« 最高の話相手 | Main | 豊橋・ホザナ・ゴスペル・クワイアーに行ってきた! »

October 29, 2005

Lord I Thank you for the morning

『眠られぬ夜のために』第一部

「朝、目がさめてすぐ、今日もまた自分が負わねばならぬ十字架のことを思うと、それが自分にはあまりにも重いように思われることがしばしばあろう。
また、その日に、さらに将来に、どんなことが一体起こるかを想像すると、すべての感情のうちで最も不愉快な恐怖感に容易におそわれることがあろう。

しかし、今日もわれわれを目覚めさせてくださった神の恩寵を思い、
また神の国のために果たすべき奉仕について考えるならば、
活動的な人間は、そのために自分がなすことができ
かつ許されている事柄を心に描いて、
喜びの感情がわき起こり、
それが一日中持続することであろう。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

「REJOYS」なんて、できない!
という朝がある。

だから、ヒルティのように、「いやなことがあっても、とりあえず、目覚めた事に、そして、今日一日、神様の国のためにがんばれることを、喜ぼうじゃないか」というメッセージはもっともだけれど、nikkouは、まだ、それを説得力のある言葉で語れない。

ただ、「この朝をありがとう(Lord I Thank you for the morning)」という歌を知っている。
初めて聞いたのは、アメリカのオークランド、ラブ・センター・チャーチにて。
その朝の話を書きたい。
一緒にオークランドに行ったみんなには、ネタの使いまわしでごめんよ。

2003年。nikkouが、クリスチャンになって、一年にも満たないころ。
ゴスペルのワークショップのため、ゴスペル仲間と、アメリカのオークランドに渡った。
ワークショップが行われたのは、「OH Happy day」で有名な、ホーキンズファミリーのいるラブ・センター・チャーチである。日夜、感動的な出会いや、すばらしい音楽に、新鮮な思いをしていたけれど、
それにも増して、nikkouにはけっこうしんどいツアーであった。
200510290101000
わずか一週間の滞在であったが、慣れない食事やホテル生活、おぼつかない語学力に、カルチャーショックを上回るショッキングな黒人さんたちのトランス状態、深夜まで続く賛美礼拝…と、最終日を迎えるころには、へとへとになっていた。
そんな嵐のような一週間の、最終日は日曜日で、朝の礼拝に出席したら、すぐにわたしたちは空港へと向かわなければならなかった。

教会へと向かうバスの中から、オークランドの町のブロックごとの教会で礼拝が行われているのを見た。
カトリックの大きな教会、ヒスパニックのためのバラックのような教会、そして、体育館のような、わたしたちの向かう黒人教会…。
人種ごとに、そして、階級ごとに、通う教会が違う、この国。

オークランドの街並みはとてもまずしい。なのに、教会だけがとても盛んだ。
そういえば、ワークショップの合間を縫って観光に行ったサンフランシスコでは、ナンパしてきた白人の男の子に「オークランドに泊まっている」と告げると、目を丸くして、銃を構えるしぐさをし「こういうところだろう!?」と言った。
そして、「教会でゴスペルを歌うためにきた」というと、胸に手をあてて、取り澄ました顔で賛美歌を歌い、からかうように笑った。
美しいサンフランシスコと黒人街オークランドのえらい違い。
この国では、キング牧師が没して30年以上たった今でもなお、人種差別が色濃く残り、白人の住む町と黒人の住む町に、明確な線が引かれている。


主日礼拝が始まって最初の歌が、
200510290101001
「Lord I  thank you for the morning」であった。
疲労困憊しながら、nikkouは、それをとても憮然とした思いで聴いていた。

