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January 21, 2006

十字架を負え

1月21日『眠られぬ夜のために』第二部

「人がみなそれぞれに持っている十字架を、われわれもまた受け取り、背負うべきである。
それをふり捨てようとしてもなんの益もない。
むしろそのために一層重くなるだけである。
しまいには、十字架がなくなると、物足りなく感じるほど、それに慣れてしまうことさえまれではない。
ところがわれわれは、たいていの場合、もう十字架の必要が全くなくなったとき初めて、その意味を悟るのだ。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

「十字架を背負え」というのは、イエス自身の言葉である。

161168
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」
(マタイによる福音書16章24節)

しかし、「十字架を背負う」って具体的にどういうことなんだろう。
ヒルティは、「ひとそれぞれに持っている十字架」と言い、
イエスだって、「自分の十字架」って言うくらいだから、
人によって違うものなんだろうな、と思ったりする。

さらにほかのところで、イエスは、

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「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
「わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい」
「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
(マタイによる福音書11章28節・29節・30節)

と言っているから、
同じ背負うものでも、「十字架」と「重荷」とは区別されているものなんだろう、とは予想がつくけれど。

また、今夜のヒルティが言う「十字架の必要が全くなくなったとき」っていつだろう?
死ぬ時ってことだろうか。

となると、ここでいう「十字架」ってのは、クリスチャンとして生きている限り、ひとりひとりが負わねばならない役割、とか、使命、とか、そういったもの、ということだろうか。

さて、今週も、しんどかった。毎日、帰りが10時11時になった。
身体に痛かゆいぼつぼつができて、精神的にもむやみに落ち込んだ。
毎年、この時期が忙しいのは、珍しいことではない、いや、もっとすさまじい年だってあった。
今はかえって慣れてきたくらいだと思っていたのに、なんなんだろうな~。

振り返って思うに、ちょっとしたミスでも「ああ、もうっ、いい歳して何やってんだ!」って感じるんだよね。
転職以前も含めて編集部も7年目となると、失敗が許されなくなってくる気がするのだ。
職場には、とても恵まれていると思う。だからかえって、自分がふがいないというか、チャンスや環境を生かしきれないことが悔しい、と思う。

論語で「三十にして立つ」「三十而立」ってのがあるじゃないですか。ほんと、「30歳だ、しっかりしなければ」ってのはあるね。
よく、四十歳のひとが、「不惑なんていいますが、いやあ、惑ってばかりですよ~」なんてことを言うけれど、「而立」ってのも、いやはや、難儀なことです。

無理やり今日のヒルティにつなげるならば、出版の仕事を通じて自分に課された使命を果たすことが、nikkouの「十字架」なのかもしれない。良い本を作ること、売ること。
途中で投げ出しても重くなるだけ。やがて物足りなくなるほど慣れてしまう…。
そんなものかな。
もうひとがんばりしよう。

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Comments

E R A I ! sugiyama

Posted by: kkss | January 22, 2006 at 05:25 PM

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