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June 08, 2006

行動という任務

『眠られぬ夜のために』第二部

「6月8日


いまこそ、あなたは、神学や哲学の本を読みふけることを、すっかりやめてしまってもかまわない。
あなたは、すでに行動できるほど十分強くなっているのだ。
行動―それは、いつか未来の国におけるわれわれの唯一の任務となるであろうものだ。
そこでは、もはや教会もなければ、書物も説教もなく、あるのはただ、
生きることと行動することだけであろう。(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

ああ、こんなに夜更かししちゃって、お肌に悪い・・・。

本を読みふけるより実行に移せ、と
これは、この1年あまり散々ヒルティから言い聞かされてきたことだ。
神様が評価してくれるのは、どれだけ本を読んでお勉強したか、ではなく、どれだけ行動したか、だ。
おっしゃるとおりです。

しかし、ずーっと祈りつつ、本を読んだり人の話を聞いて勉強してきたことでも、
いざ、行動すべき状況が整うと
ひるむものですね。

最近、nikkouの教会で、ちゃくちゃくと主の計画が実行中の気配。
「うちの教会でもコンサートをさせてください、多くの地域の人々を教会に集めてください」という祈り、
どうやら、実現しそうです。
nikkouが個人的にずっと祈ってきたことですが、
この後に及んで、ひるんでいます。
喜んでいいようなものなのに、急に不安になっている。
どうなるんだろうなー。
自分の教会でコンサートやワークショップを実現してきた友たちよ、どうか祈りの援護をお願いします。
そんでもって、アドバイスもちょうだい。

もうひとつ、最近、祈りに主が答えられたことがありました。
一年ほど前から通っている「手話の会」の名前が決まりました。

「風の音」(かぜのおと)

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)というイエス様の言葉から。
提案をしたのはnikkouですが、
手話の会のメンバーが「そういえば、風の音は、耳が聞こえなくても伝わるものね」と言ってくれて決定となりました。
「風の音」命名記念として、
9月にはろうあ教会での賛美も決定。
手話の日常会話もおぼつかないのになー、わたしなんかろうあ教会に賛美に行ってだいじょうぶかなー、とやはり一抹の不安。

ま、がんばるべ。
じゃなくって、祈るべ。

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「2 眠られぬ夜のために」カテゴリの記事

Comments

たしかに何かやろうと思うときってひるみますよね。でも、文面見てるかぎりでは、nikkouさん、めちゃくちゃ行動してますやん。尊敬しますよ、僕は。

Posted by: ahilland | June 08, 2006 at 10:46 PM

 冒頭、事前に申し上げます。
今回、私が主張するエッセイは、『黒人』に関してでご座居ます。
思うに、内容的に『黒人の皆さん』或いは、『黒人に関わりを持つ皆さん』にとっては、読みたくない、或いは、避けたい内容であるやも知れませぬ。

 しかし、私はその避けたい部分に、勇気を持って、敢えて、触れる事にしたいと存じます。

 私は、『現実』を敢えて語る事にします。
何故なら、『問題の解決』とは『あるがままの現実を直視』にする事から始まると、
確信しているからです。

 私は、『世界の黒人の現状』を鑑みる時に、アンデルセンの童話『裸の王様』の中の一節、『裸の王様』に向かって、一人敢然と『王様は裸だ!』と叫んだ、勇気ある『少年』でありたいと思っています。 

※ 但し、当ブログ主殿のご判断により、当方のエッセイが、当ブログに不適切とご判断された場合には、当方エッセイを速やかに削除して戴く事を望みます。

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:07 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅰ)

 映画『ホテル・ルワンダ』の中で、私の心中に引っかかる『一場面』に遭遇した。
それは、以下のくだりである。
 フツ、ツチ族の果てしのない抗争が続く中、抗争の終結を図ろうとする一派は、抗争の終結に向けて『アメリカの政治的にして、軍事的介入』を期待した。しかし、アメリカは『ルワンダ問題』への介入を忌避する。その理由としては、『ルワンダ問題』が『白人の闘争ではなく、黒人の闘争』であった事を理由に……。

