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January 06, 2006

「祝福の泉」になりたいものだ

1月6日『眠られぬ夜のために』(第二部)

「人それぞれが一つの祝福の泉とならねばならない。
その泉には、一方から神の祝福が、その人の我意にすこしも妨げられずに、自由に流れ込むことができ、
次にはそれが、その人に接するすべての人たちの方へ流れ出て行く、
というのでなければならない。
このことが起らないかぎり、
その人の生涯の営みは大部分失敗したのだ、といってよい。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

神様からの祝福がわたしの上に、
そして、わたしから、周囲の人びとに、流れていく…

いいですね。
それがなければ、生涯の営みは失敗だ!というヒルティ。今日の「勝ち組」「負け組」とはまるで基準が違う。

さて、つい先日、nikkouは、ある女性のことをふとしたところで知って、
そして祈った。彼女と彼女の家族に祝福がたくさん注がれますように。
今日はその人のことをシェアしたい。

vingtaine1
その人のことを知ったのは、アシェット婦人画報社という出版社が出している「vingtaine(ヴァンテーヌ)」一月号のコラム「連載 おしゃれの自覚」(光野桃)の中である。
(…nikkouだって、ときどき、女性ファッション誌くらい読むぞ。)

その女性とは、コラムニスト光野桃さんの、夫の、弟の、奥さんである。
光野さんがひとり実家に戻ってお母さんの介護をしていたときのこと。
その彼女が、突然花束を持って訪れてきて、家のことを手伝ってくれるようになった、という。
実は光野さん、彼女とは、夫の弟と結婚した時に、顔を見ただけ。
当然、光野さんやお母さんと血縁関係はない。

この時も、最初はもじもじ、おどおどしていた彼女だが、
手伝いに来るようになって以来、家が明るくなった。
お料理がおいしくなった。
薬がかわいいマルシェ籠にしまわれ、アロマオイルの香りが漂い、部屋には聖歌や二胡の音楽が流れるようになった。食卓には小さな花束。おかあさんとはリハビリの粘土細工を作る。
彼女は胸元に小さなクロス(十字架のペンダント)をつけ、亜麻色のギャルソンエプロンでくるくる働く。まるでパリの女の子みたい。
彼女を見ているだけで、とても心愉しい。

光野さんいわく、
「彼女は長い間、人と話すことが苦手だったという。
人が怖く、すぐに萎縮してしまうから、思ったことが言えない。」
「しかし、今はとても生き生きとしてみえる。」
「人が人を幸せにする、というのは、こういうことなのかもしれないな、と私は思う。
必要とする人がいて、必要とされる喜びがあり、その喜びのやり取りの中に、いのちの力が宿っていく。」

nikkouは、ふと、この女性は、ファッションで十字架のペンダントをつけていたのでも、趣味で聖歌を流していたのでもないのではないか、という気がした。彼女がクリスチャンだとは、どこにも書いていないけれど。
と、いうのは、彼女が家を初めて訪れた時、言ったという言葉である。

「あなたがひとりでお母さんを介護しているって、お義母さんたちから前に聞いていたの。
いつも祈っていたけど、なにかできることはないかと思って。」

これはnikkouの想像であるが、
内気で、優しい彼女は、話を聞いて以来、ずっと、本当に「祈っていた」んじゃないか。
そこへ、彼女の神様が「GO」サインを出した。
どんなサインだったのか、nikkouには想像もできないけれど、
それは、内気な彼女を促すに十分だった。
彼女は、それを適当にごまかす事ができずに、訪れた理由をまっすぐに告げたんだろう、「あなたのことを祈っていた」って。

nikkouはいつも、自分の過剰な言葉や行動が引き起こすとんでもない結果に頭を抱える。
たぶん、本当の「祝福の泉」とは、こんなにもささやかで、優しくて、言葉少なく、でも確実に誰かの心にうるおいを与えるものなんだと思う。

「祝福の泉」になりたい。
…ていうか、神様、私を「祝福の泉」にして!

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Comments

「祝福の泉」か。涙出るね。この彼女は「神様の恵みの通り道」でもあったと思うよ。
クリスチャンですって口で告白することも大事だけど、こんな人になれたらいいね。

Posted by: たま | January 07, 2006 at 12:22 PM

婦人雑誌カー、信じられん。でも、たまにはいいね。最後の話し、無理。人間には役割があります。でも日光は日光で結果的に同じことをやっています。いつも、感謝しています。すぎ

Posted by: kkss | January 07, 2006 at 01:29 PM

>たまちゃん

なるほど!
イ・チソンさんの「恵みの通り道」そして、「祝福の泉」ね。
なりたいものだのぉ~
たぶん、わたしはちょっと我が強いんだと思う。もうちょっと素直になって、神様の恵みの通りがよくなるようにしよう、と思う。
イ・チソンさんの講演会、行きたかったんだけどね。最新刊は買いましたよ!

>すぎ祖父上

無理、か。がははははは、やっぱりね~
結果的には同じかなあ、んー
それじゃあ、nikkouなりの役割を、ちゃんと意識して、元気に生きてゆきたいと思います。


Posted by: nikkou | January 08, 2006 at 08:56 PM

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