ホテル・ルワンダ
『眠られぬ夜のために』第二部
「4月7日
『今わたしの心が騒いでいる。父よ、この時からわたしをお救いください。』(ヨハネによる福音書12章27節)。
これもまた一つの『主の祈り』であって、特に『主の祈り』と呼ばれているもの(マタイによる福音書6章9節~13節)よりも、これと同じような深い悲しみにある時には、一層われわれに役立つことが多い。
(以下略)」
(岩波文庫・草間・大和訳)
映画「ホテル・ルワンダ」を観てきた。
しんどかったわー。
「1994年、アフリカのルワンダで長年続いていた民族間の諍いが大虐殺に発展し、100日で100万もの罪なき人々が惨殺された。アメリカ、ヨーロッパ、そして国連までもが「第三世界の出来事」としてこの悲劇を黙殺する中、ひとりの男性の良心と勇気が、殺されゆく運命にあった1200人の命を救う。
『アフリカのシンドラー』と呼ばれたこの男性は、ルワンダの高級ホテルに勤めていたポール・ルセサバギナ。
命を狙われていたツチ族の妻をもつ彼の当初の目的は、なんとか家族だけでも救うことだった。しかし、彼を頼りに集まってきた人々、そして親を殺されて孤児になった子供たちを見ているうちにポールの中で何かが変わり、たったひとりで虐殺者たちに立ち向かうことを決意。
行き場所のない人々をホテルにかくまい、ホテルマンとして培った話術と機転だけを頼りに、虐殺者たちを懐柔し、翻弄し、そして時には脅しながら、1200人もの命を守り抜いた。
本作は、家族4人を救うことを心に決めたひとりの父親が、ヒーローへと飛翔する奇蹟の過程を描いた実話である。」(映画公式HPより)
ジェノサイドというと、第二次世界大戦時のユダヤ人虐殺や、広島長崎への原爆投下、諸説あるにしても南京大虐殺、と歴史上の話と思いがちだけれども、これは、わずか10年ほど前の話。
ルワンダから遠く離れた国の人間として、胸にこたえたのは、虐殺を撮影した米国人ジャーナリストの言葉である。
「世界の人々はあの映像を見て──“怖いね”と言うだけでディナーを続ける。」
実は、1994年ごろ、nikkouは、ルワンダのことを知っていた。
当時は、某出版社のバイトの学生だったのだけれど、
たまたま、
国連親善大使だった黒柳徹子のルワンダ難民キャンプの報告文を、
ワープロで打っていたのである。
そのときは、原稿を読みながら、「『怖いね』と言うだけでディナーを続ける」どころか、
「黒柳徹子って偽善者だね」なんて言ってたよ。ああ。
ホテルに駆けつけた国連軍は、ルワンダにいた外国人だけバスに乗せて走り去ってしまう。
現地のシスターたちと孤児たちを引き連れて走ってきた外国人神父までもが車に乗り込んだときは、nikkouはあやうく座席から立ち上がって、「お前はなんのためにルワンダに召命されたんだぁ~っ!」と叫ぶところだったよ。ドリフターズの舞台を見に来た小学3年生か。

しかし、たとえルワンダに残ったとて、何ができよう。
日本にいて、テレビで虐殺の映像を見て、夕食を続ける以外、何ができよう。
大体にして、今現在、イラクで、アフリカで起きているあれこれに、何ができよう。
エンドロールで流れる歌に、字幕がついていた。
どことなくゴスペルを思わせる曲調だと思ったら、はたして、続々と、聖書の引用だった。
「ルワンダを逃げ出した西欧人への皮肉じゃないか」と一緒に見に行った友人は言う。
それもあるかもしれないけれど、一クリスチャンとしては、このときの聖書の言葉は、「鞭」どころか、「剣」だったね。お前は、この聖書の言葉を、机上じゃなく、現実として受け止めたことはあるか、って言われた気分。
歌は続く。
「子供たちは、泣いている」
「ジーザスは、泣いている」
「神様、われわれの叫びは聞こえますか」
きついなあ。
ジーザスは、泣いているよ。
主よ、わたしに、何ができますか。
(歌詞の引用聖句については、上記の友人が丁寧に聖書を引いて、ブログにアップしてくれました。
