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March 10, 2006

しもべは聞きます。お話ください。

『眠られぬ夜のために』第二部

「3月12日

キリストがニコデモとの対話(ヨハネによる福音書3章の8)の中でのべているように、霊は、思いのままのときに、思いのままのところで吹く。あなたは霊を呼び寄せることはできない。霊があなたを呼ぶのである。

あなたは、このような呼びかけを受けたならば、どんなことでも棄ておいて、すぐさまそれに従う心がまえをつねにしていなくてはならない。

というのは、霊が訪れるのは、夜の静かな時とはかぎらず、ときとして忙しい仕事の最中であることもあるからである。そのときこそ、『しもべは聞きます。お話ください。』(サムエル記上3章10)と言うべきときであり、その都度、真においても善においても大きな進歩をとげるべきときである。

これに反して、人間が自分で行う『礼拝』の効果といえば、たいていあのバアルの予言者たちのそれのようなもので(列王記上18章26・27節)それで、あんなにも騒々しく物音を立て、またそのためにおびただしい教会や神殿や寺院が建てられるのである。」
(筑摩叢書・前田敬作訳)

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面白いので、今夜は全文掲載。

さて、ご心配おかけしました。過密労働より、ようやく抜け出しました。ばらばらだった活字の群れが、列になり隊をなし、本の形になろうとしています。
ああ、夢のようだ。

結局、今回一番たいへんだったのは、体力というより、精神力だった気がする。
いまさらだけど、教科書をつくるというのは、相当の知性と教養と、そして思想が必要なのだなあ、と思った。
そのいずれも、自分には足りない。
だから、教材の論理の矛盾も突けず、図版は埋められず、著者略歴も脚注も書けず、
何度、大型書店や図書館に通っては途方にくれ、いっそ通路にひざまずいて祈ろう、とおもったことか。
今おもえば、幸いなことですな。
これからやらねばならないことが、たくさんあるのだから。
今後の人生、けっして退屈しないだろう。

しかし、ズタボロ状態の最中は、辛かったよ。
親しいクリスチャンの友に電話して、これまた何度、電話口でさめざめ泣いたことか。
そんな状態がピークに達したころ、友人に言われた。
「nikkouさん、最近、讃美してる?」
 ――讃美ぃ~?クワイアー(ゴスペルの「聖歌隊」)の練習に行く時間なんか、ここ2ヶ月くらいないよ。歌うどころか、聞いてもいない…。

そこで翌朝、ひさしぶりにMDウォークマンを引っ張り出し、MDをひとつかみして、通勤電車の中で、聴きました。整理が悪いので、なにが入っているか分からない。聴けば、なんとなつかしい。黒人教会での録音やら、かつて在籍していて、今はもう解散してしまったクワイアーの練習やら、夏に行った豊橋の教会のワークショップやら、ICGC(池袋ゴスペルクワイアー)が、渋谷のラブホ街のど真ん中にあるライブハウスでやったコンサートやら・・・
さまざまな場所で、愛する仲間たちと、声を合わせて主を讃美する歌、歌、歌。
元気なときはさほどでもない歌詞が、胸にしみるしみる。
電車の中で、つい涙ぐんだ。

「目をあげて、山に向かう
たすけは主からくる
主の平安
嵐の日も
主は力を与えてくれる
すべての讃美を主にささげます」(「Total Praise」)

今夜ヒルティは言う。
「霊が訪れるのは、ときとして忙しい仕事の最中であることもある。
そのときこそ、『しもべは聞きます。お話ください。』(サムエル記上3章10)と言うべきだ」
アーメンですね。
そんなときこそ、主の霊を受け入れないと、人間はつぶれるね。

先週から、堰を切ったように、讃美に明け暮れる。
月曜と木曜は、クワイアーの練習に、火曜は手話讃美に。
手話讃美で、「おどろくばかりの(アメージンググレイス)」を教わった。
その、あまりのうつくしさに、胸がつーん・・・となった。

この手話讃美グループには、名前が、まだない。
「『手話を通じて神様に用いられたいと望んでいるグループ名』を、
…nikkouさん、考えてきて!」…って、言われた。
えーなんで、わたしがー?
あっ、じゃなくって、祈ります。

よい名前が与えられますように。
「しもべは聞きます。お話ください。」

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「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

Comments

nikkouさん、完全復活ですね!
私も三位一体の「聖霊」がいまいちよくわからなくて、釈然としない時期がありました。
(このあたりが頭から入ったクリスチャンのつらいところ!)。夫とつき合い始めたころ、「聖霊の働きを感じる」と彼が言っていたので「ちょっとヤバいんじゃないこの人」と思ったこともありましたが、最近なんとなくわかってきたような気がします。
特に精神的に余裕がないときこそ、聖霊降臨を祈るのが大事なんでしょうね。

何はともあれ、復活おめでとうございます!

Posted by: ゴトウ | March 12, 2006 at 07:23 AM

ご苦労様でした。すぎ

Posted by: kkss | March 12, 2006 at 05:16 PM

nikkouさんお疲れ様です。
僕も仕事でへばった時、皆に言われました。
「ガス抜きせなあかんで」と。
nikkouさんにとってのガス抜きがゴスペルなんですね。
手話賛美って、すごそうですね。
昔、手話を覚えようとして挫折した者としては興味有ります。

Posted by: ahilland | March 13, 2006 at 11:25 PM

手話讃美、いいですよね~
手話は表情や姿勢など全身表現なので、表現力もブラッシュアップするし「全身で主を讃美してる!」っていう感じがしてとっても神様を身近に感じます。
発表or練習 覗きに行かせてください。

Posted by: Lammy | March 14, 2006 at 04:25 PM

>ゴトウさん

どーも!復活しましたよ~

そう、「聖霊」ねー、わたしも、ずーっと分からなかったですよー。クリスチャンになりたてのころ、ノンクリスチャンの友人に、「nikkouちゃん、聖霊ってなに~?」と聞かれて、「んー、良心?」とか「イエス様とか神様の話を聞いて、感動する気持ち?」とか、なんとも頓珍漢なことを言ってました。

ゴトウさんの書き込みを読んで、そういえば、わたしも最近は「聖霊の働き」という言い回しに違和感を感じなくなっているなー、と気づきました。

でも、うまく言葉にできないですね。なんだろうねー。聖書でも、「風」とか「火」だし。要は、「聖霊」が風や火のように下ると、心が元気になるんですよね。

>すぎやまさん

ご心配おかけしました!
でも、おかげですこし、成長したかも?

>ahilandさん

そうそう、ゴスペルって、「ガス」抜けますよ~。そして、代わりにいい空気が入ってくる感じです。
手話讃美は、歌いながら覚えるから、ひょっとしたら、普通に手話講座で会話を学ぶより覚えやすいかも。
手話は「挫折」じゃなくって、「中断」中、ということにして、またいかがですか?

>Lammyさん

おおっ!よくご存知で!さては、同好の士!?
そうそう、手話って全身表現なんですよね。
表情もつけないと、意味が伝わらないので、ある意味「演劇」的。だから、声以上に表現力が高くて、4番の「み国に入るとき いよよ 高く 恵みの み神を たたえまつらん」を手話で教わったときは、仲間と「おーーー」って歓声を上げてしまいました。「み国」が見えたような気がした。

発表の機会が与えられたら、ブログでお知らせしますね。練習は、「小岩栄光ろう教会」にて。月一回です。もし、ご都合がよろしければ、ぜひぜひ一緒に讃美しましょう。

Posted by: nikkou | March 14, 2006 at 09:41 PM

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