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December 11, 2005

神が世は、千代に八千代に

『眠られぬ夜のために』第一部

「神の本当のしもべに対する神みずからの信実は、まことに大きなものであって、このような人間がただ一人でもいれば一国の不幸を防ぐことができる。不幸が避けられない時には、その前に、このようなしもべは神のもとに引きとられる。(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

神との関係をしっかり結んだ人は、国を救う。
しかし、その人の命は、神のものだ…。
ヒルティはさらっといっているけれど、これはけっこうダイナミックな歴史観ではあるまいか。

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仕事で文部科学省にゆくと、玄関に「さざれ石」がドカンと鎮座ましましている。
人の世が、千代に八千代にさざれ石の巌となしてコケのむすまで、続くはずがない。
そのことは、古典の時代からさまざまに言い習わされてきた。
国が敗れて残るのは山河だし、諸行は無常である。
「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は、
とこしえに変わることはない。」(イザヤ書40章8節)
だから、
「かみ が よは ちよ に やちよ に」と歌ったほうが、正確。
たった一字で、えらい違いである。 

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先日、「日露戦争」を調べる必要があって、「詳説日本史」(山川出版社)の最新版を開いた。(本書は、日本史の教科書のなかで一番売れているもので、国語の教科書も自然とそれを頼らざるをえなかったりする。)
そこには、「日露戦争に反対した」3名の知識人が太字で記されている。
「『君死に給ふことなかれ』の与謝野晶子
「社会主義者の幸徳秋水
そして、「キリスト教徒の内村鑑三」である。
わたしも子どもの頃、この文脈で内村鑑三の名前を覚えた。
(余談であるが、一年前の夏、初めて「無教会」の人に出会ったとき、時代劇の登場人物の末裔にあったような気がしたのは、この「歴史教科書」のせいだ、と思う。)

ちなみに某社の国語の教科書には、内村の「非戦論」が近代日本の代表的な文章として掲載されていたりする。

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「キリスト教徒ゆえに、日露戦争に反対した内村鑑三」というフレーズは、内村をあまりに「型」にはめすぎている、という文章をどこかで目にしたことがあるが、
それでもやはり、「キリスト教徒」ゆえの行動が、歴史に記される、というのはなかなか名誉なことではないか、と思ったりする。

しかし、内村鑑三は、はたして、ヒルティの言うように「一国の不幸」を防いだのだろうか。

そもそも、キリスト教のルーツ、主イエスの出自は、「国なき民」であるユダヤ人だった。
のみならず、彼はユダヤ人のナショナリズムを逆なでするようなことを平気で言い放っていたし、
「国」のために命を捨てよ、などとは言わず、「友」のために命を捨てることは大いなる愛だ、なんて言う。
ということは、「友」が韓国人やアメリカ人ということもありうるわけだ。
そういう価値観の中で、「一国の不幸」とは、なんぞや。

たしかに、内村鑑三は、日露戦争を止められなかった、かもしれない。
日露戦争から、日中戦争、そして第二次世界大戦へと続く、国の苦難への道のりをとどめることはできなかった、かもしれない。
でも、そんな時代をいくつも乗り越えてきて、
今なお、読みかえす価値のある言葉を残した、ということが、
ひょっとしたら、これからの「一国の不幸」を避ける力、になる、のかもしれない。
今後の「一国の不幸」とは、なにか、今はまだ分からなくても。

だって、ほら、神の世は千代に八千代に、である、
神様にとっては日露戦争から2005年の間なんて一瞬だ、
さらに今から100年後くらいに、主は、
「昨日、日本でわたしと仲が良かった内村って男の信仰は、一国の不幸を避けえたでしょ。」なんて、言うかもしれないよ。

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Comments

第二次世界大戦中、ヒトラー暗殺計画がばれて捕らえられ獄死したボンヘッファーという牧師がいます。何年か前の母教会の読書会で獄中書簡集を読みました。いまだにヨーロッパ社会では平和のシンボルです。最初は「いくらなんでも暗殺なんて牧師のすることじゃない」と思いましたが、その後、日本の歴史と現在の状況を見るにつけ、ボンヘッファーのことを思います。キリスト者も行動を起こさなければいけないときがある!ということでしょう。

Posted by: ゴトウ | December 12, 2005 at 07:12 AM

うーーん、するどいな。内村鑑三を越えて進む、ということですね。越えて進め、と言う神の言葉ですね。

Posted by: sugiyama katsumi | December 12, 2005 at 10:00 PM

>ゴトウさん

ボンヘッファー、早速ネットで検索してみました。
なんだか、映画みたいな生涯の人ですね。
わたしも、読んでみよう、と思います。

>祖父上

歴史の教科書で、内村=日露戦争の反戦者というイメージが定着してしまうとかえって、内村像がゆがんでしまうのかもしれませんね。
まず主ありきの平和、なんですよね、きっと。

Posted by: nikkou | December 14, 2005 at 12:13 AM

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