« 「白バラの祈り」―ゾフィーの勇気はどこから | Main | 赦す、ということ »

February 04, 2006

大切

『眠られぬ夜のために』第二部

「2がつ3日

愛の最もありがたい点は、たんに愛し返されることだけでなく
(これは、その愛がある程度の持続と強さをもっておれば、ほとんどつねに可能なことである)、
愛によって自分自身がただちに強められ、鼓舞されることである。

愛がなければ寒々としたこの世のなかに、
愛はあたたかさを生み出す。
そこからさらに生まれてくるさまざまなものを全部度外視しても、
愛だけでもすでにひとつの幸福なのである。

愛は、たましいの生命である。
愛をすっかり棄てた者は、たましいをも失ってしまう。
これは、永久につぐないがたい損失だといわねばならぬ。

たましいを失った人間は、もはや行き続けることはできない。
現世の生活はもとより、未来の生活も失っているのである。」
(筑摩叢書・前田敬作訳)

           ★

200602050025000
ヒルティ、愛の賛歌(笑)。
ただ、日本人のイメージする「愛」という言葉と、欧米の人の「愛」という言葉がもつ意味とは、いくぶんか違うんだろうな、と思う。
イラク戦争の報道で、若い兵士がテレビカメラにむかって、
「I Love You! Mammy~」と手を振っている映像を見たけれど、
あれを「おかあさん、愛してます!」と訳すと、ちょっとちぐはぐな感じがする。
クリスチャンであるnikkouであっても、「愛」という言葉には「恋愛」のイメージが強い。
いまだに、恋愛以外の場で「愛してます」というのは、おもはゆい。
ましてや、多くの日本人においてをや。

キリスト教の「愛」は、仏教の「慈悲」と、ニュアンスが近い、ということもよく聞くけれど、
「慈悲」も、定着しているとは思えない。
「あなたを慈悲ってる」なんて、「あなたを愛してる」より言わんだろう。

中世に、日本にきたカトリックの宣教師たちは、「愛」を「お大切」と訳したそうだ。
けだし、名訳だと思うね。
今でも、そっちのほうが、すんなりくるんじゃないのかな。

「あなたを愛している。」というより、
「あなたを、大切に思っている。」
「あなたの存在はとっても大切だ。」
と言うほうが、キリスト教の伝えんとしているものの見方考え方が、はっきりする気がするが、どうだろう。

「愛する」を「大切」と言い換えると、
主イエスのことばも、「敵をも、その存在を大切に思え。」となる。
うう。あらためて、エライこっちゃ。
              ★

200602050025001
ヒルティいわく、愛する、ということは、自分自身を強くする、のだそうだ。

究極の選択。
「だれにも大切にされない(愛されない)」のと、
「だれも大切にできない(愛さない)」のと、どちらを選ぶか。
どちらもつらいけど、あえて選ぶなら、「だれにも大切にされない」のほうかな。
「だれも大切にできない」ということは、そのかわりに心の中が憎しみか、無気力か、軽蔑かでいっぱい、ということでしょう。まだ、だれにも愛されなくっても、自分の心の中は、愛でいっぱい、のほうがいくぶんましだ。
それに、すくなくとも、主だけは、なにがどうあっても、わたしを愛してくれるし。

              ★

今日は、まさに、とても大切な女友達と、表参道でランチ。
彼女が現在おかれている状況をきいて、驚いた。
信仰をしっかり持っているひとだから、彼女自身がつぶれてしまうことはないだろうと、信じているけれど、
たいへんなことには変わりない。
帰ってきて、彼女の家族のこと、彼女のことを、祈った。
名前をあげて祈る、愛する友がいる、ということだけで、わたしは幸せだと思うよ。

              ★

最近はまっている沢知恵さんの「わたしが一番きれいだったとき」の第1曲目「人生の贈り物―他に望むものはない―」(ヤン・ヒウン詞・さだまさし訳)より。

季節の花がこれほど美しいことに

歳をとるまで少しも気づかなかった

美しく老いてゆくことがどれほどに

難しいかということさえ気づかなかった

もしも もう一度だけ若さをくれると言われても

おそらく私はそっと断るだろう

若き日のときめきや迷いをもう一度

繰り返すなんてそれはもう望むものではない


季節の花や人の生命の短さに
歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎みいさかいそして傷ついて
いつか許し愛し合う日がくるのだろう
そして言葉も要らない友になってゆくのだろう
迷った分だけ深くいつくしみ

