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February 07, 2006

赦す、ということ

『眠られぬ夜のために』第二部

「神はわれわれ人間よりはるかに心の広いかたであって、
われわれならばもうとっくに仲間だと考えないような多くの人たちをも
なお失われぬ者として神のしもべに数えたまうことは、
歴史を知る人のだれもが疑わないところであろう。

(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

「白バラの祈り」で、ゾフィーたちを法廷で散々ののしった挙句に死刑にした裁判官は、連合軍の爆撃で崩れた裁判所の壁の下敷きになって潰れて死んだそうだ。
それを知った時、すっごく正直に言って
「なーんだ」と思った。
もー、そんな裁判官は、敗戦後に、おもいっきり戦犯として裁かれて、不名誉の窮みをなめた挙句に、自分の不明を嘆いて死にゃーいいんだ、って思った。(ええ、nikkouは、性悪ですとも。)

でも、きっと、今頃彼は、神様の前に、自分の良心だけを弁護士に、裁かれていることでしょう。

そんなことを考えていた、つい最近。
ジャック・デリダという哲学者の著作の、「解説書」を読んだ。
(デリダそのものは、とてもとても読めません。まったく歯が立たない。)
その中に、んーーーーーっとうめいてしまうような考え方が紹介されていた。

「赦し」ということについて、である。

普通、とんでもない凶悪犯が逮捕されたとき、人は、犯人をみんなの前に引きずりだして、悔恨の言葉を吐かせたい、と思う。激しく悔い改めさせたい、と思う。そうすれば、「赦して」やろう、と思う。
しかし、それは、「赦し」ではない。
それはただ単に、「かつての罪人は、いまはもう、反省して、別の人になりました」ということを、確認、認証したにすぎない、…のだそうだ。
本当の「赦し」とは、罪人が、罪人のままで、「受け入れる」「その人の価値を認める」ということなんだそうだ。

んーーーー。
なんだか、これに、イエスの十字架による「あがない」が加われば、
そのまま、クリスチャンの発想だけど、
デリダの背景には、やはり聖書があるんだろうか。
(半可通で、申し訳ない…勉強します。)

以前、わたしは、教会の少女たちに強姦やセクハラを働いてわいせつ罪で捕まった牧師について
「悔い改めてほしい」と書いた。
でも、それは、「ゆるす」ということではないのね。
「ゆるす」のであれば、エロ牧師を、エロ牧師のままで、受け入れろ、と…。
え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなことできなーい。

ヒルティいわく、神は、心のひろい方だ、と。
たしかにイエスが、しょっちゅう、そんな話をしている。
たとえば、「神は、莫大な借金を棒引きする方だ」なんていうたとえ話をする。
「でも、そのしもべは、友人のささやかな借金の腹をたてて、友人を牢屋にぶちこんだ、・・・」とたとえ話は続く。
――うーん、わが身のことのようだ。
でも神様、やっぱりnikkouは、あなたのように心が広くないので、ゆるせないことがたくさんあります。
それが、平安を遠ざけること、だれかを傷つけることだ、と頭の片隅では分かっていても。

ああ、そうか、だから、主イエスは、こう祈れといったのかもしれない。
「わたしたちの負い目を赦してください。
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」
(マタイによる福音書12節)

「主の祈り」って、かなりシリアスなことを祈っていたのね。
ぼーっと暗誦してないで、ちゃんとこころをこめて祈ろう、と思うよ。

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Comments

nikkouさん、デリダってそんなこと書いていたんですね。知らなかったです。哲学科卒ですが、私も読んでません!
未だに古いバージョンの「主の祈り」しか覚えられないので「我らに罪を犯すものを我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ」ですが(「負い目」っていうのがいまいちピンとこない)、いつも唱えるたびに「ここが一番難しいよなー」と思っています。
私なんかすぐ「復讐してやる!」と思いがち。そういうときは、教会行って、日曜日がまだ遠かったら家で聖書読んで、寝ます。
キリストの十字架を思いながらね。

Posted by: ゴトウ | February 08, 2006 at 11:12 PM

歯が立たない、で思い出したのがマルチン・ブーバーの「我と汝」。これ、まったく迷子になっちゃいました。もっと簡単に書いて欲しい、、図式でもいいから(笑)。私だけだけかな、、、。

エロ牧師といえばカトリックの前法王のコメントを思い出します。
聖職者の性的虐待事件があらわになる中で、「兄弟よ、自分の弱さに負けないでほしい」と、呼びかけるのが精一杯でしたよね。
人を裁くな、と聖書は言っていますが、非常に難しいです。
エロい部分はよして、、と言いたいですよね。

神さまは全てをご存知で、じ~~~っと黙っておられて、その痛みはどれほどのものでしょうね。。。
こんなの見てたんですか!と思うけど・・。この世での本当の戦いは霊的なもので、サタンとの戦いであることを思わされます。
誘惑にあわせないでください・・・そう祈りたい気分です。

