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September 19, 2005

暗黒のキリスト教史

9月16日『眠られぬ夜のために』第一部

「最も確実な、つねに目の前に生きている信仰は、
歴史にもとづく信仰である。
(中略)
キリストについても、われわれは歴史によってのみ、
本当にかたい信仰を抱くことができる。
ロゴス理念による形而上学的思想内容などは、
あらかじめ信じていない人たちに対してはほとんど説得力をもたない。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

ドイツ旅行にむけて「物語ドイツ史」(中公新書・阿部謹也)を読んだ。
ドイツとは、ヨーロッパのキリスト教の歴史のメインストリートですな。
カノッサの屈辱あり、十字軍あり、魔女狩りあり、ルターの宗教改革あり、バッハの宗教音楽あり…
歴史の中心にキリスト教あり、である。

学生時代、nikkouはよく、「歴史上のキリスト教会は、科学を批判し、人を弾圧してきたではないか…!」
なんて、
クリスチャンの友人たちに食って掛かったけ。
ちなみに、わたしに食ってかかられた友人の答えは、
「歴史を見るとつまづくよ」でありました。
…オイオイ、なんの返答にもなってねーや(笑)。

しかし今の自分は、当時と歴史の見方が変わっている、ということを、
最近、はた、と気づきました。
ひとことでいうなら、
「歴史はひとごとじゃない。」

ノン・クリスチャンのときは、キリスト教の血なまぐさい歴史、いや、旧約新約を通じて描かれる、愚かでみっともない群集や登場人物は、すべて、「ひとごと」でありました。
わたしは、おだやかで平和な仏教と八百万の神々の国のひと。
こーゆーヒドイ人たちとは無関係だわ、あーよかった、って。
おそらく、そう感じている人は多いだろう。
以前、イラク戦争についても、そのことを書いた。
http://nikkou.cocolog-nifty.com/nemurarenuyorunotameni/2005/03/post_15.html#comments

聖書の中で、罪なく描かれているのはイエスだけである。
それ以外の人びとは、どんな大物であっても、なにかしら欠点があり、罪を犯す。
ましてや、群集たるや、まさに衆愚である。
それらを正直に語り伝えてきたユダヤ民族たちの精神力はなかなかのものである。
では、キリスト教が広まったのち、人間はみな、清くなったか。
否、2000年来、累々と罪に罪を重ねている。
nikkouはクリスチャンになったとたん、清い人となったか。
否、あいかわらず、やな女であります。

「敵のために祈れ」
「7を70倍した回数、相手をゆるせ」
と口をすっぱくして言い続けたイエスを、
けっ、しゃらくせーと十字架にぶちつけた、…のは、「わたし」?とはたと思い当たったとき、
わたしのクリスチャンライフはスタートした。

自らの罪に気づかない、人をゆるせない、待てない、愛せない…という
何千年の人類の歴史の末端に、
21世紀の自分がいる。

キリスト教の歴史は、聖書時代ならずとも、
そう、現在であっても、
罪と、神への立ち返り、しかしまた罪、そして立ち返り、…の延々たるくり返しである。
戦乱に疲弊した中で、
「彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書2章4節)
といい、
しいたげられている民族の中から、
「あなたたちの敵を愛せ」(マタイ福音書5章44節)と言い放ってきた人々の歴史である。

たとえ、人びとが罪を悔いても、
それを実体験としない新しい世代が次々と生まれ、罪を犯し続ける。

だから、私たちクリスチャンは歴史を、自分の罪として、学ばなければならない。
マザーテレサやシュバイツアーやキング牧師のような、
賢明で善良な人々ばかりではなく、
隣人を愛せず、赦せなかった人々からも。
せめて、すこしだけでも、「門口に待ち伏せている罪を治める」(創世記4章7節)ために。

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