ブログ「雪よりも白く」 )
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Comments
はじめまして。エンドロールの曲「Million Voices」が聖書の引用であることを、他の方のブログでも読ませていただいて、驚いていたところです。虐殺された人々、100万人の声なんですね・・・そして今現在も世界の各地で現実に起こっていることの恐ろしさも。
Posted by: カオリ | April 08, 2006 at 09:00 PM
友よ、今日もまた新たなる日が来た。こころから、その優しい心に、敬意を表する。杉山
Posted by: 祖父ネット | April 09, 2006 at 05:41 PM
お久しぶりです、こんにちは。サイト改装おめでとうございます。
『しかし、たとえルワンダに残ったとて、何ができよう。日本にいて、テレビで虐殺の映像を見て、夕食を続ける以外、何ができよう。大体にして、今現在、イラクで、アフリカで起きているあれこれに、何ができよう。』
現実問題として手を差し伸べる事は難しいと思います。○●資金に寄付すること等はできますが、たとえばこっちに何も持ち合わせが無いのなら難しいと思います。
だからこそ祈りが大切だと思います。主は聞いてくれる、そのことを信じて祈る事、日々の祈りに一言付け加える事がきっとクリスチャンとしてPricelessな贈り物になるのだと思います。勿論祈りの対象はクリスチャンや苦しんでいる人たちだけではなく全ての人に、例えクリスチャンを迫害する人たちであっても、殺しあう人でも、弱者からむさぼる者であっても、ですが。感情的には非常に難しいですが・・・主が全ての人と一緒にいる事を祈るばかりです。
ホテルルワンダ、機会を見て是非観ようと思います。
Posted by: T | April 10, 2006 at 09:50 AM
上記の記事の名前を書き間違えました、すみません。
Posted by: Ti | April 10, 2006 at 09:52 AM
毎回何かの歌を引用してすみません
Mr.childrenの桜井君主催のbankbandというバンドが中島みゆきの「僕達の将来」という歌をカバーしているの聴きました。
倦怠期を迎えた若いカップルが「別れよう」という一言を口にすまいと、必死に言葉を濁している歌です。その曲の終末の歌詞に、「テレビが必死に報道している遠い国の戦争よりも、僕にとっては目の前の固いステーキの方が腹立たしい」というような詞が出てきます。
昨日、僕の住む京都府では府知事選が有りました。行政には色々不満が有ります。でも、「まあ、仕方ないか」と思っている毎日が僕らの毎日です。
でも、「やはり何かをしなければ、何かを良くしなければ」と思ったとき、ほんとに小さなことで良いから、「やらねば」と思うことを何かひとつすることを、僕は心掛けています。道端に落ちているタバコの吸殻を拾ったり、京都観光に来て道に迷っている人を案内したり。(ちょっと本論にはそぐわない例えかな)
結局、やったことに対する自己満足だけで何も世の中は変わらないです。でも、何かやってれば、いつか変わるんじゃないかと自分に言い聞かせます。
観てはいないのですが「ペイ・フォワード」なんて映画もありましたよね。
西川きよしではないけれど、「小さなことからコツコツと」って大事なのではないかなあ。
ああ、結局僕は何が言いたいんやろう。
Posted by: ahilland | April 10, 2006 at 11:13 PM
>ahilandさん
ううん、気持ちはよくわかります。なんか、もどかしいような、切ないような、ね。
ありがとうございます。
カオリさん、杉祖父、Tiさん、ありがとう。ちょっぴり、次回の記事でお返事します。
Posted by: nikkou | April 10, 2006 at 11:35 PM