人間は怒りをぶちまけますが、神さまはその痛みをどうやって処理してるんだろう。。。なんてとめどもなく考えたりして。

この世では赦しあって生きていくしかないのかもしれませんね。赦さないと、また罪が連鎖しちゃうし・・。ああ、切ない。


Posted by: jojo | February 09, 2006 at 05:49 PM

こんにちわ、いつも興味深く記事を読ませていただいています。

そのまま『赦す』、というのは本当に難しいですね。自分も友人等と喧嘩すると『今回はもういいけど、次回から気をつけろよ!』なんていってしまいますが、もしかしたらこれは『赦し』ではなく根に持っているのかもしれません(笑)ルカ17章3〜4節で『同じ日に繰り返し罪を行う人を赦す』という内容のものがありますが、これも考えたら相当難しい。

しかしどちらかが赦さない事には結局『あいつはだからダメなんだ!』的な底なし沼の『嫌悪合戦』になってしまうし、そうなってしまうと以前に認めていた相手のいいところも認められなくなってしまう。それは悲しいと思うなぁ。もちろん意地も自分の正当性もあるんだろうけど一歩引いて『自分から寄り添うために赦す事』ができるようになりたいです。その道はまだまだ遠いですが。

ルカ6章37節にある『赦す事は赦される事』というイエスの言葉も頭において日々を歩んでいきたいですね。

Posted by: Ti | February 10, 2006 at 03:59 PM

すげーーー反応があったね。難しい問題を、真正面から、取り上げて、さわやかだね。すぎ

Posted by: kkss | February 11, 2006 at 05:16 PM

>ゴトウさん

おお、そうだ、ねえさんは哲学科だ!以前、なんだかとても難しそうな卒論の話題が出てましたね。
デリダは(また半可通でやばいんだけど)、たしか、9.11がらみで、「赦し」を論じていた、ようです。
nikkouも、主の祈りを唱えるときは、「われらに罪を犯すものを…」って言いますよ。記事の聖書引用は新共同訳なんだけど、たしかに、「負い目」より「罪」のほうがダイレクトで分かりやすいかも。
主イエスの十字架を思いつつ…、ああ、そうなんだなー、イエスは、赦したんですよね。なにかと根にもつタイプのnikkou、実行してみます。

>jojoさん。

「汝と我」!そうそう、よく聞くんだよね~。クリスチャンの基本文献なのかな。そうか、むずかしいのか…。でも、いつかチャレンジしてみたいと思う。

「神様は、どんな痛みをもって私たちを見て、どんなふうに痛みに耐えているんだろう」…って、すごく、鋭い指摘ですね。本当に、そうですねー。人間は、自分ひとり分の傷でも、精一杯なのに、なんでも見えている神様は、何人分もの傷を引き受けているんだろうなと思う。

赦さなければ、罪が連鎖する…ということも、頭ではよく理解しているんですよね。ここで赦さなければ、お互いに恨みばかりが残るんだろうな、って。でも、…難しいんだなー、これが。「がーっ!」ってなっちゃうんだな。いつか、できるようになるのかな。

>Tiさん。

「自分から寄り添うために赦す事」…そうだ。それだ。

「次回から気をつけろよ!今回はゆるしてやるぜっ」って、nikkouも、思います。本当はもう、内心めらめらしているんですけど、そういうと、なんかすっとしたりしてね(笑)、きっと、自分を高みに置いて、自己防衛しているだけなんだと思うんだけど。

怒ること自体は、けっして悪いことじゃないと思うし、正当な怒りなら、もう、がんがん怒れ!と思う。でも、おっしゃるとおり、「相手のいいところ」を忘れないとか「自分を一歩引いて」見るとか、もっと言えば、主にはどう見えているのか祈って問うてみるということなんでしょうね。
・・・言うはやすく、なんですけど。

>杉山さん

ねー。大きな問題なんですねー。たぶん、一生考えて、求めていく課題のひとつなんだろうと思います。

>Lammyさん

トラックバック、感謝。
でも、なかなか深刻そうな話…。息をのんで待っておりますので、ぜひとも本編をお書きください。

それと、猫の予告も止まっていますが、実は猫のほうも楽しみにしていたりもする。

Posted by: nikkou | February 14, 2006 at 11:44 PM

Lammyさんへ追伸

あ!猫ちゃんの話、更新されていた!
失礼しました。

Posted by: nikkou | February 15, 2006 at 12:56 PM

nikkouさん こんばんは
本編も記載しました。読んでみてください。是非何かコメント下さい。

献身者の犯罪ってなかなかねえ。。。
私自身が赦せなかった経験者なだけに、シンプルに「赦そうよ」とは欠けませんでした。

Posted by: Lammy@まだ残業中 | February 20, 2006 at 11:33 PM

Lammyさん、残業、おつかれさまです。
記事を拝見して、しばし腕組みしたまま、固まっておりました。
感想、まとまりましたら、拙いながら、なにか書ければと思います。
毎度のことながら、重要なご指摘やご示唆、感謝しています。

Posted by: nikkou | February 20, 2006 at 11:55 PM

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