 さて、話題を転じよう。
 
 私は、ここで一つの『命題』を投げる。それは……。
『果たして、アメリカは自由の国であろうか』
即ち、
『アメリカは、民主主義が遵守されている国なのか』
それに対する私の答えは
『否!』
である。

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:10 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅱ)

 話題を転じよう。

 私は、『ジャズ』をこよなく愛し、続いて、『クラシック』をも愛する。
私は、黒人ジャズメン、例えば、オスカーピーターソンが弾くゴージャスなピアノプレイに心酔し、マイルスディビスの、ストレートにしてスリリングなペットプレイに魂を射抜かれ、そして、ジョンコルトレーンのアルトサックスに我が魂の琴線を震わし、魂が陶酔の域に達してしまう事もたびたびである。

 ところがである。中央線沿線の『クラシック喫茶』に通いつめて、ある事実に気がついたのである。
それは、アメリカには『黒人の有能なジャズメン』が多数、存在する。にも拘わらず、何故、ヨーロッパの宮廷文化が育んだクラシック音楽、例えば『クラシックオーケストラ』『クラシックピアニスト』そして『バイオリン五重奏団』には、一人として『黒人奏者』が存在しないのか?!

『あなた方は、黒人のクラシック奏者を、見た事があるか!』

『私は、未だかつて、黒人のクラシック奏者を見た事がない!』

同様の事は、アメリカに限らず、ヨーロッパに於いても然りである。

黒人の優秀なジャズメンは、ジャズのメッカ『バークレイ音楽学院』等で、
『クラシック音楽のイロハ』を学ぶ。即ち、『ジャズ』に秀でる才能を持つ黒人は、
明らかに『クラシック』に対しても天性の才能を持つものなのである。

『皆さんに問う。これらの事実は、一体、何を意味するのであろうか』


Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:11 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅲ)

 更に、トピックは進む。

 私は、『国際陸上競技』或いは『オリンピック』を観ていて思った事がある。
それは、例えば、『100メートル短距離走』決勝のアスリートの全てが、褐色の肌を持った『黒人』である。この事実が意味する事は、『黒人』が群を抜いた身体能力を持ち合わせているという、歴然とした事実が存在する。

 これら、『黒人の卓越した運動能力』は、『陸上競技』のみならず、『野球』『バスケット』『アメラグ』等に、遺憾なく発揮されている事は周知の通りである。

 さて、それでは、上記を前提に、再度、私は皆さんに問う。
『あなた方は、水泳の国際競技、100メートル自由形競泳で、白人の選手に混じって
泳ぐ、黒人のスイマーを見た事があるか!』

或いは、『オリンピック』の華である『シンクロナイズスイミング』に於いて、
『あなた方は、美しくポーズを取る黒人チームを見た事があるか!』

『私は、白人選手に混じって、勇壮に泳ぎ、競う黒人のスイマーを、未だかつて、見た事がない』

 この事実に関して、私は、あるアメリカの白人に、以下の通り問うた事がある。
『何故、国際競技の水泳競技に黒人がいないのか?!』と……。
私の問いに対し、白人の彼は、苦虫を潰した様な表情をして、こう答えた。
『黒人は、水泳が下手だから……』
それに対して、私はこう反論した。
『貴方は、本当の事を言っていない!』と……。

 この問題に関しては、アメリカ社会に、『白人と黒人の利用する、別々のプールが存在した』という、一種の『人種隔離政策』が行われてきたという事実を挙げれば、十分だろう。それ以上、語る必要はあるまい。

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:14 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅳ)

 私が子供の頃、遭遇した『オリンピックの一場面』が存在する。

 それは、ある陸上競技での出来事である。
一位、二位をアメリカの『黒人アスリート』が独占した。二人は、いざ、表彰台に上がった。
そして、熱気がこもる、大観衆に埋め尽くされた競技場にアメリカ国歌が流れていく。
その時である!当の二人の黒人が、毅然とした表情で、握り拳で構えた片手を中空に向けて掲げた。そして、その光景が、全世界にオンエアされた。それは、『黒人からの、アメリカ社会への無言の抗議』、そう、『偽善に満ちた名ばかりの自由の国、民主国家アメリカ』に対する、思えば、余りにもちっぽけな抗議であったはずだ。結果、付け加えるが、二人の賞は当然の如く、剥奪された。それは、『オリンピック』という神聖な場所に『人種問題』を持ち込んだという事を理由に……。

