を形成中なので、
そんなものを一貫して持つことができるんだろうか、と思ったりする。

ま、文字通り、「案ずるより産むが易し」なんだろうけれどね。

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July 28, 2005

冷淡な人が好き

7月28日『眠られぬ夜のために』第一部

「幸福と名誉はいわば女性である。
彼女たちは、彼女たちを追いかけないで、むしろいくらか冷淡に扱う人を求める」
(岩波文庫:草間・大和訳)

なんだか、分かったような分からないような・・・。
わたしの蔵書の前の持ち主である増田さんは、この項目に赤二重丸をしている。

しかし「冷淡な人」を求めるということなら、
男のほうがずっと顕著じゃありませんか。
かつて流行った『ルール』という恋愛指南書では、「モテる女になるには、男に冷淡にしろ」とはっきり書いてあったぞ(笑)。

一行あいて、ヒルティは続ける。
ちょっと長いので要約すると、

「人には親切にしろ」しかし、「人に多くを要求したり期待したりするな」、
「そうすれば、人生の大きな苦痛を最もたやすくのがれることができる」

と、いつものとおりの処世術である。
ところが。
今日のヒルティはちょっとちがうのだ。
いわく、

「ただし、また大きな喜びをのがすことにもなろう。」

って、
   …………えっ!!
              今までと話がちがうじゃん。

さらに
「あなたが大きな喜び得たいと思うなら」
相手に期待したり要求したりしない、なんてことしなくていい、
とわざわざ念押しの一行まで。

ちなみに、nikkouには、「人には要求せず、期待せず」という人間関係のほうが、ずっと楽である。
人とは浅く、薄く。
それは、たしかに、「苦痛」の少ない生活である。
親切にはしてあげるけど、あんまりわたしに干渉しないでね、という関係だから。
nikkouが恋愛にオクテだったのも、そのあたりに根がある気がする。
「冷淡な人」を求める傾向は、nikkouにもあったのだけど、
それは、「冷淡な人」は干渉してこないからだ。
熱く関わるとなると、
相手の期待と要求に応えられない自分の精神的な未熟さがどんどん浮き彫りになっていく。
のみならず、期待と要求に応えてくれない相手の未熟さもイライラの元凶になる。
それに堪えうるか否か、ええい、面倒だっ!最初から可能性のない「冷淡な人」にあこがれているほうが楽だ!みたいな。

しかし、そうか、ヒルティ爺さん。
そういう関係に「大きな喜び」はないか。
では、nikkouも、愛する人たちに期待と要求を突きつけていこうじゃないか。
その代わり、nikkouも、相手の期待と要求に応えていかねばならないんだろうな。
期待と要求を注ぎあって堪えあって、
ある日、どっかーんと爆発して、ぶつかって、がちゃがちゃ言い争って、罵り合って、
でも、その後仲直りして、期待と要求をすこし変えたり妥協したりして、みたいな熱い関係、トライしてみようか。

と決意したところで、
さらにヒルティはひとこと。

「もっとも、だれでもそういう喜びを得るにふさわしいとは限らない。」
…って、
えー。

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July 23, 2005

道ばたの心地よいホテルで

7月23日『眠られぬ夜のために』第一部

「内的生活はいろいろな点で登山に似ている。
われわれは、案内人もなしに登山したり、あるいは道をよく知らない案内人をつれて、またザイルで体を結び合いもせずに無能な仲間と一緒に登山を企ててはならない。
しかしまた、元来登山のできない人にまで、一緒に高い山に登ることを求むべきではない。
そういうことは、お互いに不愉快のたねになるだけである。
むしろ、もっと低い土地で、道ばたの心地よいホテルならば、そのような人たちとも、親密に、互いに有益に交わることができるものである。」
(岩波文庫:草間・大和訳)


今日は人間関係について。

ヒルティの処世術は一貫していて、

①相手には押し付けがましくするな。
②自分は自分のペースを守れ。

ということである。
今日の「内的生活」(信仰生活のこと?)も、「登山」のように、
①それぞれのペースで登れ、
②人には依存するな、
ということがポイントなんだろう。

