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June 16, 2006

リハビリテーション医療打ち切りに反対

『眠られぬ夜のために』第二部

「6月17日
(前略)
…いわゆる強力な政治というものは、キリスト教の精神とはあきらかに相容れない。
そういう政治家たちは、おそらくふたつのたましいをもっているにちがいない―私用のためのたましいと、公用のためのたましいとを。」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

Photo_3
今日、ゴスペル仲間のSさんを見舞ってきた。
Sさんは、数ヶ月前、脳内出血で突然倒れた。
いつも饒舌な面倒見のいい兄貴で、働き盛りの遊び盛り、元気一杯だったから、みんなとても驚いた。
しばらく意識不明の状態が続き、仲間内で彼のことを祈るメーリングリストが立ち上がった。
nikkouも祈った。
でも、時々、祈れなくなった。
―だって、バナナくんのときも、妹が倒れたときも、nikkouは必死で祈ったのである。けれども、主は、彼らをみもとに召された。そのことを、ふと思い出してしまったのである。

「祈り」って、なんだろう。
nikkouの願いにかかわらず、主はご自身の計画を進めてしまうのではないか。
ならば、なぜ「祈り」のなかで「願う」のか。「感謝」とごくたまに「恨み言」を言うくらいしか、もうわたしには祈れないのではないか…という思いに、ときおり、「願い」の言葉が中断された。

ところが、Sさんは、意識を取り戻したのである。
今日、見舞ってみると、車椅子に乗っていたSさんは、ぎょろっと目をむいて、nikkouを見た。
表情を作るのはまだ難しいらしく、時おり目をしばたたかせて、nikkouを真剣に凝視した。
ときおり、のどの奥で声を出した。
Sさんの顔を見たら泣いてしまうのではないかと恐れていたけれど、実際にSさんの顔を見たとたん、nikkouは思わず笑った。うれしかった。

ご両親のお話では、Sさんは、ハードなリハビリを毎日こなしつつ、薄紙をはぐように、良くなっているそうだ。
長い時間がかかるかもしれないけれど、ゆっくり、ゆっくり、マイペースでがんばれ、とみんなで励ましている。

帰り道、歩きながらふと、「神様、どうか、Sさんを―」と祈りが漏れ、そのまま、ひざまずきたくなる衝動にかられた。

   神様、どうか、Sさんをお守りください。

「祈り」ってなんだろう。
やっぱり、主は、ご自身のご計画を粛々と進められる気がする。
けれども、祈らずにいられない。
そして、わたしが祈りのなかで願った事と、主の計画が違っていても、きっと、きっと、主はわたしの願いに、答えをくださる。
経験上、そう思う。

先日、会社で署名が廻ってきた。
診療報酬改定により、4月から、リハビリテーションの日数に上限がきめられたそうである。
簡単に言うと、まだまだ回復途中でも、決められた日数を過ぎたらリハビリを打ち切られちゃう、ということらしい。びっくりである。Sさんはだいじょうぶなのか。「ゆっくり、ゆっくりマイペースで」なんて言ってきたけれど、期限がきたら、病院をおんだされちゃうんか。あわてて、反対署名いたしました。

「リハビリはお金がかかるからね~」と、友人は言う。
なるほどね。高齢社会だから、リハビリをうけるお年寄りが増えちゃって、お金がかかって困るってことなんでしょう。
一方で、防衛庁は防衛省に格上げするらしい。
少子化はどんどん進み、お年寄りは見捨て、
国防をする前に、国民がいなくなっちゃうじゃないのね。
どうも、お金の使い方を間違っている気がするんだけれど。

再出発日記」のKUMAさんのトラックバックで、おなじ署名をネットでできることを知った。


リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名活動

ネット署名

もちろん、住所・名前は非公開にできる。
それでも不安であれば、プリントアウトして、郵送することもできる。

一応、相手がネットなので、今日お見舞いに行った初台リハビリテーション病院のスタッフの方にこの署名用紙のプリントアウトを見せて、怪しいものでないかどうか確認しました。「全然怪しいものじゃない。だいじょうぶ」とのことでした。発起人に名を連ねている大田仁史さん(前茨城県立医療大学附属病院院長)は、リハビリ医療の世界では大変信頼のおける人だから、とのことです。
また、nikkouの勤務先である出版社は、発起人のひとり多田富雄さん(東大名誉教授)と浅からぬ縁があるので、それも信頼できる根拠かと思います。
次回のゴスペルのリハーサルには、署名用紙をプリントアウトして持って行きます。
どうぞ、署名のご協力のほどを。