 そこで、私は断言する。
『オリンピックの水泳競技に、黒人が参加すらする事の出来ない、オリンピックの実像とは、一体、何なのか!』

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:16 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅴ)

 さて、アメリカの黒人教会を起源とする『ゴスペル音楽』…、『ゴスペル』をして『主』を賛美する『黒人』の姿、いつ聴いても、いつ見ても素晴らしいものである。
しかし、『黒人が本当に歌いたいのは、一体、何なのか?』『アメリカの黒人たちが、心底、魂の底から歌いたいもの』それは、『アメリカ黒人が受けて来た苦汁の歴史的事実、そして、彼らの前に横たわる避け難き現実』ではなかろうか。恐らく……。
ところが、アメリカにはそんな音楽は存在しない。
ああ、その理由とは……。

 映画『マルコムX』で過激な発言を、決して憚る事の無かった、尖鋭化した『マルコメX』…、事もあろうに、彼は同胞である黒人たちにより射殺されている。
その後、黒人たちは、自分たちの問題に対して、真っ向から『声』を上げる事は無くなった様に思える。これが『アメリカの現実』……。

 さて、古代ギリシャ、『無知の知』で人口に膾炙した賢人、哲学者『ソクラテス』
彼の最期の弁明は、手渡された毒杯を前にして、『悪法も法である』と述べ、自ら毒杯を仰いだというものだ。
そこで『ソクラテス』のこの行為は、明らかに誤りであると、私は断言するものである。
 思うに、『悪法も法である。しかし、悪法は法であってはならない』のだ。
 日本人である私が、アウシュビッツ強制収容所のガス室に送られるために、悲壮感を漂わせて行進していく、ユダヤ人の中の一人であったと仮定しよう。
 私がユダヤ人であったのなら、一人でも多くのナチを殺害するために、その場で銃を奪ってでも、銃をとるであろう。そして、私が黒人であったのなら……。

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:19 PM

『黒人に贈る歌』(Ⅵ)
 PS,
 古き良きアメリカ、そんな時代の、事実を表わす一枚のショッキングな写真が、私の『映像の記憶の底』に、恰も、私の魂をえぐる様に、焼きついてしまっている。

 その一枚の写真とは……。

 星が降る綺麗な夜、白人たちから一方的に凶暴なリンチを受けた、20代とおぼしき、その黒人青年は、未だ、息があるうちに、腫れ上がった顔で、首にロープが巻かれ、有無もつかせず、大きな木から吊るされた。その次の瞬間、神経が硬直し、だらりと垂れる四肢……。
そして、肉塊と化したその青年の下で、これも20代とおぼしき白人の恋人が一組、吊るされた黒人をバックに記念撮影を撮るという構図の、一枚の写真……、
それは、微笑みながらポーズを取る、一組の白人のカップル……。

 これ程までに、恐ろしい写真があろうか……。

          (完)

Posted by: Jazzpianist 2006 | June 08, 2006 at 11:22 PM

>ahillandさん

いやー、おだてないで~、木にのぼっちゃうからー。

Posted by: nikkou | June 09, 2006 at 09:42 AM

>Jazzpianist 2006さん

こんにちは。
やっとお名前を呼べるわ。ありがとうございます。

今日お書きいただいたコメントの内容は、ぜんぜん不快ではありませんし、
実際、アメリカで黒人さんと親しくしたことのある日本人であれば、Jazzpianist 2006さんに共感することも多いのではないかしら。


Posted by: nikkou | June 09, 2006 at 09:53 AM

ただ、ひとつだけ、Jazzpianist 2006さん
に聞いていただきたいことがあります。

お書きになっている内容自体は、私自身はまったく不快でもなんでもないのですが、
その方法(わたしのブログに書き込まれるということ)は、ちょっと、ネチケット(ネット上のエチケット)に触れるのではないか、と思うのです。

まず、このブログの目的を知っていただきたいと思います。
冒頭にあるように、わたしnikkouがヒルティ『眠られぬ夜のために』を読んで、感じたことを日記のように書き、公表するものです。コメントは、わたしの日記を読んだ方が「読んだよ」ということを残すメモのようなものです。