人間と神が常に一対一で対峙するクリスチャンの発想ゆえかもしれない。

面白いのは最後の一文。
交流は「道ばたの心地よいホテルで」。
これを読んでいて、「内的生活」とはちょっとそれるけれど、思い出したことがあるので、書いてみたい。

高校生のころである。
修学旅行で京都に行くこととなった。
学校側の手抜きか、はたまた「自由」を尊ぶ校風ゆえか
現地では「班別自由行動」となっていた。

nikkouは例によって「群れない女の子」だったので、いきなり班の結成にあぶれた。
とはいえ、イジメられていたわけではないので、ある女の子たちのグループが情けをかけてくれた。
ただし、
「わたしたち、もうプランがあるから、邪魔しないでね」という条件つきで。

ちなみに彼女達のプランとは、
「京都タワーに登ってカラオケして嵐山で買い物をして抹茶パフェを食べる」
というものであった。
で、nikkouのプランは
「文学(オタク)散歩」。
……
…まじめちゃんですね~、今だったら抹茶パフェだなー。

そんなnikkouのプランは、学校への提出用として利用され、
nikkouは班からあぶれずにすみ、
互いの利害が一致したところで、仲良く現地入り。
集合場所と時間を決めて、別行動、となった。

当日までに吉川英治『新平家物語』と橋本治『窯変源氏物語』を耽読していったnikkouにとって、
京都は満足度100%であった。
光源氏と六条御息所の別れの舞台となった野々宮神社では黒鳥居と竹林にウットリし、
芭蕉の弟子其角の庵、「落柿舎」では一句したためて投句し、
八坂神社の境内に清盛の妻の祇園女御塚をみつけて、おしっこを漏らしそうなくらい興奮し
   ……ああ、…へんな女子高校生。

彼女達もきっと、京都抹茶パフェを堪能していたことでしょう、めでたしめでたし…
…とはいかないのが、おばかな高校生である。

東京に戻る前日、慣れない土地の交通機関に右往左往するうちに、
nikkouは待ち合わせ時間に遅刻、宿の門限にも遅れ、
nikkouの単独行動が先生たちにバレてしまったのである。

班の全員に反省文の提出を求められ
「推薦入試の内申点に響く」と泣くやつあり、
「あたしたちが、何を反省しなきゃいけないの!?」と切れるやつあり、
nikkouはなんだかすごい悪者になってしまい、
てんやわんやでありました。

っていうか、「班別自由行動」ってむりですよ、先生。
大人じゃ、趣味の違う人間同士、徒党組んで旅行なんか、絶対しないでしょうよ。

どーしたって趣味のあわない人っている。
どちらが正しいとか誤っているとかいうレベルじゃなくって。

たとえばnikkouだって、ある種の音楽には感動しないし、
数式を見て「美しい」とか「醜い」とか言う人たちの美意識には、ごめんなさい、わかりません、である。

それは言葉で説明しても無理なんである。
全国有数の進学校であったnikkouの高校では、
小林秀雄がつらつら「平家物語」の美意識をつづっても、
「さっぱりわからない」と言いつつ、現代文のテストの成績はきちんととれる同級生が山のようにいた。

だから、
ヒルティの言うように、
「道端の心地よいホテル」で和気藹々しているのが賢明。
…って、今日はだいぶ曲解した?