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Comments

んー、またまた興味深い話題ですね。書き込みたいことが山ほどあります。神様、愛にあって真実を語らせてください。イエスの名で。アーメン。


一般の人や患者さんは「リハビリ」っていうと専門の理学療法士さんや作業療法士さんが手取り足取りしてくれるのを「リハビリ」だと思っています。

でも本当に大切なのは、患者さんが退院後、家で生活する動作そのものをリハビリすることです。ある人は立ち上がるまでは無理だったら、座りながらはう事を練習します。この練習は、ベッドを取ってしまって、マットの上で介護無しでがんばってもらう方が効果的です。それが退院後の環境に近いからです。

「専門職」の指導の下で出来るリハビリは短時間です。本当は見守られながらの「自主練」にかかっています。意欲ある人はドンドン自分でやって回復していきます。でも生きる希望も意欲も無くなった人がほとんどというのが現状です。

根本的には、リハビリして動けるようになってもしたいことがないのです。生きる意味も無いと感じてしまっています。

政治の話をすると、厚生労働省は病院に社会的入院している高齢者を在宅へ帰すために、たくさんの医療改革をしてきました。リハビリの推進もその一つです。脳梗塞などの患者さんを放っておいては寝たきりになり、医療費がかかるので、リハビリ医療に保険点数の優遇策をつけ、推進しました。PT(理学療法士)やOT(作業療法士)は着々と増えましたが、医者が増えません。リハビリ医を育てる機関や大学が少ないし、リハビリ科は不人気です。

私個人の意見を言うと、暴言かもしれませんが、リハビリして動けるようになるよりも、活き活きと希望と意欲をもって生きられる事の方がはるかに優先して欲しいことだと思います。体をいくら回復しても、心が倒れていては何もなりません。毎日笑い、感謝して励ましあいながら生きられる、そういう居場所があれば、障害があっても幸せに生きられます。家族がそういう居場所を作れないなら、クリスチャンが作れると思います。新しい家族の創造と成長、それが求められているのではないでしょうか。

私は脳梗塞の患者さんを何人か主治医として受け持ちましたが、研修医の1年目のとき、麗しい関係を築いたAさんが忘れられません。「何で死ななかったんでろ?」と嘆くAさんを慰め励ましました。一般病院での乏しいリハビリでしたので、ご家族に協力してもらい、自主練に励んでもらいました。何とか車椅子移乗、トイレ自立、食事自立、座りながらの移動ができるようになりました。5ヵ月後、涙涙の退院でした。木曜日の外来にはいつも「風ひいだ。」「頭イで。」と理由をつけては私に会いに来てくれるAさんを愛おしく思ったものです。しかし、Aさんの生活を聞いてみるとびっくりしました。「毎日トイレの回数だげを数えでる。」と言います。びっくりして往診してみると、トイレの横の部屋にベッドがあり、ラジオだけおいてありました。息子さんはすでに亡くされていて、お嫁さんと小さなお孫さんだけの家族でした。日中は一人。ラジオも聞く気がせず、することが無いのです。毎日トイレの回数だけ数えてるAさんでした。木曜日だけ、病院のデイケアに来て、理由をつけて外来診察に車椅子で連れて来てもらうことだけが楽しみでした。

こういうおばあちゃんたちを教会にお迎えして、お茶とお話しの相手にならせてもらいたい。元アメリカの看護師・理学療法士だった牧師夫人の祈りです。

こんなおばあちゃんたちが活き活きと喜んで生きていける居場所を教会は提供できると思います。私のミッションです。名づけてミッション・ユアオーケー。どんな時も大丈夫。

フィリピンでクリスチャン友達の家に泊めてもらいました。お父さんが若くして、脳梗塞右片麻痺でした。発症から2年ということでした。農業工学の学者だったお父さんは職を失いました。フィリピンでは福祉政策はほとんどありません。お母さんが働いただけでは一家は食べて行けません。娘が日本に出稼ぎに行きます。こんなクリスチャンの若者にチャンスをあげるのが夢です。お父さんが言いました。「医者からこんな薬をもらってるけど、医者は高いから通えない。飲まなきゃ悪くなるか?この手はもう動かないか?」家族で出来るリハビリを教えました。関節を動かして筋肉を伸ばすだけでも、しないのとは大違いです。でも発症から2年、医学的には動くようにはならないのが常識です。再発防止のため、安いアスピリンだけ薬局で買って飲むようにアドバイスしました。「イエス様は手がなえた男の手を癒しましたルカ6:10。信じますか?」と言いました。お父さんはどこかうれしそうに「I know the story.」と言いました。「信じるなら、治るよ。」と言いました。

このように、リハビリも大切ですが、リハビリよりもっと大切なことがあります。またそこは私たちクリスチャンの専門分野なのです。「生きる意味」「活き活きとした希望」「みんなで包み込む愛」すべてこの世にはない、私たちが神様からたくされている財産です。

