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April 10, 2006

ルワンダ・スーダン・パレスチナ

『眠られぬ夜のために』第二部

「普遍的な人間愛は、ほぼ中立と同じようなもので、
『平和の時代にはたいへん立派な、明白な事柄』(ナポレオン三世の言葉)である。
しかし、われわれは、魂の嵐のなかでも、やはりこのような愛をたもつことができなくてはならない。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

「ホテル・ルワンダ」を見て以来、なんともいえないやりきれなさを覚えていたのだけれど、
(Tiさんのコメントにもあるように)やはり祈るしかないんだろう、と改めて感じている。
ここ数日、ルワンダのことを祈っている。
祈らずにはいられない、ということもあるけれど、
祈りの力を信じたい、とも思う。
無力感は絶望を、絶望は無視へとつながっていって、事態をよりわるくする。
祈りは希望だ。
主なら、きっと、彼らを救う手立てをこうじてくださる。

こうして祈りに覚えることができるようになったのは、
ルワンダは「隣人」ではないか、ということを突きつけてきたあの映画の製作者たちのおかげだ。
彼らに敬意を。
そして、「隣人」を知らせてくれた主に感謝を。
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そもそもあの映画自体、日本での上映は予定されていなかったそうだが、
ある青年がインターネットで呼びかけることで上映が実現したそうだから、
ささやかながら、ひとつの奇跡だといってもいいと思う。

その後、トラックバックをしてくださったカオリさんより、以下の記事をご紹介いただく。

ホテル・ダルフールを防ごう
ドン・チードルとポール・ルセサバギナからのメッセージ

映画を見てしまった以上、もう、無視することはできないけれど、
でも、どうしたらいいんだろう。
まずは、祈ることからはじめるしかないのだろうけれど。

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パレスチナを取材しているOさんという友人がいて、折に付け、パレスチナからメールマガジンを送ってくれる。
(左は、あるキリスト教団体が撮影した「分断の壁」)
パレスチナの問題は複雑だからなあ、わっかんないんだよな・・・と、まことに不遜ながら敬遠しがちなのだけれど、彼の筆致は臨場感があり、またクリスチャンである私には、時々「挑発的」(いい意味でよ、Oさん)に感じられる記事もあって、よく状況が飲み込めないまま、パソコンの画面の前でフリーズしてしまうこともしばしば。

たとえば最近の記事(3月30日)より
「今日は、ベツレヘムに行った。
昨年くれからの数ヶ月で、
キリスト生誕の地は、また姿を変えていた。
北側は、大きくイスラエルに切り取られ、
さらに、
コンクリートの壁が、二重に設置されようとしている。」

…先日友人が、
「イスラエルは破壊がすすんで、こういう美しい風景はもうみられないらしい」と
ずいぶん古いイスラエルの記録ビデオを見せてくれたけれど、どうやら本当のようだ。

そして、3月17日の記事
「そういえば、昨年ヨルダンから国境を超えるときに出会った若い日本人女性
(ヘブライ大学というイスラエルの大学の学生だった)は、
イスラエル兵は、銃を持っていても安全だ、と断言しました。
『だって、理由もなく撃たないですから。』
これこそ、
<宗教戦争>に近いような気がするが・・・
(イスラエルに滞在する日本人には、多くの思想的に偏ったキリスト教徒が多い。)」

…これはちょっとわかりにくいけれど、
ヘブライ大学に留学しているという日本人女性がイスラエル兵に無防備な信頼感を置いていたという話。
Oさんが取材したかぎり、イスラエル兵を「銃を持っていても安全」と断言することはできない。
こんな無防備さは、イスラエルに滞在するキリスト教徒に多いようだが、この彼女も「宗教」を盲目的に信じるゆえに、現実を見ようとしていないのではないか、
そして、こうした無知が、安易に「パレスチナ=悪、イスラエル=善」という構図を生んで、「戦争」をひき起こしているのではないか、・・・といったところだろうか。

