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March 19, 2006

nikkouの両親が、礼拝に来た!

『眠られぬ夜のために』第二部

「3月19日


一般の人びとが目的とするのは、家庭を築くこと、適度な生活の楽しみ、たかだか例えば職業上か政治上の成功、人なみ以上の社会的地位、などである。
けれども、これらはほとんど永続的な利益を残さないものである。
(中略)
人間はそれらのものだけで十分に満足させられるようには、作られていないのである。(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

今日の礼拝に、初めて、nikkouの両親が出席いたしました。
近所に住んでいながら、娘がお世話になっている教会に一度も顔を出さないのは無礼であろう、と思ったのだそうだ。nikkouの実家は、初詣も盆もクリスマスもきっちりこなす、一般的日本人家庭である。
だから、nikkouは、この家庭において、ちょっぴり異質な娘である。

本日の礼拝の聖書箇所は、「マタイによる福音書25章1節~13節」、
花婿を迎える10人の乙女の話であった。
花婿が到着したとき、賢い5人の娘はともし火を用意していたが、
愚かな5人の娘は用意しておらず、
あわてて買いに行って、戻ってきたら、扉が閉まっていて、もう中に入れなかった、
というたとえ話。
Corneli1

父は、話の間、ずーっともぞもぞと落ち着かない様子だった。
礼拝のあと、両親に聞いたところ、
どうやら、「話の意味がさっぱり分からなかった」のだそうである。

まず、うちの両親には、「終末」や「再臨」という発想がない。
むしろ、「輪廻転生」のほうが、親しみのある思想だろう。
だから、「主の再臨に備えて心を整えておけ、という戒め」といわれても、
具体的なイメージがわかなかったらしい。

もうひとつは、「たとえ話の状況がよく分からなかった」のだそうだ。
「10人の乙女のうち、5人がいなかったら、その乙女の相手の5人の花婿はどうしたのだ?」と父。
…つまり、父は、10人の乙女が待っていたのは、10人の花婿で、いままさに10組の「集団結婚式」が行われようとしている、と理解したらしい。
「花婿」=イエス・キリスト、というのは、クリスチャンの暗黙の了解だが、
こういう前提がないと、たしかに、このたとえ話はそう読めてしまう。
「いや、お父さん、乙女というのは、お嫁さんじゃなくって、たぶん、介添えの女の子たちだと思う」
と、われながら強引な解説をすると、
「じゃあ、花嫁は?」と母。
「…んーっと、この話には出てこない。」
………3人の間にとびかう「?」「?」「?」…。

「しかし、そもそも、5人の娘があわててともし火の油を買いにいく、というのも分からない」と父。
「買いに行っていたら、結婚式に間に合わないのだから
『もう、ともし火なんかいいから、あなたたち、お婿さんを待ってなさいよ』と言ってやったほうが、親切じゃないか」
…父よ。おっしゃるとおりです。
しかし、そうすると、別の話になってしまいます。

最終的に母が、
「やっぱり、『信仰』がないと、分からないのね、聖書って。
nikkkouちゃんは、エライわ。」
とまとめておりました。

おそらく両親は、ますます、なぜnikkouが礼拝に通うのか、分からなくなったのではないか、と思う。でもね、それは、逆に良かったんじゃないかな。今日のヒルティ言うところの、「この世の楽しみでは満足しきれない何か」を、長女は礼拝で得ている、と、わが両親が感じてくれたら、いいのだけれど。
フォローするわけじゃないが、我が家の両親は、けっして教養や知性のない人たちではない。むしろ、一般的には「知識人」の部類に入るほうだと思う。
それが、くしくも母が言うように、「『信仰』がないと分からない本がある」ということを知ったのは良かったのではないか、と思う。今までの価値観や常識ではない、新しい価値観が語られているのだ、ってことだけでも知ってくれれば、OKだ。
だいたい、「信仰」を持っていても、聖書って、よく分からない話が多いしね。

今日の「なんだか、わけのわからない話だったな~」という思いを、わが両親が、いつまでも持ち続けていてほしい、と祈る。ある日、ふっと、主が答えを示して、「あ、そういうことか!」と、分かる日が、わが両親にもくるはずだ。nikkou自身がそうだったように。

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Comments

お久しぶりです。

ご両親が来てくださったのは主の導きかもしれませんね。Amen。nikkouさんを真剣におもっているご両親なんだなぁ、と少々羨ましく?思いました。

うちの親は来てくれないからなぁ。主により頼み、祈るしかないですね(笑)

Posted by: Ti | March 19, 2006 at 06:14 PM

とにもかくにもいい親父、いいおふくろだ。いい娘ができるわけだね。杉山

Posted by: 祖父ネット | March 19, 2006 at 09:10 PM

>Tiさん

おー。元気ですかー。
両親が礼拝に来たのは、nikkou的には、ふい打ちでした。導きですかね。

ほんと、家族のことは、祈っていきましょうね。たぶん、身近になればなるほど、言葉じゃ伝わりにくい気がするし。おっしゃるとおり、頼りは主だけですね。

>杉山さん

いい娘かな…いささか、こころもとない…(笑)。
親は、まあ、賢明な人たちです。
ありがとうございます。

Posted by: nikkou | March 19, 2006 at 10:33 PM

クリスチャンではない私が、ここにコメントして良いものかどうかとも思いつつ。
私は最近新聞を読みながら、世界的な宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教が、それぞれ何を言わんとしているのか、やはりしっかり勉強しなけりゃならんなあと思っているところです。で、まずはそれぞれのテキスト「聖書」「コーラン」「ブッダ」を読もうと思っているのですが、聖書って、やはりクリスチャンの決まりごとを知らずに読むと、内容が理解できないものなのでしょうか?
とりあえず、nikkouさんとは一度メールでしっかり話してみたいです。
できれば連絡ください。お願いします。

Posted by: ahilland | March 20, 2006 at 12:15 AM

おー、両親。よかったなー。

Posted by: BOB | March 20, 2006 at 01:16 PM

nikkouさん、めちゃくちゃ笑ってしまいました(爆)ウケル~~
お父さん最高。

そう、きっとこの日のことに神さまがスポットライトを当ててくださる日が来ますね♪
私たち(まとめていいんだろうか)もそうだった。

Posted by: jojo | March 20, 2006 at 05:55 PM

>BOBにぃ~ありがとー!

>jojoさん

nikkouも、書きながら思わず笑った~。
うん。その日を、楽しみに、祈っていたいと思うよ。

Posted by: nikkou | March 21, 2006 at 11:08 PM

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