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August 19, 2005

バナナ君、また会う日まで

「彼自身(イエス・キリスト)、苦難を受けたときに試みにあったので、
試みられている人びとを援けることができるのである。」
(新約聖書「ヘブル人への手紙」2章18節 小林稔訳)

昨晩、バナナ君の「お別れ会」に行って来た。
「お葬式」ではなく、「お別れ会」である。
バナナ君の思い出の写真がスライドで映され
バナナ君のお友達がお別れの言葉を述べ、
バナナ君の好きだった歌をみんなで歌った。
お父様がご挨拶に立たれて、
ゴスペルを歌っていたバナナ君にお経は似合わない、と思って、こういう会にした、ということをお話なさった。

彼は、お父さんお母さんとお兄さんにとても愛されていたんだな、と思う。
何度も自分たちの場合と引き比べてしまうけれど、
仏式のお葬式は、疲れと悲しみでぼんやりしている遺族にとってはとてもらくちんだ。
葬儀屋さんが全部やってくれるし、
意味のわからないお経やお焼香の儀式も、
「とりあえず、なにかはやった」というけじめになるし。
そうじゃなくって、きちんと彼の生涯に向き合うときを設けたご家族の強さと賢明さを思う。

2003年のクリスマスコンサートで、彼が、
体調もしんどいだろうに、2時間舞台にたって、みんなと歌いきった姿を見たとき、
お父様は、彼の上に、
苦しみの中、十字架を背負って歩んだ、というイエス・キリストの姿が重なった、ともおっしゃった。

そうか、とnikkouは、ぐっとした。
イエス様は、
バナナ君と、ともに、歩んでおられたのだ。

ゴスペルを歌っていると、時々、とても純粋で素朴な「思い」に出会う。
既成の「宗教」や理屈ではない、純粋で素朴な「畏怖」の念というか、なにか、そういうもの。

霊前での「Oh Happy Day」、すごくよかった。
いつもは大はしゃぎで歌う歌だけれど、
この日は、とても優しくあたたかく聞こえた。
なによりも、nikkouが、ほっとする想いにつつまれた。

ああ、そういえば、黒人霊歌の多くは、天国に向かうブラザー・シスターたちを見送る歌だ。
天国へ凱旋してゆく友にむけて、ゴスペルはなんとふさわしいことか。

いつか、nikkouが、主のもとに帰る日がきたら、
もうしばし地上に残る友たちよ、
どうか、元気にゴスペルで見送ってほしい。
そうね、やっぱりJesus is the answerかな。
Oh Happy Dayもいいな。
歌声に乗せて、主が、地上に残る愛する人びとを慰めてくださいますように。


「神は人の目から流れる涙を一滴残らず拭い去ってくださる。
もはや死はなく、
もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
古い秩序の事柄は消え去ったからである。」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」21章4節)

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