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August 22, 2006

内輪言葉じゃなく

『眠られぬ夜のために』第二部

「8月22日
ときには、敵のほうが正しいこともある。というのは、人間のこころは生まれつきはなはだ利己的であって、どんな論難攻撃をもすべて自分に対する侮辱だと感じるからである。そういう敵の言い分についても、すべての復讐を神にゆだねる習慣をつけると、ずっと公平無私で検討できるようになる。
これに反して、ある人に反対することが義務である場合は、そのあと相手に憎悪の念が固まることのないように、もっとも近い機会に、その人に親愛を示すようにこころがけるべきであろう。なるべく早く親しい言葉をかけるだけでも十分なことが、よくあるものだ。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

 たとえ「敵」であっても、批判には謙虚であれ、判決は神にゆだねよ、逆に反対意見を述べる時は気を使え、ってことでしょうか。親しい声をかけるだけで十分、というのは、「まあ、あんまり構えるなよ」ということだろうね。これから実践してみようっと。

 たしかに、人に反対意見を述べなきゃいけないときってある。「裁く」というのとは別だ。
 じつはnikkouは「裁くな」というクリスチャン特有の言い回しがあまり好きじゃない。
「裁く」というのは、キリスト教業界では、裁判をすることではなく、「この人は、これこれこういう人だから駄目だ、と勝手に判断すること」を言う。たしかにあまり良くないことですな。ものの考え方としてはとても大切なことだし、つねに自分に言い聞かせていたいことだと思う。
 ただ、面と向かって「あなたは人を裁いている!」と言うと、時々、正当な批判や意見を封じ込める働きをもってしまう気がします。ましてや、批判された本人が口にしようものなら、それはただの逆ギレではないかと思う。でもまじめなクリスチャンほど、「裁くな」と言われるとドキッとするんじゃないかしら。nikkouはあまりまじめじゃないからムッとするけど。

 ついでだからもうひとつ、あまり好きじゃないクリスチャン特有の言い回しをいうと、
「恵まれました~」ってのが嫌いだ。
 初めて耳にしたのは、あるゴスペルコンサートである。「コンサートどうだった?」と聞いたら「恵まれました~」と答えが返ってきた。
「恵まれる」という日本語は、基本的に「何に」を伴う。「天候に恵まれる」とか「環境に恵まれる」とか。だからこの場合、「何に?」と聞きたくなる。ふつうに、「感動した」とか、「楽しかった」とか言えばいいじゃん。それでも言い足りなかったら、「演奏者の信仰が伝わってきた」とか「神様の存在を感じた」とか言えばいい。
 その後もしばしば耳にして、その都度、背中がもぞもぞする。

 先日、あるクリスチャンの友人が一般向けの文章に「内村鑑三のこのような言動につまづく人は多い」と書いたところ、校閲者が「つまづく」に線を引いて「意味不明」と書いてきたという。
 クリスチャン仲間では「意味不明なんだねー」と笑い話になっていた。
 でもnikkouの場合、そういう言語感覚を失うことは編集者として命取りかも、とチラッと思った。

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Comments

うーん、わかるわかる。
「つまづく」は「躓く」にすると宗教的語感が出るかも。

Posted by: ゴトウ | August 23, 2006 at 07:19 AM

おう、なるほど。
聖書によく出てくるんだよね「躓く」って。
レトリックとしては、面白くって好きなんですけどね。使う状況によるんだな。

Posted by: nikkou | August 23, 2006 at 11:45 PM

すばらしいバランス感覚ですね。さすがに一流出版社の編集者です。安心します。すぎ

Posted by: kkss | August 25, 2006 at 07:04 AM

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