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July 22, 2005

ブルックリン・タバナクル来日

先週から、アメリカのブルックリン・タバナクルというゴスペルクワイアーが来日している。
(正確には、人数が到らず「クワイアー」(合唱団)ではなく「シンガーズ」であったが)

昨日、nikkouもコンサートに行ってきた。
このクワイアーはグラミー賞を6度も受賞しているということで、
絶叫したり気絶したりするようなコテコテの黒人ゴスペルよりは、歌い口も洗練された感じ。
nikkouの好きな歌ももりだくさんで、音楽そのものはたっぷり堪能した。
「自由とはこういうものだったのか!」という歌など、涙が出そうになったよ。
ゴスペルというのは、救われた感動を反芻できるので、本当にいいものだ。

あの客席にいたひとたちの何人かがすでにレポートを書いているので、ご参照あれ。
それぞれ切り口が面白い。
つぶやき亭
http://tsubuyakitei.tea-nifty.com/luke/2005/07/post_0320.html
きゃっかるぅん日記
http://yaplog.jp/gumbo/archive/170#BlogEntryExtend
ヨコシのデボーション日記
http://devotion.269g.net/article/534720.html
そんなとこなのよ
http://blog.drecom.jp/zoo-mania/category_5/

さて、nikkou的に面白かったのは、コンサートにはさまれたビデオである。
現在、ブルックリン・タバナクルで歌っているある白人男性のドキュメンタリーなのだが、
これが、なかなか強烈であった。

ニューヨークで日に3000ドル稼ぐカリスマ美容師だったという彼が、
パリでヘロインを覚え、
薬物中毒で一気に路上生活者へ転落した、というお話。
それでも、どん底で「主の名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマの信徒への手紙10章13節)という聖書の言葉がよみがえる、
という精神性が備えられていたためか、
「悔い改めて復活」という逆転劇をたどるのである。

薬物中毒時代のものか、うつろな表情の顔写真が何枚もスライドされ、
まるで法務省の薬物撲滅キャンペーンビデオであった。

で、nikkouは、「アメリカンドリームから路上生活者へ、しかしキリスト教によって救われる・・・とは、なんとまあアメリカ的キリスト教観」と、
自分はクリスチャンのくせに、こういうのを見ると、
いつもちょっと突っ込みたくなっちゃうのだけれど、
今回は、対岸の火事を眺める思いではいられないような気がしていた。

というのも、さっきまで『希望格差社会』(山田昌弘著 筑摩書房)という、世にも恐ろしい本を読んでいたからだ。

日本は、アメリカのように富豪から路上生活者へ、というような社会ではないけれど、
経済成長がとまった今、
どんなに専門性の高い学校に進もうが、どんなに学歴が高かろうが、
一定数はフリーターにしかなれず、
一部の人間が大きな成功をおさめていく、というふうに、
「勝ち組」と「負け組」(嫌な言い方だ)に、これまでにない大きな「格差」が生じる社会になる、という未来予測である。

日本がそんなんになっちゃった後に、アメリカ並みに薬物が出回っちゃったりしたら、ひとたまりもないんじゃないか。
しかも、日本には、「主の名を呼び求める…」的な、どん底を支える精神性がない。
クリスチャンは1%より増えず、仏教はお葬式以外縁がない。
あぶないぞ、これは。

もちろん、薬物がそんなに急速に浸透するはずもないのでnikkouの危惧はまったく突拍子もないことかもしれないけれど、
今後経済成長が望めないのならば、どん底を支える思想、すくなくとも教育くらいはそろそろ用意しておいたほうがいいんじゃないか、なんてことを考えながらの、コンサート帰り道でありました。

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July 21, 2005

読書には要注意

詩篇121篇1~2節 (新共同訳『聖書』)

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。

わたしの助けは来る
  天地を造られた主のもとから。」

ひきつづき、文学の話。

nikkouの2歳下の妹(nikkouは4人姉妹なのだけど、その次女)は、
毎年、誕生日前後に夏目漱石の『こころ』を読むのだそうだ。
読むたびに、ちょっとずつ違って感じる、という。
なんだか分かる気がする。

「文学は人の心を傷つける」というけれど、
本当は、逆に、読む人の心が、実際の生活の中で傷ついているから、
文学に共感するのかもしれない。
妹の場合、毎年あらたな「傷」を増やし、それを文学の中に再発見しているのかもしれない。

詩篇は、旧約聖書の中の、文字どおり「詩」ばかり並べた章で、
まさに、「絶望」と「希望」のオンパレードである。
傷ついて、癒され、倒れては、起き上がり…。
人の世はそのくり返し、とでもいうように。