「なにが、『主よ、この朝を感謝します』だ。

もし彼らが、アフリカからつれてこられなければ、
きっとこんなに苦労することもなかっただろうに。
神はなぜ、そのような歴史を人類に許したのだ。

そして今なお、差別が残り、
今なお、貧しいこの人たちは、なぜ、こんなに熱狂的に主を礼拝し、賛美するのだ。

黒い人も、白い人も、黄色い人も、
ともに席を並べて、主を賛美する日がくるのか。

…来ないのではないか。
もう、絶望的なのではないか。
主は、なにをしているのだ。
なにも、していないのではないか。」

歌が明るければ明るいほど、nikkouは、空しくて、悔しくて、ぽろぽろと涙を流した。

そして、日本からの客人たちの、最後の歌、ということで、
わたしたちは壇上に上り、
「make us one」を歌ったのである。

涙を拭いつつ、歌っているとき、なぜかふと、あることを思い出した。
「→Sanctuary」というプレートである。
この教会の駐車場から、礼拝堂に向かう階段には、このプレートがところどころに貼りつけられていて、この矢印をたどって、わたしたちは礼拝堂へ入る。
この朝も見た。

200510290101002
「Sanctuary サンクチュアリー」
それは、単に、「礼拝堂」という意味の、道順を示すプレートにすぎなかったのかもしれない。
でも、nikkouは、そのとき、はっとしたのである。

本当に、ここは、サンクチュアリー、聖域だ。
教会を一歩出れば、
スーパーで、100ドル紙幣を出してはいけない、
街中にたむろっているティーンエイジャーたちと目を合わせてはいけない、
…といわれたこの街で、
教会の中だけでは、100ドル札を両替できるし、
子供たちは転がりまわって遊んでいるし、
大人たちは熱い抱擁を交わしている。

この危険で貧しい街の中に、
神様は、サンクチュアリーを築いている。
神様は、なにも、していなくなんか、ないじゃないか。

「神の国はあなたがたの間にある。」(ルカ福音書17章21節)というのは、本当だ。
そして、イエス様が
「アーメン、わたしはすぐに来る」(ヨハネ黙示録22章22節)
と言ったのは、
「絶望しないで、あきらめないで、すべての人種がひとしく生きる神の国は絶対来るんだよ」という希望の宣言だったのだ。

「Lord Thnak you for the morning」を歌うとき、この朝のことを思い出す。

サンクチュアリーが広がりますように。
Rejoys!毎日がどんなにささやかであっても。
アーメン、主イエスよ、来てください。

|

« 最高の話相手 | Main | 豊橋・ホザナ・ゴスペル・クワイアーに行ってきた! »

「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

「4 ゴスペル」カテゴリの記事

Comments

nikkouさん、おはようございます。
私も今年3月、サンフランシスコで礼拝に出席しました。チャイナタウンのFirst Baptist Churchです。ほとんどが中国系アメリカ人の方々でした。『ジョイ・ラック・クラブ』のAmy Tangのお父さんも以前牧師をされていたことがあるそうです。戦火を逃れて中国から渡ってきた方々の子孫が礼拝を守っていらっしゃいました。どんな環境にあっても、言葉が違っても、クリスチャンは神のうちにあって一つ。Sanctuaryは私たちの心の中にあるのですよね!
Rejoice!

Posted by: ゴトウ | October 29, 2005 at 07:04 AM

ゴトウさん

おはようございます。
中国系クリスチャン! これはまた、重たい歴史がありそうですね。神様は本当にすごいなあ…、どんな歴史の中にいる人でも「主にあってひとつ」にしてくださるんですね。

>Sanctuaryは私たちの心の中にあるのですよね!
>Rejoice!

アーメン!
今日一日もRejoice!

Posted by: nikkou | October 29, 2005 at 07:34 AM

主よ、来たりませ。銀座の教文館の6階にある喫茶店は、日本の数少ない、領域かもしれません。ちょっと高いけれど。

Posted by: kkss | October 30, 2005 at 05:44 PM

いつも通りかかるたびに、コーヒー、いいにおいだなあ…、って思ってた。
でも、まだ入ったことがないの。
良い情報をThank you!です。

主イエスは、神の国に先に行って、わたしたちの居場所を用意してくれているんですよね。
そこは、おいしいコーヒーの香るような、居心地のいい場所なんだろうな、と思ってます。

Posted by: nikkou | November 01, 2005 at 12:16 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91294/6539918

Listed below are links to weblogs that reference Lord I Thank you for the morning:

« 最高の話相手 | Main | 豊橋・ホザナ・ゴスペル・クワイアーに行ってきた! »