« 教科書現状 | Main | 夫婦別姓について »

April 24, 2006

北野台聖書集会と、えっちゃんのこと

『眠られぬ夜のために』第二部

「4月21日

だれの眼にもあきらかなことだが、なんと多くの人びとが、めいめい鎖を身につけて引きずりまわっていることであろうか。
これに気づけば、われわれはもっと同情ぶかくなるにちがいない。
人間は相互におそろしいまでに嫌悪しあっているものだが、この嫌悪も、しかし、ここから生じるのである。
それは、人びとを助けてやらなくてはならないという恐怖、
あるいは、もしいっそう親しくなれば、きっとあまり善い面を発見することはあるまいという確実な予測なのである。」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

今日の礼拝は、母教会ではなく、「北野台聖書集会」という無教会の礼拝のほうに出席した。
以前から、「自宅で集会をすることにした」とおっしゃっていた無教会クリスチャンの伝道者相澤先生の、記念すべき第一回目の礼拝である。
一度このブログに相澤先生の「主にあって」に関する講演を取り上げて、それをプリントアウトしたものを郵送して以来、親しい交流が始まったのであるが、今回の集会のお話の中で、相澤先生の経歴を初めて知った。
ブログの大方の読者には、あまり関係のないことかもしれないけれど、個人的にはとても面白かったので、ちょっと書き留めておきたい。

Xd907_120代後半のころ、相澤先生は、「このままの生き方でいいのか」という思いに駆られて、浄土真宗の門を叩いたのだそうである。
キリスト教には、なにか、ピンと来ないものがあったという。
「このままの生き方でいいのか」というのは、裏返せば、「このままで死んでしまうのはいやだ」という「死」への恐れだった。
そこで暁烏 敏(あけがらす はや)の弟子にあたる前田修一という人の集会に参加し、歎異抄を学んだそうだ。
あるとき、この前田修一氏が、「真理はひとつだ」と塚本虎二訳「新約聖書」から「山上の垂訓」をプリントして配ったという。
この「山上の垂訓」の美しさに心うたれて、相澤氏は、塚本虎二の聖書講義に出席、イエスの十字架による死の克服と罪の赦しを悟った。
そして、今、無教会クリスチャンとして伝道の道を歩まれている、というわけ。

Shinran
nikkouの個人的な感覚で、日本の教会の礼拝で名前の出るお坊さんナンバーワンは、親鸞だと思う。
自分の教会でも、友人の教会や、知り合いの牧師と話していても、本当によく引き合いに出される。
あまり詳しくは知らないのだけれど、なにやら、イエスの考え方と、とても近いものを持っているらしい。
ほんのすこーしだけ親鸞について書かれたものを読んだことがあるけれど、
たしかに、タイムマシーンで彼を訪れて、新約聖書を手渡したら、きっと、だれよりも深く(そう、nikkouの浅知恵なんかよりもずっと深く)彼は、理解しそうだ、と思った。

今日の礼拝のテーマは「人は死ねば終りか」。
相澤先生が、浄土真宗の、そしてキリスト教の門を叩くきっかけとなったテーマでもあるのだけれど、nikkouは、まだ、心と体で理解しきれていないという気がする。
お話自体はとても分かりやすかったのだけれど、たぶん、頭だけの理解だ。
だから、書かない。
というか、書けない。なにを書いても、生意気になってしまいそう。

今日のテーマと深く関わっている事で、nikkouにも実感を伴って理解したことをひとつだけ書きとめておく。

神を愛するということの具体的な実践は、この世のもっとも小さなものを愛するということである。
でも、本当は自分が「小さなもの」である。
必ず人は老いるし、病むし、そうでなくったって、弱くて哀しい存在だ。
だから、「小さなものを愛する」と同時に、「小さなものとして愛されている」ことを、感謝して、受け止めることが、みこころなんじゃないか、というお話。

たしかに、「小さなものを愛する」という言い方は、一歩間違えると、傲慢になってしまう。
わたしは「小さくない」から、「小さな存在」を哀れむことができる…みたいな。

そこでわがゴスペルクワイアーのディレクター(指揮者)のえっちゃんのことを思い出した。
彼女は、最近、ストレスで難聴になってしまった。
そのとき、彼女は悟ったのだそうである。
そういう弱さを、クワイアーのみんなにさらけだして、クワイアーをみんなに、そして神様にまかせてみよう…。

彼女の統率力や歌唱力といった能力の高さは、とにかく飛びぬけていて、彼女が弱くなってしまうことは、クワイアーにはとても不安なことである。
でも、不思議な事に、えっちゃんのこの「弱さ」の告白によって、クワイアーおどろくほど、成長しているのである。
えっちゃん以外の、能力のあるメンバーがディレクターを引き受け、さまざまな係りもできた。
nikkouが、まだ何も働きに参加していないことが、心苦しいのだけれど、
「弱い」ことは「強い」ということを証しする係りとして、ここに書き付けておこうと思う。

nikkouは、なんとなく、人の好意を受けることを遠慮してしまう、というか、もっとはっきり言うとわずらわしく思ってしまうふしがあるのだけれど、
それって実は、「自分は小さくない、弱くない」という余計なプライドだったのかもな、と
えっちゃんのことと合わせて、今日はつくづく思った。

じゃあ明日から、愛を素直に受けられるようになれるか、というと、ちょっと難しいけれど、
すこしずつnikkouも変わってゆくよ。

今日、相澤先生を通して、主から教えられたメッセージに感謝。

|

« 教科書現状 | Main | 夫婦別姓について »

「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

「3 礼拝」カテゴリの記事

Comments

こんにちは!
「えっちゃんのことが書いてあったよ~」と教えてもらい久々にお邪魔しました!