…ん?そして、その果てはイエスの「受難」と「復活」?
そういえば「復活」がなかったら、イエスの生涯は悲惨なだけだ。

ある友人が、芥川龍之介が自殺したのは、イエスの復活を信じられなかったからではないか、と言った。
彼の絶望の先には、希望がなかったのか。

でも、nikkouは、芥川を、だからダメな小説家なんだ、とは思わない。
彼の小説の中では、いつも「絶望」と「希望」が綱引きをしている。

クリスチャンはいつも「希望」に満ちている、とは限らない。
ときどき、「うーん、もうだめ」と絶望に沈みながら、詩篇を読んでみたりする。
絶望がちょっとばかし勝っているとき、
詩篇は、まあ、待ってみな、と言い聞かせてきたりする。
「わたしの助けは来る」(詩篇121篇 2節)って。

よっぽど敬虔なひとでないかぎり、
「絶望」と「希望」の勝敗は、紙一重だ。
だから、芥川の「綱引き」は切実で、何十年経っても読み続けられる。

読みたい文学を選ぶコツは、
今の自分がどんなタイプの「傷をうけたい」か、
この小説はどのくらいわたしを「傷つける」か、照らし合わせることかもしれない。
4女が死んだ直後に、死者が怨霊となってよみがえる、というホラー小説を読んだ後味の悪さは、今もふか~い傷になって残っている。おバカですねぇ、はい。

ヒルティはこんなことも言う。
「あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、
まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。
というのは、そういう人は
とかく他人の意見や気分にあまりにも染まりやすく、
しかも、それらの意見や気分はおそらく完全に本物とすらいえないし、
またその人自身の事情にも十分ふさわしくないかもしれない。」
(『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫 「6月14日」)

読書には要注意です。

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July 19, 2005

芸術は人の心を傷つけることで感動させる

<7月18日『眠られぬ夜のために 第一部』

「最もよい現代詩であっても、病人や悩める人のためにそれらが果たすところは、
あまりにわずかである。

(「真正な文学」のもっているような「無邪気」と「童心」をとりもどすには)
多くの場合、不幸をくぐりぬけることが必要である。」

(岩波文庫:草間・大和訳)

ずいぶん更新の間を空けてしまったけれど、その間の『眠られぬ夜のために』のエッセイも良かったのよ。
どんどん日が経ってゆくのが惜しい気がする。
その間も時々のぞきに来てくれていたみなさま、ありがとうございます。

さて、今日は文学論。
ヒルティには、「不幸」や「悲しみ」というものが、生きていくうえで欠くべからざるものだ、という強い主張がある。

「どんな方法でよりも、深い悲しみの時に、われわれは神に一層近づく」(7月10日)
とか
「内的人間も、くり返し、時おり火の中に入れられ、それから槌で急激にきたえられねばならない」(6月20日)
とかね。

かなしいこと、くるしいことを、ぐるりんっ!とひっくり返して
それは大切な、得がたい経験だよ、と言えるヒルティは、敬虔なひとだったんだなあ、と思う。

先日、仕事で、茂木健一郎という脳の研究者の「芸術は人の心を傷つけることで感動させる」という文章を読んだ。
読んだ直後はピンとこなかったのだけれど、
今日のヒルティの箇所を読んで、「あ!」と思い当たった。

そう、心の残る文学は、読むとちょっと胸が痛い。
ちくっ、
きりっ、
ずきっ、
しくっ
…としたりする。
ときどき電車の中でじわっと涙ぐんだり、
家でぐすっと洟をかんだりする。

