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September 04, 2005

Calling My Name

9月1日「眠られぬ夜のために」第一部

「神はどんな後悔でも聞きいれてくださる。
ずっと後になってからでも、
また何度も悪へ逆戻りしてからでも、
赦してくださる。
われわれの主は、助力と平和を求めてくるどんな人間をも、突き放しはされない。
もう一度はっきり言うが、
どんな人間をも、
例外なくどんな人間をも。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

ヒルティ、めずらしく、激しい口調である。
ここには引かないけれど、聖書の参考箇所も、今日は旧約から新約にわたって幅広く、複数個所にわたる。
さすが、裁判官であり弁護士であった人である。
こんなふうに、被告を諭したこともあったのだろうか。

Nikkouは、学生時代、このことが、どーしても分からなくって、クリスチャンの友人を見つけては執拗にたずねた。

「ねねね、キリスト教の神様ってさ、どんな罪も赦すんでしょ。
じゃあさ、クリスチャンになったら、窃盗でも殺人でも売買春でも強姦でも、なんでもやりほうだい、ってことなの?」

クリスチャンの友人たちのうち、
二人は「救われると、自分の罪がよく見えるようになって、あまり罪を犯さなくなる」と答えた。
一人が「そうそう、オレもノン・クリのとき、そう思ってた!」と、妙に喜んでいた。けど、彼自身から答えは得られなかった。
一人は「あなたは、『罪』というものが分かっていない!」と机を叩いて怒った。
一人は絶句した。
…ごめんよ、みんな。へんなこと聞いて。

gelmanium
当時、花村萬月の「ゲルマニウムの夜」が芥川賞を受賞した。
カトリックの修道院で孤児として育った主人公が、告解のあとに修道女を犯す、という物語だ。
罪を犯す前に告解しておいた、というわけ。
Nikkouは、そんな小説の前に、うーむと頭を抱えていたのである。
クリスチャンになったら罪を犯すな、というなら分かる。
しかし、際限なく赦してしまう神など、信じていいものか。
理不尽ではないか、不条理ではないか、そんなの、世界が規律を失う。

199910
そういえば、ヤクザに伝道しているアーサー・ホーランド牧師も、
どえりゃ~悪いことをあれこれやってきた男たちが
「オレの罪は赦された~」とか言って喜んでいるのをみると、
ちょっと複雑な気持ちになる、という意味のことを書いていた。正直な人である。

最近練習しているゴスペルソングに、「Calling my name」という曲がある。
ヘゼカイア・ウォーカー率いるザ・ラブ・フェローシップ・クルセード・クワイアーの名曲である。
“救われたったら救われた、神様ってばすばらしい!”という賛美に満ちたゴスペルソングの多いなかで、
この曲はちょっと異質で、
「わたしは、クリスチャンなのに、神様に恵みを受けているはずなのに、ああ、それなのにそれなのに、どうしてこんなに罪ばっかり犯しちゃうんでしょう」と泣きが入るのである。
Nikkouはとくに、「Knowing this」(わかっちゃいるんだけど)っていう歌詞が大好きで、ここにくると、思いっきり力がはいる。
「にも関わらず、主よ、あなたはわたしの名を呼ぶのか。わたしなど、あなたの子にふさわしくない、ひどい人間なのに。」
と歌は続く。

10年前のnikkouの問いに対する答えのヒントがここにある気がする。

神はどんな罪でも、赦すのか。
そうだ。どんな罪でも赦される。
君の罪深い心が、窃盗やら、殺人やら、売春やら、強姦(は、いくらなんぼでもないか)なんぞを引き起こしたとしても、きっと神は赦すだろう。
歴代のクリスチャンたちや、聖書の登場人物は、みんなそうやって赦されてきたことを証言している。

ただし、だ。
『ああ、わたしの罪は赦されているのだ』と気づいたときの痛みたるや、
きっと、『もう、こんなわたし赦さないでほっといてくれたほうがましだ、罰っしてくれたほうが楽だ』といいたいくらいの苦しみにちがいないよ。
…この歌は、そういって泣いているよって。

クリスチャンになって3年目のnikkouであるが、正直に告白して、この3年間にもうすでに何度か罪の味をなめております。
幸いにして(?)、「赦さないでください!」というほどの激しい悔恨はまだ与えられていないものの
さすがに泣いちゃうくらいの自己嫌悪には浸かるし、
そこから踏み出すには、必死に赦しを乞うこともあったりはする。
これ以上の罪との対面は、願わくは避けたいものである。

ただし、わが身を振り返って思うのだが、
人はクリスチャンになろうがなるまいが、死ぬまで罪を犯し続けるだろうと思う。
でも「これは、『罪』だ」と気づくのと気づかないとの差は大きいんじゃないかと思う。
その話は、また後日。

最後に、ヒルティはもうひとこと。

「このような経験をしたことのある人たちが、後になるとかえって、最も信頼できるひとになることがよくある。
というのは、彼らは一方で享楽生活のみじめさを、
他方で平和の幸福を、身をもって深く学び知り、
そのどちらがまさるかを悟っているからである。」

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