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September 19, 2005

待つ、という賭け

9月13日『眠られぬ夜のために』第一部

「多くの人たち…は
自分が体験するすべてのことについて、即座に判断をくださなければならぬと思っている。

たとえば、初めて会ったすべての人について
また2,3ページめくっただけのすべての書物についても。

それだから、しばしば判断を誤って、あとになって訂正をせざるをえなくなる。

あるいは誤りとわかっても自分の考えを固執して、
その結果、自分の品性をそこない、
さらによくないことに、他人をしばしば傷つけたりする。

もしあなたがたがこのような習慣をもっているなら、
しかも新聞通信員を職業としているのでなければ、
そのようなくせをすててしまいなさい。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

「新聞通信員」というのは、今で言うマスコミのことだろう。
今も100年前も、マスコミとはまこと、因果な商売である。

さて、nikkouの好きな聖書のことばに、
つぎのようなものがある。
「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。
だれでも、聞くのに早く、
話すのに遅く、
また怒るのに遅いようにしなさい。」

(ヤコブの手紙一章19節)

まあ、待ちなよ、
まずよく人の話を聞こうや、それから自己主張したり怒ったりしようや、というわけである。
nikkouはけっこうトロいほうなので、聖書に言われるまでもなく、大概すぐには言い返せなかったりする。
しかし、確かにたいてい、3つムカついたことがあったら、
そのうち1つは忘れてしまい、1つは「早まらなくてよかった」というようなことである。
あと1つについては、熟考して、言い返すタイミングと言葉遣いを考えて…といいたいところだが、
ふとしたきっかけでどっかーんと爆発してしまうので、
たいがい先方は驚く。
なんだなんだ、そんなことを、いつまでも根に持っていたわけー?みたいな。
…もうしばし、修養が必要であります。

「待て」というのは、nikkouの信仰そのものにとっても、かなり重要なキーワードである。
「求めなさい、そうすれば与えられます」(マタイ福音書7章7節)のイエスの約束を信じて、
nikkouは、それまで思考停止にしたり、分かったふりをしたり、あきらめたりしていた問題について、
きちんと向き合うことにした。
そうして、クリスチャンをまるまる3年やってきたわけですが、
さあ、答えは得られたのか。

胸を張って答えます。

NO!

わかりません。
わかりゃーしないよ。
人生は奥深い。
バナナ君は27歳で死んじゃうし、
奈美ちゃんは、あたらしいAVに出演するらしいし、
nikkouはあいかわらず、恵まれているし、
主は、それぞれの人の道行きと、この世全体を、一体全体どのように捉えて、どうなさりたいのか。

では、これからの生涯のどこかで分かるのか、
…わかる、かもしれない。
結局よくわからない、かもしれない。
nikkou個人に限って言えば、確信はできません。
(世の中には、見事悟りを開くかたもおられるでしょうが)。

だから、即断して絶望せずに、待ち望む、
「そうすれば、与えられます」というイエスの言葉に期待をかける、ということは、
一種の賭けであるな、と思う今日この頃である。

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