ここ数日間読んだ本で、nikkouは何度「心を傷つけ」ただろう。

nishinomajo『西の魔女が死んだ』梨木香歩(新潮文庫)では
不登校の女の子の「女の子同士のつきあいってめんどくさくって」という言葉に過去を思い起こしてぐさっとし、






kiyoshiko
『きよしこ』重松清(新潮文庫)では、吃音の少年の口にできない言葉が胸につもっていく様に苦しくなり、






hikarinomeri-go-raund『ひかりのメリーゴーラウンド』田口ランディ(理論社)では、初恋の男の子の病を知ってやるせなくなり、






senkoku『宣告』加賀乙彦(新潮文庫)では、死刑囚の恐怖とともにできないもどかしさを思い、




……うーん、きりがない。

「人は、芸術作品に接することで、積極的に傷つけられることを望む」(茂木健一郎)

そう、わざわざ傷つくために文学を読む。
なぜだろう。
茂木氏にいわせると、脳は、そうした「心の傷」を「記憶」して、この悲しみは自分の人生でどれだけ切実なものなのか、という「判断」を、積み重ねていくのだという。
まあ、そういう言い方もできるかな。

nikkouのことばで言うと、
nikkouが、好んで小説をはじめ文学作品で「心を傷つけ」るのは、
その「痛み」を知る前と知った後では、
nikkouの心が少しだけ違うからである。
(ちなみに、意図的に「登場人物はあんまり変わらない」という小説を書く作家もいる。
でも、読み手はやっぱり少し違ってしまうのである。)

ヒルティ言うところの「不幸」をくぐりぬけ、「火」に焼かれることで、
すこぅし、心が強くなる、
・・・とまではいかなくても、そのシュミレーションをしているのかもしれない。
痛みへの想像力を働かせることが、すこしだけできるようになる。

ところで、上記の本の、登場人物たちは、
それぞれ、ちゃんと、火をくぐりぬけて、心が強くなっているので、だいじょうぶ。
本屋さんで見かけたら、ぜひ一度手にお取りくださいませ。

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July 06, 2005

装丁してみた

20050705_2311_000


愛用している岩波文庫『眠られぬ夜のために』がだいぶ傷んできたので、ハードカバーに自装してみました。
新刊本でも持っているのですが、「増田蔵書」の印がある古書店購入本に愛着があり、ぼろぼろになってゆくのが忍びなかったのでした。
なかなか可愛らしくできたのがうれしくて、会社に持っていって同僚に自慢してまわりました。
出版社なので、本などめずらしくもなんともない人たちなのだけど、
「花ぎれまでちゃんとあるじゃない」とマニアックなほめ方をされたりして、それなりに面白がってもらいました。
(「花ぎれ」というのは、本体と背表紙の間に挟まれている布のこと。飾りです。)
20050705_2315_000

もともとの持ち主の増田さんって、ほんと、どんな人だったのかしら。
ときどき赤線がひいてあるところから憶測するに、年配の男性のような気がする。
かつて古本屋にうっぱらった一冊が、今、中身だけ同じなのに別の顔に装丁しなおされて、
あれこれ憶測されていると知ったら、増田さん、どう思うかな。


ちいさな文庫本がハードカバーになっている、っていうのは、予想以上に可愛らしい。
何度も取り出して眺めてしまう。
ほかにも気に入った本で試してみようと、材料の紙を買い込んできてしまった。
やみつきになりそう。
参照したのが、この本。よろしければお試しあれ。


追記

「自分で作る小さな本」(田中 淑恵・文化出版局)を参照に、実際に装丁してみた方のブログ、HPなどを集めてみました。みなさんとても上手。

ハンドメイドジャングル
http://plaza.rakuten.co.jp/utan7/2017

「PAPELITO」にて田中淑恵さんのワークショップ
http://www.h5.dion.ne.jp/~papelito/News02.htm

またたび村
http://blog.so-net.ne.jp/matatabi/archive/c41388
pata's blog
http://cherish.air-nifty.com/blog/cat2346723/index.html
My Favorite Thing
http://www.enjoy.ne.jp/~neko-yanagi/ha-s-1.htm



まねできないけれど、ユニークな手作り本をたくさん掲載していて、眺めているだけでも楽しいのが、
クラフト・エヴィング商會の「らくだこぶ書房21世紀古書目録」(筑摩書房)です。
おすすめ。

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