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May 10, 2006

教育はスローで

『眠られぬ夜のために』第二部

5月10日

おんみの言葉は力づよく、精神とたましいをつらぬく。
おんみのくびきは甘美で、おんみの精神は確かである。
そして楽園の門はひらいている。(同胞教会賛美歌973番)

実際、まことの善にいたる正しい指導者になろうとおもったら、ひとびとをこのように導かなくてはならない。
嵐や燃えさかる火をあまりに早く消そうとしてはならない。
かたい殻を溶かすに必要な時間をあたえてやらなくてはならない。
それから、適当な時期に、しずかな声で正しい言葉を語ること、
これが教育のこつである。
(以下略)

(筑摩叢書:草間・大和訳)


ヒルティが引いている賛美歌の「おんみ」とはイエス・キリストのことだ。真の教育者はイエスのようであれ、忍耐強く受け入れ、時が来たら、静かに語れ。

そこで思い出したのが「小国フォルケホイスコーレ」の武義和さん。武さんがご自身のブログにリンクしてくださったおかげで、小国フォルケホイスコーレの様子を知ることができたのだけれど、とにかく美しい。
生徒さんたちと、土を耕し、野花を愛し、賛美歌を歌い…本当のスロー、スロー、スローライフです。

スローライフといえば、先日マックスウェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』を読んで、妙な気持ちになった。
救いを教会に求めていたカトリックに対して、
日々の生活の中で自分の勤めを果たすことで、神に応答しようとしたプロテスタントのクリスチャンたち。
この勤勉さが「時は金なり」という思想を生み、資本主義を形成してゆく。
Franklin
ウェーバーは最初の章で、プロテスタント精神の代表としてベンジャミン・フランクリンの言葉を引用する。

「時間は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。本当は、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。」

どこかで聞いた言葉だと思ったら、ミヒャエル・エンデ『モモ』に出てくる「時間どろぼう=灰色の男たち」とそっくり。400110687609_1
プロテスタンティズムは世界を幸せにしたのだろうか…。

そんな思いに囚われていたある日、K女学園の国語の先生から「お話がある」と電話があった。学校に伺うと、「nikkouたちの教科書が以前に比べて浅薄になっている」というお叱りだった。
K女学園は、進学校ながら、精神的・倫理的な教育にも力を入れているプロテスタント校で、個人的には非常に敬意を持っている。
先生いわく、「あなたたちの仕事は10代の生徒たちの心に大きな影響を与えます。今の教科書は、流行を追うばかりで、精神性も思想も感じられません」
…おっしゃるとおり、流行を追っています。そのほうが儲かりますから。

だいたい、昔のうちの教科書は、柳田國男に丸山真男に坂口安吾に小林秀雄に谷崎潤一郎…と、ひとつひとつ理解するのに相当時間がかかるものばかりだった。「ゆとり教育」の現代、とにかく2~3時間の授業で出来て受験にも役立つ簡便な教材を、と多くの学校からせきたてられて作ったのが、今の教科書なのであります。
でも、それは言い訳なんだろうなー、この先生は、じっくり時間をとって、生徒たちに思想や倫理を教えてきたのだろう。生徒たちを愛し、生徒たちの未来を案じ、全力を投入してきたのだろう。たいへんな労力である。
礼拝堂の横で叱られながら、初期プロテスタントのクリスチャンたちの思いを、ふと、理解した。
日々の仕事の中で、主に仕えてゆくというのは、こういうことか。

ひょっとして、この「主」に仕えるが、「金」に仕えるになったとき、味気ないTime is moneyの世界になったのだろうか。

動き出してしまった教科書業界の現状を変えるのは難しい。
でも、本当は、K女学園の先生に共感する。nikkouもがんばるよ。本当の教科書を作ることのできる知性と教養を。ゆっくりでもいい、大もうけすることが目的でなくてもいい、「天職」に応えてゆこうと思う。

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Comments

nikkouさん、いい経験してますねー。

お金はね、力です。そして欲望です。
しかし、お金そのものには何の意味もありません。無色透明です。記号です。
商売を始めて20年弱、ずっと「お金とは何か」と考え続けてきましたが、最近やっと薄っすらとその本質が少しだけわかってきたような気がします。
言葉にするとつまらないですが、お金は手段。時間も手段。私の中ではそれほど違いません。

有限な生の中で、いかに神の国を自分の手の届く範囲で実現できるかがクリスチャンの目的では?

