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July 21, 2005

読書には要注意

詩篇121篇1~2節 (新共同訳『聖書』)

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。

わたしの助けは来る
  天地を造られた主のもとから。」

ひきつづき、文学の話。

nikkouの2歳下の妹(nikkouは4人姉妹なのだけど、その次女)は、
毎年、誕生日前後に夏目漱石の『こころ』を読むのだそうだ。
読むたびに、ちょっとずつ違って感じる、という。
なんだか分かる気がする。

「文学は人の心を傷つける」というけれど、
本当は、逆に、読む人の心が、実際の生活の中で傷ついているから、
文学に共感するのかもしれない。
妹の場合、毎年あらたな「傷」を増やし、それを文学の中に再発見しているのかもしれない。

詩篇は、旧約聖書の中の、文字どおり「詩」ばかり並べた章で、
まさに、「絶望」と「希望」のオンパレードである。
傷ついて、癒され、倒れては、起き上がり…。
人の世はそのくり返し、とでもいうように。

…ん?そして、その果てはイエスの「受難」と「復活」?
そういえば「復活」がなかったら、イエスの生涯は悲惨なだけだ。

ある友人が、芥川龍之介が自殺したのは、イエスの復活を信じられなかったからではないか、と言った。
彼の絶望の先には、希望がなかったのか。

でも、nikkouは、芥川を、だからダメな小説家なんだ、とは思わない。
彼の小説の中では、いつも「絶望」と「希望」が綱引きをしている。

クリスチャンはいつも「希望」に満ちている、とは限らない。
ときどき、「うーん、もうだめ」と絶望に沈みながら、詩篇を読んでみたりする。
絶望がちょっとばかし勝っているとき、
詩篇は、まあ、待ってみな、と言い聞かせてきたりする。
「わたしの助けは来る」(詩篇121篇 2節)って。

よっぽど敬虔なひとでないかぎり、
「絶望」と「希望」の勝敗は、紙一重だ。
だから、芥川の「綱引き」は切実で、何十年経っても読み続けられる。

読みたい文学を選ぶコツは、
今の自分がどんなタイプの「傷をうけたい」か、
この小説はどのくらいわたしを「傷つける」か、照らし合わせることかもしれない。
4女が死んだ直後に、死者が怨霊となってよみがえる、というホラー小説を読んだ後味の悪さは、今もふか~い傷になって残っている。おバカですねぇ、はい。

ヒルティはこんなことも言う。
「あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、
まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。
というのは、そういう人は
とかく他人の意見や気分にあまりにも染まりやすく、
しかも、それらの意見や気分はおそらく完全に本物とすらいえないし、
またその人自身の事情にも十分ふさわしくないかもしれない。」
(『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫 「6月14日」)

読書には要注意です。

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