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January 08, 2006

不思議な出来事

『眠られぬ夜のために』第二部 1月7日

「(「超感覚的な出来事」=奇跡のことか?について)

…それを見るのは、聞くよりもずっとまれであって、
それだけ一層驚くべきことであり、
たいていはただ重大な危険の際にある助けとして現れるにすぎない、
したがって、いつでも励ましや慰めのためという親しみのある感銘を一様に残すとは限らない。
しかし、もし親しみのある種類のものであれば、
それは類なく美しい出来事である。
(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

年賀状に、このブログのことを書いたので、
ノンクリスチャンの友人たちもこのブログを見ているかもしれない。
うわー、こいつ、いっちゃったな~、
とかなんとか、思っているでしょうか。
そうなのよ、私、クリスチャンになっちゃったのよ。
長い付き合いの友人たちにしてみれば、「クリスチャンnikkou」ってのは思いもよらない一面だったりするかも。
興味がわいたなら、今後も時々ブログ、見に来てください。

さて、今夜、ヒルティは「超感覚的な出来事」について書いている。

すごーく正直に言うと、
nikkouは、あんまり、非現実的なことを信じない。
黒人さんたちの礼拝にはびっくりしたし、
これもまた、すごーく正直に告白すると、「異言」とよばれる、あの現象も苦手です。

で、ありながら、
これもまた、すごーく正直に告白すると、
人の意思を超えた、なにかの働きを、感じずにはいられなかった、経験を持っている。

あまりべらべらしゃべると、人が引くだろうな、と思って
親しい人にしか話した事がないんだが、
今日は、ヒルティに促されて、打ち明けてみようと思う。

7年前のことである。社会人になってすぐの春の話である。
nikkouがクリスチャンになるのは4年前なので、まだ、ぜんぜん神様を信じていなかったころ。


最初に入社した会社は、役所の書類を作るような会社で、
当時の未熟なnikkouには、創造性もなければ、感動もない、非常につまらない会社に思えた。
大手だったので、分業もこまかくて、nikkouは一応編集部だったけれど、著者に会うことも企画を出すこともできず、ただ、厳しい締め切りのもと、誰かがもらってきた原稿にひたすら組み指定をするだけ。
nikkouは、人文系の出版社での「創作の現場に立ち会う」みたいなことにあこがれて、この職業についた。
しかし、思い描いていた「編集者ライフ」と、その職場はあまりに遠くかけ離れていた。

「こんな仕事で、わたしは一生を終えるのか!?わたしは歯車か?」と、仕事が始まるなりショックで原稿の上に涙を落とした。
こうして一と月たち二た月たち、先行きは一向に変わる気配もない、と気づいたある日、
とうとう、職場を走り出て、
…たいへん恥ずかしいことですが、
会社のビルの陰で、…泣きました。
若かったなあ……

しばらく、涙にかきくれていた、その時。
…なんていうのか、
すっと、さしこむように、声が聞こえた、というか、ある感覚、みたいなのを感じた。
それを、あえて言葉にするなら、こんなことを言ったような、気がした。

「だいじょうぶだから。」

その時のnikkouは、ぜんぜん、「だいじょうぶ」な状況じゃなかった。
不満と不安でいっぱいだった。
なにが、だいじょうぶなんだ。

…しかし、不思議と、その瞬間、すっと気が休まって、そのまま何事もなかったように、職場にもどって、
黙々と仕事をした。
のみならず、ぐっと仕事に怒りや不満がこみ上げてきた時、
あの「だいじょうぶだから。」という感覚がよみがえってきて、ほんのすこしだけ安らぎをもたらしてくれた。

それから2年後、希望していた人文系の出版社に転職、
自分で時間管理ができる状況になったので、
趣味として、ゴスペルを始めた。

そのゴスペルスタジオで、nikkouは、主イエスに出会うのである。

別にダイナミックな奇跡でも派手な超常現象でも感動的な話でもなんでもないんだが、
この、笑っちゃうくらいささやかで、ちょっと不思議な感じ、よくない?

ヒルティは今夜、最後にこういう。
「こういう顕現は、全くひとりでに、そのしかるべき時に、通常、全く思いがけなく、突然に、しばしば実際の仕事の最中にやってきて、
そして同じように不意に消え去るものである。」

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Comments

我が家に母のクスリを届けてくれる薬剤師さんのご主人が、写真展「日本の子供60年」に出ているのを知った。現場で切符をもらったAさんに挨拶すると、さらに切符を二枚くれた。一枚は岡本太郎、もう一枚はある写真家の写真展だ。同じ東京都写真美術館である。今日は三つも展覧会を見たことになる。帰りに目黒に出ると、白金教会の前を通ることになった。そこが私の洗礼を受けたところである。杉山

Posted by: kkksss | January 08, 2006 at 10:27 PM

わたしの通った自動車教習所は目黒日の丸自動車学校でした。(今はもう、ペーパードライバーだけどね)。

毎回、教会の前を通って自動車教習所に向かいました。
その教会が、「白金教会」でした。
ふふふ。

あのへん、「なんちゃって教会」というか、結婚式場がわんさかあるんだけれど、その中で、真面目さ、というか清らかさが、際立っていましたね。

Posted by: nikkou | January 08, 2006 at 11:10 PM

nikkouさん、こんにちわ。
はじめまして。プロテスタントのクリスチャンです。
ヒルティの検索でたどり着きました。
nikkouさんの不思議な出来事を読んで、やっぱりそうだったんだ・・・とコメントを残したくなりました。
不確かすぎて、自己体験すぎてというか、戸惑いもありましたので。
同じような経験が私にもあります。
その感覚がnikkouさんのものと全く同じです。
ヒルティはまだ読んだことがないのですが、上記の一節を読んで、本当にそうだ・・・と思い返しています。

ヒルティはまだすっかり読んでいないのですが、スピリチュアリズムについて思いをめぐらせていたときに神中心の霊性とはいかなるものかを教えられました。

本当に惑わしの多い時代ですね。
神さまへの信仰の代替物があふれています。
イエスさまを心から愛していきましょうね。
これからも色々お話させてくださいね。

Posted by: jojo | January 18, 2006 at 07:59 PM

jojoさん、はじめまして、こんにちは。
拙いブログですが、目を留めていただいて、うれしいです。歴史的文化的社会的背景などすっかりすっとばして、勝手流に読んでいるので、恥ずかしいんですが…。

1月7日『眠られぬ夜のために』は、ここでは全文とりあげていないんですが、「霊」についても非常に理知的で、とてもバランスのとれたことを書いているな、という感じですよ。(無理に「超感覚」を求めるのは「欺瞞」だ、そういうものはそっとやってくるんだ、みたいなことを書いている。)ぜひご一読を。

「不思議な出来事」がjojoさんにもあった、とのこと。なんだかうれしいお話です。
言葉にすると陳腐になる話だなあ、やっぱりそっと胸にしまっておくんだった、と少々、この記事を後悔しておりましたので。

こちらこそ、いろいろ教えてください。
今後ともどうぞよろしく。

Posted by: nikkou | January 19, 2006 at 09:32 PM

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