そうですね。
弱さにこそ、主が働かれるということを頭では理解しているつもりだったのに
いつのまにか、「リーダーはしっかりしなくては!!」と鎧をかぶっていたようです。

ストレスなんて自分には無縁と思っていたし
(信仰があるなら、そんなものがあってはならない、とも思っていたし)
だからストレスに苦しむ人の気持ちやそれゆえに病になってしまう人の気持ちも
全くわかりませんでした。

でも今回の病を通して、神様は「自分の弱さを認めること」「弱さを告白すること」
「神様に委ねること」「人の弱さにも寄り添うこと」を教えてくださいました。

いつ治るとも知れない病になって
「癒してください!」という祈りよりも感謝の祈りのほうが多かったことが
自分でも不思議でした。

クワイヤーは誰のものでもなく、神様のものですね!
だからこれからは完全に神様にお任せして歩んでいきたいです!
また一緒に賛美しようね!!

Posted by: えつよん | April 25, 2006 at 04:13 PM

nikkouさん、こんばんは。
哲学科の谷口先生のことを思い出しました。キルケゴールと親鸞の研究者。『死に至る病』=絶望を研究していて親鸞に行き着いてしまったそうです。
谷口先生ご自身も癲癇の持病もちで、教壇で「キャッケゴール(と発音していた)はー!」と熱弁を奮いながら口から泡を吹いて倒れられる姿は壮絶でした。
弱く貧しい者こそ救われるは、キリスト教の最大のパラドックスであり真髄であると思っています。
私も弱いぞー!

Posted by: ゴトウ | April 26, 2006 at 09:51 PM

>えっちゃん

おおー。えっちゃんのナマ証しだ。ありがとー。いまさらだけど、勝手に書いちゃいました。見に来てくれてありがとう。

しかし、ひとこと、ひとこと深い。

>弱さにこそ、主が働かれるということを頭では理解しているつもりだったのに
>いつのまにか、「リーダーはしっかりしなくては!!」と鎧をかぶっていたようです。
>ストレスなんて自分には無縁と思っていたし
>(信仰があるなら、そんなものがあってはならない、とも思っていたし)

身につまされます。
えっちゃん、身をもって、わたしたちは主の前で弱くて強いということを証明してくれて本当にありがとう。
これからもよろしくー

>ゴトウさん

谷口龍男!?
ゴトウさん、大学は、nikkouの先輩でありますか?
(って、プロフィールあばきをしてどうする…)
哲学科といえば、教養課程で小山宙丸先生の聖書学の講義をとっていたのですが、ずーっと「宙丸」が苗字だと思っていて、出席カードの「講師欄」に「宙丸」って書いてました…(と、これまた、すごくどうでもいいことですが。)

キルケゴール「死に至る病」…!
キルケゴールは、親鸞へと行き着くのか…。
あっ、いま、ぱらっと開いてみたら、内村鑑三の「求安録」に似た言葉を見つけた。
(じつは、最近「求安録」の読書会に参加。)
罪・弱さのなかから、神を強く希求する、という心のあり方は、古今東西すぐれた思想家に共通するものなのでしょうかねー。

>弱く貧しい者こそ救われるは、キリスト教の最大のパラドックスであり真髄であると思っています。
>私も弱いぞー!

アーメン!
されど、その真髄が分かるには、nikkouのこれまでの歩みはまだまだ浅く軽いな…。nikkouも弱いぞー!でも主がともにおられる!恐れずにゆくぞー。

Posted by: nikkou | April 26, 2006 at 11:58 PM

あら、nikkouさん気がついてませんでした?おほほ。そーですよー、立派な(?)先輩です。
小山先生は私の頃はまだ学部長で、恩師と共に卒論指導をお願いしました。ギリシャ語聖書を全部コンピュータに入力して解析している!のがご自慢でした(当時まだパソコンは珍しかった)。
営業のコツ、今度ゆっくりお教えします。
ぜひいい教科書をしっかり売ってください。
一緒に祈るぞー!

Posted by: ゴトウ | April 27, 2006 at 12:27 AM

先輩っ!よろしくおねがいしますっ!
お祈り感謝!
営業がんばるぞー

Posted by: nikkou | April 28, 2006 at 01:16 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91294/9735947

Listed below are links to weblogs that reference 北野台聖書集会と、えっちゃんのこと:

« 教科書現状 | Main | 夫婦別姓について »