並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友が居れば他に望むものはない
他に望むものはない

それが人生の秘密
それが人生の贈り物

|

« 「白バラの祈り」―ゾフィーの勇気はどこから | Main | 赦す、ということ »

「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

Comments

「あなたを慈悲ってる」なんて、「あなたを愛してる」より言わんだろう。というのは、いいな。翻訳上のそういったこといっぱいあるね。本当にメンタリティって一緒なのか、違うのか、分からないね。ただキリスト教で言う愛は、「神の愛」だね。そこから出発して、人間もそれに「ならう」か「近づくか」、ということかもしれないけど、出来ないな、とうてい。それを知ることが、信仰かな。神に拠る、ということかな。有縁ネットが喜んでたよ。メールと言う応答が愛かな。老人だから、うれしいんだな。彼は娘三人からキャンセルの身です。

Posted by: sugiyama | February 05, 2006 at 11:32 AM

nikkouさん、こんばんは。
昨日の礼拝の聖書の箇所がちょうど「お大切」に関連するようなところでした。エフェソスの3:14-21。
「信仰によってあなたたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを合いに根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」。
愛にしっかり立ちたい!ですね。

Posted by: ゴトウ | February 06, 2006 at 10:47 PM

nikkouさん、白バラの祈り見てきました。
記事にnikkouさんの記事を勝手にリンクしちゃいました。もし不都合があったらごめんなさい。すぐにはずしますね。
いや~、初めからドキドキして、一緒にビラをまいてしまって、心臓がドキドキ高鳴って大変でした。
ほんとに衝撃的でした。
「白バラの声」買います。

Posted by: jojo | February 06, 2006 at 10:50 PM

>杉山さん

聖書やキリスト教の「翻訳」の問題って、きっと突き詰めるととてもむずかしいんでしょうね。
それまで日本にあった言葉とか、日本人のメンタリティと、一番ちかいニュアンスの言葉に訳していかなきゃ、誤解が生じるでしょうからね。「翻訳」というか、「輸入」の面から言えば、杉山さんがずいぶん熱を入れて書いていた、教会の「建物」なんかも、関係してくるんでしょうね。

「神の愛」を知る事が、信仰!なるほど、言いえて妙!

>ゴトウさん

おくればせながら、シンガポール、お帰りなさい!
愛にしっかり立つ、ということは、もう、一生かけて追究したいことですね。
ちなみに、nikkouのほうの教会は、「からしだねの例え」の話。聞いていたら、「からしだねの粒粒が入ったマスタードつけてソーセージを食べて~」…はっ、…あっ、じゃなかった、「からしだねのように、小さくても大きく愛が育ちますように」と思いました。

>jojoさん

紹介してくれてありがとー。
jojoさんの記事も、「うーん、するどい!」と思いました。
勉強になるよね、ああいう映画はね。

Posted by: nikkou | February 07, 2006 at 11:00 PM

全然、関係ないかも知れませんが、
「大切」を読んでいて、槙原敬之の「EXPLORER」というCDを思い出しました。
アルバムですが殆どの曲が自己内省と家族愛の詞で構成されているCDです。
ここ1年くらい、ずっと聞き続けているCDです。「大切」を読んでいて、その1曲目をふと思い出しました。
もし機会が有れば、nikkouさんも一度聞いてみてください。

Posted by: ahilland | February 12, 2006 at 11:46 PM

ahillandさん

槙原敬之は、詳しくは知らないんですが、麻薬所持で逮捕される前と後とで、大きく変わった、という印象ですね。おっしゃるとおり、最近になって、内省的で、恋愛ではない愛を歌うようになったという気がする。
CD,聞きたいと思います。

Posted by: nikkou | February 14, 2006 at 11:49 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91294/8504604

Listed below are links to weblogs that reference 大切:

« 「白バラの祈り」―ゾフィーの勇気はどこから | Main | 赦す、ということ »