たとえるなら、小学生の日記と、それに赤ボールペンでコメントする先生のようなものでしょうか。

しかし、Jazzpianist 2006さんのなさっていることは、こどもの日記を無視して、教師が自分の主張を日記の分量を超えて書いているような印象です。
こどもであるnikkouの当惑は、ご理解いただけるでしょうか。

たくさんお書きになったので、右にある友人たちのコメントの記録も消えてしまいました。これも少し悲しい気持ちです。

初めてJazzpianist 2006さんの書き込みを拝見したときには、その分量と、わたしの日記とのかかわりのなさに、ブログがのっとられるような恐怖を覚えたことも、正直に告白しておきます。

Posted by: nikkou | June 09, 2006 at 10:00 AM

御主張なさりたいお気持ち、よく分かります。お書きになっていることも、共感いたします。

もし、Jazzpianist 2006さんが、そのお気持ちをつづりたい、ということであれば、
わたしのコメント欄のような、ささやかな場で、また読者たちを当惑させるような方法ではなく、ご自身でブログをお作りになることをお勧めします。

わたしの使っているブログは、以下のホームページから作れます。無料です。

http://www.cocolog-nifty.com/start/index.htm

難しいものではありません。
そのほうが、Jazzpianist 2006さんの御主張も、広く知られるように思います。
アメリカでのお話もきっと多くの人に喜ばれることと思いますよ。

お作りになる過程で、もし分からないことがありましたら、ご説明いたします。
メールアドレスなど、お残しください。(もちろん、正体を詮索するようなことは一切いたしませんのでご安心ください。)

Jazzpianist 2006さんが、わたしの気持ちを理解してくださいますように。
これからも、主にあって、よい交流ができますように。

Posted by: nikkou | June 09, 2006 at 10:10 AM

風の音、すてきなネーミング。
以前、目の見えない方が「目が見えないけど、見えるのよ。」とおっしゃっていたことを思い出しました。

風がほほを撫でると聞こえますよね、ホント。

Posted by: jojo | June 09, 2006 at 10:56 AM

こんにちは、川崎のINAです。わかるかなぁ。nikkouのプログはよく見てますよ。いつも考えさせられます。
ところで、nikkouの教会でのコンサートが実現にむかっているとのこと、素晴らしいね。クワイヤをたちあげるのかな?
実は、私の所属しているkwasutaが休会することになりました。私は家庭の事情で、夜に活動できないけど、メンバーの中には、ゴスペルを続けたいと思っている人もいるかも。よかったら、詳しいことを、教えてくれますか?

Posted by: IMA | June 09, 2006 at 02:48 PM

>jojoさん

ありがとー。
聖霊の風のようにね、わたしたちの手話も伝わるといいな、と思います。

>IMAちゃん

わっかるともさー!IMAちゃんが見ていてくれてたとは、知らなかった。ありがとう!

>クワイヤをたちあげるのかな?
実は、私の所属しているkwasutaが休会することになりました。

ううう。じつは今、まさにnikkouがひるみまくっているのは、それ、そのことなのだよ。
KAWASUTAって川崎ジモティ中心で、街のイベントやお祭りにも積極的に参加している、地元密着型のクワイアーじゃない?
そのクワイアーが休会って、すごく惜しいと思うのよ。
そんなタイミングで、川崎教会でコンサートの企画がもちあがるってのは、「なにか、せい!」といわれているとしか思えないのですよ。
でも、どうすんべー。
クワイアー立ち上げるには何をすればいいの?

じつは、KAWASUTA休会の件も、教会の人たちにはなんにも言ってないんだよね。

とりあえず、もうちょっと時間をちょうだい。ちょっと集中的に祈ってみる事にするよ。

ともあれIMAちゃんの書き込みに、さらに後押しされた思いです。
本当にありがとう。

Posted by: nikkou | June 10, 2006 at 03:41 PM

よかった、nikkouが私のことわかってくれて。
nikkouと連絡がとれるよう、できれば、メルアド教えてくれると嬉しいな。
私も祈ってるね。

Posted by: IMA | June 10, 2006 at 09:44 PM

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