Posted by: ゴトウ | May 10, 2006 10:37 PM

教科書作りって、ホンマに難しいんでしょうね(前にも書いたか)
nikkouさんのブログを読んでいるとつくづく思います。特に国語や歴史の教科書って、ものすごく作るのが難しそうに思います。
国語というと、(これも前にも書いたけど)僕は教育テレビの幼児向け子供番組って、とてもよく出来ていると思ってるんです。
特に「にほんごであそぼ」と「てれび絵本」
あれは、子供に見せると同時に、親にも勉強してもらおうという意図が有ると思います。
先月、「てれび絵本」では「あらしのよるに」を1ヶ月ぐらいかけて最終話まで放映してました。
飛ばし飛ばしで観たけど、最終回は子供そっちのけで、ヨメさんとテレビにかぶりついてました。
「名文は時として刀以上の武器にもなり得る」というようなことを司馬遼太郎さんが何かに書いていたと記憶しています。
言葉って本当に大事ですよね。
企業人の立場と教育関係者としての立場の両立は本当に難しいと思いますが、頑張ってくださいね。
僕の息子はまだ1歳9ヶ月。
教科書に触れるのはまだまだ先です。
彼がこれから良い本に巡り会える事を僕は祈ってます。

Posted by: ahilland | May 10, 2006 10:46 PM

nikkouさん、こんにちわ。
その先生の熱意が感じられます。

ゴトウさんの無色透明な「金」のたとえも頷けました。

ボランティアで頼まれている紙芝居を2つ、これから作るのですが、この記事を読んで考えさせられました。

プロテスタンティズムは世界を幸せにしたのだろうか…。
う~~~ん、疑問が残る部分がありますよね。
私の中では、プロテスタントの教会で居心地悪さを感じる部分に共鳴します。
教会を愛していこう・・そう思うとき、すべては水に流れていくのですが・・・ね。


Posted by: jojo | May 15, 2006 11:27 AM

みなさま、最近音信不通で失礼しました。
またまた仕事が立て込んできました。

>ゴトウさん

商売20年の重みですなー。
お金そのものには、意味はない、と。
そういえば岩井克人とかも、そんなこと言ってた気が…
この紙切れでこれだけのものを交換できた、という過去が、未来も交換できるという期待を生み、
しかも、そんな未来が無限に続くという建前で、本来価値のない紙切れが取引されるのだー、とか、そんなこと…。
不思議ですねー、お金って。
そんなシステムを思いつくのは、時間の概念を持っている人間ならではなんですかねー。

おっしゃるとおり、金は「手段」、自らの生は「有限」と、きっちり実感できるかどうかで、仕事の充実度が変わってくるのかな~と、思います。

>ahilandさん

「あらしのよるに」、CMでみたなー。そんなにいい作品なんだー。
お子さんがいればこそ、見る機会が出来る番組なんでしょうね。そういう意味でも、お子さんがいるっていいですねー。

それに、そんなにも評価してもらえるなんて、番組を作っている人はうれしいだろうな、って思います。評価の積み重ねが、さらに製作者を励まして、いい作品を生むんですよね。やっぱりいいものは「いい」って言わなくちゃいけませんね。

そして、息子さんが、いい作品に(映画でもアニメでも、もちろん本でも)出会えるよう、わたしたちもがんばらなくっちゃね。

>jojoさん

紙芝居、できました?
どんなお話ですか。jojoさんは芸術的センスがありそうだから、素敵な紙芝居になるでしょうね。

教会も、人間の集まりですもの、完璧なものってないんだろう、って思ってます。
いろんな教会があって、弱いひとりひとりがみんなで知恵を出し合って、その集まりのメンバーひとりひとりが信仰を守れれば十分じゃないかな、って思う。
教会のせいで信仰を失いそうになったらヤバイけれどね。

マックス・ウェーバーの分析も、ひとつの仮説にすぎなくって、問題がプロテスタンティズムそのものにあるかどうか、ってのもちょっと保留かな、って思ってます。

Posted by: nikkou | May 17, 2006 11:35 PM

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