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May 10, 2006

疾風怒濤を乗り越えて

『眠られぬ夜のために』第二部

5月9日
「神の探求」については、『列王記上』第19章にみごとに描かれているとおりである。
人生の目的にたいする絶望や、火や風が、入れかわり立ちかわり降りかかってくるかもしれない。
しかし、正しきものは、静かな説得の声とともにおとずれてくる。
(以下略)

(筑摩叢書:前田敬作訳)

『列王記上』19章を開いてみた。
面白いね、この話。
エリヤという預言者が主人公である。
死にたいと思うほど絶望している男のようである。
この男に向けて強風が吹き、大地震が来、大火事が襲う。そんな大騒動のあとに、「静かな細い声が聞こえた。」というのだ。それが、神の語りかけだった、というわけ。

ヒルティいわく、そういうことは、本当にあるのだそうだ。
神を求めることは、火や風の中をくぐりぬけるようなものだ、
しかし、そういう経験をしたあとで、静かな説得の声が心にしみてくるんだ。
上記の省略した部分には、「そういう『疾風怒濤』のおかげで心を開けるようになるのだから、じっとこらえなさい」ということと、「そんな『疾風怒涛』を経験しないと浅はかな人間になっちゃうよ」ということを書いている。

大学生のころ、クリスチャンの人の話を聞くと、だいだい、

(クリスチャンbefore)つらかった、生きていて苦しかった、哀しい思いをした。
(クリスチャンafter)幸せである。

というストーリーなのに、なんともいえない反発を覚えたものだ。
そんなにも不幸な思いをしなければクリスチャンになれないのなら、
わたしはクリスチャンにはなりたくない、
クリスチャンにならなくっていいから、一生そこそこ幸せでいたい、と思っていた。

しかし、30歳目前にして、「甘かったな~」とつくづく思う。(甘い↓)Food_bf_img01
そりゃあ、世の中には、ひどく気の毒な方たちが大勢いて、
nikkouが感じるような「不幸」など、本当に吹けば飛ぶようなものかもしれないが、
本人はしごく真面目に「辛い」と思うことが、生きているとわんさかあるものなんだね。
多少辛い思いをすると、多少謙虚になる。
そんなときは、聖書のことばも、反発を抱くどころか、泣きそうになりながら読むことになる。

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ゴールデンウィーク中にゴスペルを教わったドニーマクラーキンの自伝を読み終わった。
ドニーの母親は、身内によるレイプによって生まれた子供であったこと、
ドニー本人も8歳のときに、同性愛者の叔父にレイプされたこと、
少年ドニーにとって唯一の逃げ場であった教会でさえも同性愛者が少年を漁りに来る場所と化し、行き場をなくしたことなどが、赤裸々に書いている。

しかし、ドニーは、この罪の連鎖を自分の代で断ち切る決意をする。
それは、「神は自分をそんな人生を送るために生まれさせたんじゃない!」と信じたから。
そして、「イエスも苦しんだ」ということが、彼の心を癒したから。

そういう経験をしたからこそ、今、彼は力のない教会を遠慮なく叱り飛ばし、
自分のもとに集まってくる性的虐待の被害者を、深い同情と、冷静な判断をもって受け入れることができているのだと思う。

もちろん、「疾風怒濤の過去があってよかったね」なんてことを言う資格は、nikkouには全然、ない。
そんな過去など無いに越したことはない、と心底思う。
でも、
「疾風怒濤のあとに、神の声を聞く」ということは本当にあるんだ、
というヒルティの言葉や、ドニーの経歴は、
この先、「疾風怒涛」を避けられなくなった際に、きっと力になるんじゃないか、という気はする。

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