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ルワンダの状況も、映画ではフツが襲ってくるという構図であったが、
現実にフツとツチを、善悪で色分けすることは難しいだろう。
そもそも、フツとツチは同じ宗教を信じ、民族的な差異もないそうだ。
彼らのIDカードに「フツ」「ツチ」という判を押したのは、ルワンダを植民地支配していた西欧人である。

真のキリスト者は、「蛇のようにさとく、鳩のように純真」に。
嵐の中でも愛をもて。
世界に、注意深く耳をすまし目をこらしたい。
そして、パレスチナにしても、ルワンダにしても、スーダンにしても、まずは祈ろう。
あたえられる情報に冷静に対処することは大事だけれど、
そのためには、わたしたち人間の狭い視野ではなく、世界中のすべての小さな者たちの傍らにおられる主にたずねるのが最善と思う。
なにが、起きていて、なにが、正しいのか。
わたしのような無知なものが自己中心的な思いで動くとあぶない。
自分の思いはひとまず空白にして祈っていれば、いつかきっと主から、行動に移すためのサインが出るだろう。
祈らなければ、…つまり、心の中に隣人の存在を意識していなければ、サインを見過ごす気がする。
だから、まず祈ろう。

主よ、彼らの今日の糧と平安な眠りをどうぞおあたえください。
そして、彼らのために、わたしたちが取るべき道を教えてください。

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Comments

nikkouさん、こんばんは。
私が数日間滞在したイスラエルのキブツでは、機関銃を持って帰省した20歳そこそこの若者たちがプールサイドで子供たちを機関銃で遊ばせていましたよ。人間、恐怖にかられたら何をするかわかりません。「イスラエル兵だから安心」と思っていたら恐ろしい結末になることもあるでしょう。
世界のいろいろな状況を見ていると、つくづく「力をもちたい」と思います。力に対抗するのは力でしかないような気がします。少しでも力をもって少しでも状況を変えられるように、日々の祈りと仕事を通じて、少しでも世界を返られますように!

Posted by: ゴトウ | April 11, 2006 at 11:00 PM

ゴトウさん

>少しでも力をもって少しでも状況を変えられるように、日々の祈りと仕事を通じて、少しでも世界を変えられますように!

アーメン!

nikkouの好きな聖書のことばに
「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」というのがあるのだけれど、
これが書かれている「ネヘミヤ記」ってのは、まさに「パレスチナ問題」なんですよね。
「ネヘミヤ記」の世界史的な背景がよく分からないのだけれど、
それが理解できる「知力」や、
現実を直視できる「精神力」、
そして、主の「愛」の力を
与えられたいとせつに祈ります。

Posted by: nikkou | April 12, 2006 at 10:16 AM

ところで、キブツには、いつ行かれたのですか。お仕事?

機関銃の弾は、ちゃんと抜いてあったんですよねー。機関銃が遊び道具って…だいじょうぶか、イスラエルのこども。

Posted by: nikkou | April 12, 2006 at 10:52 AM

nikkouさん、『ネヘミア記』あんまり注意して読んだことないけれど今度読みたいと思います。
イスラエルはガリラヤ湖そばのダビデ王調の遺跡発掘の調査隊にちょっとだけ参加しに行きました。バスに乗っても普通に若い兵隊の子たちが乗ってくるし、プールサイドで子供たちが遊んでいた機関銃も弾が抜いてあったかどうか。
中国でもシンガポールでも電車やバスに帰省兵が乗ってくるのはよく見かけますが、銃はもってないですよ。
イスラエルのような環境で育つ子供が少なくなるよう、祈るしかないですね。

Posted by: ゴトウ | April 12, 2006 at 09:36 PM

うっほほー、ダビデ王朝の発掘調査~すげ~

イスラエルのこと、よく知らないことが多いけれど、知らないじゃ、すまないんだろうな、とも薄々感じている今日この頃。
祈りつつ、また、学びたいと思います。

Posted by: nikkou | April 16, 2006 at 11:57 PM

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