« ライフスタイルフォーラム | Main | 十字架を負え »

January 19, 2006

自分の感受性くらい

『眠られぬ夜のために』1月19日

「正しい、誠実な、かつ率直な親愛は、兄弟姉妹や親戚の間では、およそこの上なくよいものである。
けれどもそれは義務でなく、自由意志に基づくべきものであり、
ただ感情だけではく、理性をもって扱わねばならない事柄である。(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

兄弟姉妹や、親戚との親愛について(…この場合、両親は入らないのかな。)
義務でなく、自由意志にあって愛する、
感情だけでなく、理性ももって付き合う…。
とはいうものの。

nikkouは、親兄弟を愛しているか、と問われれば、愛している、と答えるけれど、
もし、彼らが親兄弟じゃなくって、職場の同僚上司や、学校の同級生として出会っていたら、好きになっただろうか。ちょっと、わからない。確実に、「好き!」と言える「親友」とか「恋人」とかと違って、なんだか、もう、彼らは好きか嫌いかなんて、超えた存在になっているような気がする。

4480705627
茨木のり子さんに、「じぶんの感受性くらい」という詩がある。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」

(茨木のり子集「言の葉」2 筑摩書房)

この詩を、歌手の沢知恵さんが中川五郎作曲の節で歌っている。
歌のなかでは、「近親のせいにはするな」を「親のせいにはするな」としている。

watashigaichibankireidattatoki
(余談だが、この歌を含むアルバム「わたしが一番きれいだったとき」は、絶品です。
カバー中心なのだけど、
松田聖子「スウィートメモリーズ」を大人なjazzyな感じに歌い上げていたり、
ユーミンの「ひこうき雲」を、友人の故・鷺澤萌にささげていたり、
さだまさしの「人生の贈り物」をハングルまじりで、しみじみと語っていたり、
もー、本当に、「いい歌いろいろ」であります。)

さて、親のせいにするな、である。

nikkouは、5年前に、ためていた夏冬のボーナスを胸に、突然、家を出た。
母親に言わせると、「飼い犬が綱を噛み切って飛び出したみたいだった」らしい。
とにかく、このままじゃ、わたしはだめになる、と思ったのだ。
両親の甘く暖かい監視と保護の中で、いつの間にか、20代も半ばをすぎていた。

安アパートの生活は刺激的だった。
薄い壁をとおして、隣の生活が筒抜けだった。
右隣はヒゲをはやした29歳くらいの男の人で、時々彼女さんが来て、家庭的な香りをはなち、楽しそうなおしゃべりや笑い声が高く聞こえた・・・かと思うと、突然ふっと静かになったりした(笑)。

親と同居中は買わなかった下着とミニスカートを買い、
友人と深夜まで長電話をした。
親がいやがる障害者介助のボランティアにも復帰した。
…根が真面目だったので、まあ、その程度だ。

親に合鍵を渡していたので、母親が、始終様子を見に来た。
nikkouが会社に行っている間にアパートに入り込み、ふとんを干し、空気清浄機を持ち込んで空気を浄化し、食料を補充して帰り、夜遅くなっても電話に出ない、といって押しかけてきたりした。
数年前に「このまま狼藉が続くようなら、合鍵を取り上げる!」と宣告したら、
すさまじく落ち込み(←妹の報告)、
しかし、意外とあっさりと慣れたらしく、
去年は、年末年始と、あと3回くらいしか、会わなかった。

親離れ子離れに、3年くらいかかった。
で、急にヒルティに戻るけれど、
「義務でなく、自由意志にあって愛する、
感情だけでなく、理性ももって付き合う」というのは、けっこう格闘が必要なのだ。
実は今も、親との関係はよく分からないでいる。

苛立つくらいなら、親なんか捨てろ、
アダムとイブだって、「父と母を離れて、…一体となる」っていうじゃないか、
と、以前偉そうに、友人にぶちかましたら、
「それは、nikkouに、家を出る金があったからできたことだ」といわれた。
まあね。でも、びんぼーだったよ。今もだけど。

|

« ライフスタイルフォーラム | Main | 十字架を負え »

「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

Comments

家を出る金があったんだーーよ、ってのわ 、とてもいい落ちです。sugi

Posted by: kkss | January 20, 2006 at 07:39 AM

nikkouさん、こんにちわ。
この詩、最後の「ばかものよ」っていうところがおもしろいですね。
親離れ、子離れって大変なんですよね。
うまくできなければ結構ややこしいことになりますものね。
そっか・・・お金か・・・と、ニヤリ。
そうだよなあ・・これもまた大変なこと(笑)

Posted by: jojo | January 20, 2006 at 06:58 PM

>杉山さん

お金はね~、毎月収支がすりきり一杯なんですよ~。

もうすこし歳を重ねれば、nikkouも「親離れ」どころか、親を離してはいけなくなるのかもしれないけど、いまは、もうすこしね。
杉山さんのお母様もお元気そうで、うれしいです。

>jojoさん

「ばかものよ」って、たぶん、自分にむけた言葉なんでしょうね。

「お金」って、べつにたくさんはいらないけれど、自分で管理できる分はどうしても必要ですよね。

Posted by: nikkou | January 21, 2006 at 12:18 AM

確かに、毎日をただ忙しく過ごしていると「心がひからびていく」状態に陥りますよね。「水やり」はやはり祈りです。
クリスチャンじゃない人は、どうしているんでしょうね。私の親兄弟や親戚やほとんどノンクリスチャンですが。

Posted by: ゴトウ | January 21, 2006 at 11:27 AM

ゴトウさん

>「水やり」はやはり祈りです。

そうだ!祈りだ!

「心がひからびた」とき、わたし自身は、クリスチャンになる以前は、やっぱり、茨木のり子さんの詩にあるように、「人のせい」にしていたなあ…。八つ当たりしてたみんな、ごめんよ~。今も、ときどきそのケがあるけど。

…祈ろうっと。

Posted by: nikkou | January 21, 2006 at 10:32 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91294/8238658

Listed below are links to weblogs that reference 自分の感受性くらい:

« ライフスタイルフォーラム | Main | 十字架を負え »