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December 06, 2005

小さくなって待ちましょう

12月7日『眠られぬ夜のために』第一部

「事の大小にかかわらず、われわれは倹約でなければならない。しかし、これは贅沢をすることが、必要なものさえ持たぬ多くの人たちに対して一つの不正であるという理由からだが、また、倹約によって十分なほどこしができるようにするためである。

ルカ福音書12章20節
『すると神が彼に言われた。「愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意したものは、だれのものになるのか」』

(中略)
だから、あなたがそれでもなにか贅沢というものをしてみたければ、『力以上の施しをする』のが、最も立派な、しかも最も無害な贅沢である。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

必要以上のものを持っていても死んだら意味がないから、人にあげちゃったほうがいい、という考え方は、クリスチャンでなくっても常識的なものなんじゃないか、と思う。
しかしヒルティは、さらに「贅沢は必要なものさえ持っていない人への不正だ」という。先日読んだ『ドイツ体験レポート』(島崎てる久)に同じような考えの倹約家のドイツ人の例が出ていた。そのドイツ人は自分の貯蓄をふやしてゆくことは、飢餓地域の人への間接的な殺人だ、とまで言うらしい。

先日あった証券マンは、「趣味はボランティア。自分も楽しみつつ、人のためにもなる」とのたまわっていた。いいひとなんですよね、基本的には。でも、そんなの、そう得意げに言うことじゃないんじゃないのか、とつっこみそうになった。なんでも、経済的にゆたかじゃない国の孤児院を訪問する団体に関わっているそうである。しかし、あなたが今、箸でつまんでいるそのエビチリのえびがどこの国から来たのか、知ってる?本は読まない、って言ってたから、考えたこともないのかもしれないけれど。

nikkouも、10年来、月に1日、障害者介助のボランティアをしている。その相手方の女性もこのブログを読んでいてくださるので、このことを書くのはいささか面映いのであるが、今、言わずにはいられないので、勇気を出して書く。

介助にゆくのは、正直辛い朝もある。
仕事が忙しくて疲れていたり、体調がすぐれなかったり、天気が悪かったりすると、行きたくね~、と思う。
そんな時には、介助も粗雑になってしまって、申し訳ないと思う。
それでも、
わたしのようなものでも、
いないよりはマシか、――そう思って、次の日曜も彼女の家に向かう。

わたしが介助に関わる事で、障害者福祉は変わったか。
変わらない。きっと、関係ない。
わたしにできるのは、彼女の生活が「普通に」営まれるよう、月に一日だけ、手伝う、それだけである。


経済的に貧しい国の子供たちに一生懸命援助し、時に現地を訪れ、ともに歌ったり遊んだりする…それ自体は、すばらしい。なにも批判はない。

しかし、どんなに援助をしても、そのうち何人かは、売春婦や麻薬の密売人になるだろう。生きること自体が苦しい、そういう国だ。
子供たちの苦難は、本当は、政治や経済や社会の問題だ。
そして、直接・間接的に、先進国の消費者であるわたしが、彼らを苦しめる一端を担っているかもしれない。

でも。でも、なにもしないよりは、せめて、なにか、せめて、なんぼかでも――
その含羞と、罪悪感を、
このひととは、共有できない…

別に、泣け、というのではない。暗い顔をせよ、というのでもない。
nikkouだって、介助をしているとき、泣いたり同情しているひまがあったら、動け、ということを身をもって学んだ。

ただ、君には、恥ってものがないのか?と、それだけが言いたかった。「明るさ」ばかりが正しいのではない。

48388
Kikiさんというゴスペルシンガーがいる。
彼女の率いるゴスペルクワイアーも、フィリピンのストリートチルドレンの支援に関わっているのだが、
いつも、コンサートのたびに、マザーテレサからの手紙を読む。
彼女がマザーに宛てた手紙の返信だという。
彼女が、マザーになんと訴えたのかは、本人が明かさないので分からない。
ただ、ネガティブな内容であることはたしかだ。
それに対するマザーの返信は(正確にはわからないのだが、覚えている限りでは)、こういう内容だったと思う。

――ただ、小さくなって、主を、待ちましょう。

Mother_Teresa-002
主を待ちましょう。
いつか、主が、平和な神の国を作ってくださる日を。
いつか、主が、再び来て、すべての涙を拭い去ってくださる日を。

それまで、わたしたちは小さく、謙虚であらねばならない。
わたしたちにはなにもできない。
なにか、偉大なことがなされるとしたら、それはわたしたちではなく、神のみわざだ。

「ボランティア」なる活動をするとき、わたしたちは神ではない、ということを肝に銘じなければならない。
そして、だれかのこと…障害をもつ人のこと、病をもつ人のこと、家を失い、親を失ったこどもたちのこと…を、その本当の辛さ、悲しさ、苦しさを、わたしは本当に理解することはできない、わたしのことを、他人が正確に理解してくれることのないように―ということを、きちんとわきまえた上で、
せめて、なにか…という思いを、を形にする。
自分にできるのはそれくらいのことだ、ということを、わきまえて、
含羞をわすれないことだ、と、そう思っている。

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Comments

さっき母を寝かしつけました。喉を詰まらせるので、横向きにしました。穏やかな寝顔は息子の幸せです。暮れにあまり、やけになって、のみすぎ、ないよう。杉

Posted by: sugiyama katsumi | December 06, 2005 at 10:16 PM

杉山さんのお宅の穏やかさにハレルヤ。

飲み会はないんだけど…仕事が忙しい上に、能力の限界を試されているようで、緊張の日々です。
仕事って、やっているうちにできるようになるもんなんだろうか。

Posted by: nikkou | December 07, 2005 at 09:12 PM

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