私の恩師が教えてくれました。ホスピスはガン患者だけのものじゃないよ。温かいおもてなし、お話して仲良くなり、家族ぐるみのおつきあい、生きる死ぬの意味を分かち合っていく。これは本当はすべての人に必要なことなんだ。

また、長くなってしまいました。ごめんなさい。最後に聖書の御言葉をお読みします。

マタイの福音書25章

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

ではまた。

追伸
「癒しの奇跡」「祈っても癒されないのはどうしてか?」いろいろ証ししたいですが、nikkouさんのお許しを得てからにしたいと思います。かなり長くなります。長い文を書き込ませてもらってとても感謝しています。私が一番恵まれています。心が燃えてきますね。


Posted by: シンゴ | June 17, 2006 at 05:00 AM

nikkouさん、さっそく署名しました。
ウチの会社でも一昨年、工場長が仕事中ハシゴから落ちて脳を強く打ち、1週間意識不明になりました。毎日見舞いに行きましたが、意識が戻ってすぐのときはちょうどSさんのようにじっと見つめられました。
しばらくは自分でもわけがわからなかったようですが、2ヶ月ほどのリハビリのおかげで、以前と変わらない状態に戻っています。
私も当時、ずっと祈りました。兄のように育ってきた人だったので、何とか元気になってほしい。でも、だめだったとしても彼のこれまでの人生は素晴らしかったし、私たちも彼からたくさんのものを貰いました。だから「御心のままに」と。
脳の場合は一生後遺症をひきずることもありますが、そのときはそのときで、また、その人と共に生きていく過程を神様が与えてくださるのだと思います。
私もお祈りしてます。

Posted by: ゴトウ | June 17, 2006 at 09:32 AM

>シンゴさん

早起きですねー。

>リハビリ医を育てる機関や大学が少ないし、リハビリ科は不人気です。

なるほど!これは現場の声ですなー。リハビリ打ち切りの背景の一つに、人手不足ということもあるんだろうか。

>私個人の意見を言うと、暴言かもしれませんが、リハビリして動けるようになるよりも、活き活きと希望と意欲をもって生きられる事の方がはるかに優先して欲しいことだと思います。

いえ、決して暴言なんかじゃないと思いますよ。むしろ大切な視点ですよね。根幹というか。

今回のリハビリの問題から限って言えば、シンゴさんの求めている働きは、ひょっとしたら、現在の社会や政治が取りこぼそうとしている人たちを受け止めようということなのかな、と思います。
まさに最後にひかれていたみことばのごとく。応援してます。

>ゴトウさん

工場長さん、よかったねー。
そうか、元通りかー。

>でも、だめだったとしても彼のこれまでの人生は素晴らしかったし、私たちも彼からたくさんのものを貰いました。だから「御心のままに」と。

やばい、やばい、泣いちゃうところだった。
nikkouも、そう祈るしかないかと思った。
どうあっても、みこころのままに。そして、わたしがみこころを受け入れることができますように。

お祈り、署名、感謝です。

Posted by: nikkou | June 18, 2006 at 12:58 AM

いろんなクリスチャンブログを回ってきて、帰って来ました。「眠れぬ夜にために」とありますが、私は夜中中仕事をしてるので、息抜きにこのブログに来るのが日課になりつつあります。

あの、大切なことなのでやっぱり追加させてください。「奇跡的な癒し」って本当にあります。Sさんの脳出血、車椅子で表情が作れないとありますが、ぜひ「ミラクルミニストリー」に来てください。11月3日(金・祝) 午後1時 タワーホール船堀 東京 http://www.kojochurch.com/miracle/index.html

私の教会は元日本基督教団、礼拝は聖歌賛美歌だけの真面目な教会なんです。でも10年位前からこの癒しの集会が続いています。奇跡的に癒される人がいます。私は医師なので、最初は懐疑的だったのですが、目の前で自分の知っている人が瞬間的に癒されるのを3回体験して、脱帽しました。

1回目は教会員Mさんの腰痛が癒されました。10年以上腰痛持ちのMさんは幼稚園経営者。よく腰痛の相談をされて、整形外科・神経内科にずっと通っていた人でした。Mさんはある日祈りの中で、「癒されたかったら仕事を休んで米沢に行きなさい」と示されたそうです。ミラクルミニストリーに参加して、一瞬で癒されてしまいました。

2回目は私が関わっていた少年です。非行家庭内暴力でカウンセリングしていた男の子が8ヶ月目に手がつけられなくなりました。陰性感情転移というのですが、暴れるし殴りかかってくるし、人を殺しそうな雰囲気です。牧師夫人は不思議な「癒しの賜物」をもらっています。連れて行くと、ミラクルミニストリーのリハーサルでした。牧師夫人が祈ると、その子は1時間半いびきをかいて寝てしまいました。夢の中で神様の声を聞いたといいます。開放されてしまいました。彼はその時、まだクリスチャンではありませんでした。

3回目、教会のおばあちゃんが脳梗塞になりました。お昼に「根っこの会」に行くと、1人のおばあちゃんがおかしいのです。右手右足が痙攣しています。話しかけてもしゃべられません。礼拝前からこんな感じでしゃべられなくなった、最近良くこんなことがあると周りのおばあちゃんが言います。明らかにTIA脳虚血性発作です。1時間以上続いているから、脳梗塞の可能性大です。「すぐ救急車呼んでください。」「市立病院なら日曜でもMRI取れるでしょう。」病院に搬送しようとすると、まず牧師夫人に祈ってもらおうということになりました。牧師夫人が来て、痙攣してる右足に手を置き祈り始めました。「先生、脳梗塞やから、頭に手置いたほうか・・・」「シー。神様にはそんなこと関係ないのよ。神様、あなたは達者であれとおっしゃいました。姉妹の病気を癒してあげてください。」その瞬間、おばあちゃんはシャキーンと癒されてしまいました。痙攣を起こしていたときのことはあまり覚えてないそうです。私は脱帽してしまいました。病院でしていることがアホらしくなりました。

「心の病」と「痛み」に関しては数え切れない人が癒されています。

私はこの牧師夫人から神様の癒しについていろいろ教えてもらいました。神様はその人を癒そうと思ったら、まず「癒されたいか?」と聞くことが多いです。クリスチャンであっても、クリスチャンでなくてもです。そして、癒す時と場所、癒す方法を計画されます。ある人は自然治癒、ある人は病院で、そしてある人は神様が直接奇跡で。

癒されるまでに出会いや気づき、心くだかれ優しくなるなどのたくさんの恵みがあります。

私の恩師の外科医が「人は幸せになるために病気になる」と言いました。「明らかに不幸せになる人より、幸せになる人の方が多い」と言います。恩師は首や喉頭、舌のガンの専門医です。患者さんは声を失う人が多いのです。でもそんな患者さんは、病気になる前より幸せそうだと言います。

人は病気になることで人生を学びます。自分の弱さ、他人は理解してくれないこと、少しの優しさが心に沁みることなどです。

Sさんもこの試練で大きな祝福を得ることになると祈ってます。病気を恐れ、悲観する必要ないですよ。私自身病気で何度も倒れ、そのたびに数年という長い長いリハビリが続きましたが、神様はそんな時こそ驚くべき恵みをくれます。ミラクルミニストリーに何回も出席してるのに癒されない。牧師夫人はこういました。「神様が癒そうと思ったら、今この瞬間に癒すことができるのよ。でも癒されないと言うのは、神様の計画があるの。」そのときは癒されたい一心で医師に戻りたい一心でその言葉の意味が分かりませんでしたが、3度目に同じ病気で倒れたとき、分かりました。「神様、この病気は癒さないでください。俺があなたの恵みを受けるための大切な弱さです。Ⅱコリント12:7-9」癒されたのはその後でした。でも今でもその弱さは持っています。

最後に御言葉をお読みしますね。

ヨハネの福音書
9:1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

ではまた。

追伸
nikkouさんには牧者pastor の賜物があると感じます。
http://www.enewhope.org/spiritualgifts/evaluation.php

Posted by: シンゴ | June 18, 2006 at 03:42 AM

シンゴさんへ
本来ここにコメントすべきではないんですが、あえてお願いさせていただきます。
 あなたのコメントの内容は素晴らしいと思いますが、人のブログに対するコメントの常識を逸脱した長さです。
 私はnikkouさんのブログの愛読者ですが、あなたのコメントがあまりにも長すぎて、誰のブログかわからなくなってしまいます。ぜひご自分のブログを開設し、自説を存分に展開してください。
 神様の愛を伝えたいのであれば、客観的な視点と配慮をぜひお願い致します。

Posted by: たま | June 19, 2006 at 02:30 AM

たまさんへ
教えてくれてありがとうございます。
そのようにしようと思います(笑)。

お礼に、もし良かったら、この聖会のビデオをご覧ください。9.11テロの翌日、大阪チョーヨンギ師のメッセージです。

mms://vod.davidcho.com/vod/osaka/osaka1206_2_56.asf

では、さようなら。もしも神様のミムネなら、また今度、帰ってきてまたみんなに証ししょうイエス様の愛。しかし帰ってこない時にゃ、思い出してほしいのさ、僕のことじゃないっすよ、イエス様がたまちゃんを愛してるってことをー。Iヨハネ1:3クリスチャン同士が裁かず仲良くなったら日本はリバイバルだね。

Posted by: シンゴ | June 19, 2006 at 10:44 AM

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