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October 28, 2006

「献金」もらっちゃった!

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月26日
善い事業であればすべてそれに直接関与するということは、必要でもなく、またできることでもない。(中略)しかし関心だけならば、この世で行われるすべての善事に対して、これをもつことができる。
(中略)たとえただ僅かにせよ金銭を寄付することが、その関心を活発に維持し、その事業にある程度の結びつきを持たせることは事実である。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

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まだリトルライトのみんなには報告していないことだけれど、今の自分の気持ちを忘れないためにも、ここに書きとめておこうと思う。

先日、教会の牧師先生の奥様からお電話をいただきました。なんでも、先日のリトルライトのコンサートにいらしていたあるご婦人から、「リトルライトへ」と「献金」をいただいたそうであります。

念のため、大きな声で申し上げたいのですが、いま、リトルライトは金銭的に困っている、ということはありません。みんなの会費で、歌詞のコピー代もコンサートのちらし代も十分まかなえております。だから、特に献金を募る、ということはしておりません。

ただ、そういうことではなく、このご婦人のお気持ちに、nikkou、深く深く感動しました。
と、同時に、すごーく正直に言うと、…ショックを受けました。
献金…!
…わたしたち、献金をもらうようなことを始めちゃったんだ!…って。
あまりにショックで、電話を切ったあと、ぶしゅー、と涙が出ちゃったくらい。

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献金、というのは、「するもの」でした。
尊敬する徳島聖書集会の吉村さんへ、―ますます伝道にもちいられますように、
敬愛する小国フォルケホイスコーレの武さんへ、―ますます若者のために用いられますように、
アフガニスタンで井戸を掘っている中村哲医師へ、国境なき医師団へ、ワールドビジョンジャパンへ、WFPへ、
ヒルティがいうように、自分は、「善い仕事」に直接関与できないから、だから、私の日々の生活の糧から、少しでもこのお金が清められて用いられることを祈りつつ捧げる…それが、「献金」でした。
そして、実を言うと、「献金」をいただく立場については、想像したこともありませんでした。

今回「献金」をいただいて、nikkouを襲ってきたのは、すさまじい緊張感でした。ちょっと大げさな言い方になりますが、この時初めて、「リトルライトってパブリックなものだったんだー」と認識したのであります。
リトルライトを通じてだれかに主の愛を伝えたい、と偉そーに申しておりましたが、心のどこかで、ちょっと趣味っぽい気持ちというか、内輪でやっている思いがあったんですね。

上記のヒルティは、「献金をつうじて、結びつきが生まれる」って言っている。
わたしたちリトルライトの、メンバー内の結びつきは、もう十分生まれ始めていると思っていた。でも、外部からの結びつきということは、あんまり意識になかった。(追記:もちろんお祈り応援してくださった方たちには、心から感謝してますよー。)
だから、わあ、たいへんだ、と思った。
と、同時に、献金を受けてお仕事をしている人たちに、初めて、深く深く尊敬の念が沸いた。すごいことよ、ほんと。責任がかかってるんだもの。

ぶしゅーと噴き出した涙を拭いて、nikkouの頭に浮かんだのは、「ヤベツの祈り」でした。

「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、
わたしの国境を広げ、
あなたの手がわたしとともにあって、
わたしを災いから免れさせ、苦しみをうけさせられないように』
神は彼の求めるところをゆるされた。」(歴代史・上、4章10節)

…いやぁあ~ん、自分たちで内輪に楽しんでいるだけだからほっといて~っっ!
なんて、言っちゃだめなのね。国境を広げてくださって、感謝なのね。

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October 23, 2006

アーミッシュの事件について

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月21日

すべての善を自発的に、あれこれ考えたりなどせずにごく自然になり、すべての悪にたいしては反感をおぼえる―というところまで人間の本性を『きたえた』ならば、これはこの世における最も正しいことであり、到達しうる最高の段階である。(以下略)」
(筑摩叢書:前田敬作訳)

昨日、今井館聖書講堂での「内村鑑三を読もう」の会で読んだ『求安録』にも似たようなフレーズがあった。

「キリストの救いにあずかりてより、義務を尽くすは快楽と変ずると同時に、罪を犯すは苦痛と変ずるなり」(『求安録』「楽園の回復」)

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こういう境地にはなかなか、至らないけれどねー。
昨日の読書会は、nikkouの同世代が4人、40代の兄貴1人と、60代のお父さんたち2人という構成で、とても楽しかった。今回の発表者はnikkou。発表といってもだいそれたことじゃなくって、「こういうところに感動しました」ということを言うだけで、気楽なものです。ちなみにnikkouが一番感動したのはここのとこ。

「キリストの愛神主義は、利他利己両主義の上に超越して、もっとも多く他を利として、最も多くおのれを利するの道をわれに教えたり」

「愛神主義」ってのは、「自己中心主義」どころか、「利他主義」にもまさって、自分のためにも人様のためにもなるんだよ、という意味です。
実際、「利他主義」というのは、とても素晴らしいことのようだけれど、すごい葛藤のある考え方だと思う。nikkouもボランティアなどしているけれど、「誰かのために自分を犠牲にしてがんばるんだ!」という考えていたころは、ちょっと偽善的で、とてもストレスフルだった。でも、「神さまがわたしに『やれ!』と命じている」「この仕事は神さまが私に与えたもので、だからこの人と出会ったんだ」と考えると、「私は偽善者なんじゃないかしら」みたいな葛藤がなくなって、気が楽になった。…という話をしました。

Amish
そういえば先日、アーミッシュの村の学校に銃を持った男が乱入し子どもたちを撃ち殺した、という事件がありましたが、その際、13歳の女の子が、下級生たちを守るために、「わたしを撃ってください」と進み出たとのこと。さらに、その子の両親は、犯人の家族をお葬式に呼び「赦します」と伝えたそうであります。(ちなみにアーミッシュの写真集「The Gift to Be Simple: Life in Amish Country」はすごく素敵)
日本でも連日子どもが犠牲になるニュースが流れ、その都度ご両親が「犯人を赦しません、死刑にしてください」と訴える、という状況に慣れてしまうと、こういうアーミッシュの人たちの信仰は、ほとんど信じがたいような、もう、彼岸の世界、というような感じですな。

Amish2
nikkouがこの子の立場だったらどうするだろう。…たぶん、クラスメイトを盾にして、教室の最後尾に逃げます。…でも、クラスメイトの中で特に信仰の篤い奴が、「わたしを撃ってください」と進み出たりしたら、つい、「ぬわに~、あたしだって、負けない!」と従来の負けず嫌いが出て、「いーえ、あたしよ、あたしを撃って!」と、クラスメイトを弾き飛ばしてしまうかもしれない…、って、それは信仰と関係ないな。なんだろ。功名心か?

自己犠牲だの、慈善活動だのってのは、クリスチャンにとって、「そうしなければならない」というルールじゃなくって、自然に出てくることだ、とヒルティや内村は言う。

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今日の礼拝は、無教会の相澤先生のお宅の家庭礼拝のほうに出席してきたのだけれど、そこでもアーミッシュの事件のお話が出た。
相澤先生は礼拝のたび、「死」について語る。
このアーミッシュの、殺された女の子も、イエス様の教えてくれた「死」や「永遠のいのち」について、きちんと理解していたんだろう、という話だった。nikkouはまだ、イエスが教えてくれた「死」や「永遠のいのち」よく分からない。13歳の女の子に及びません。でも、「死」や「永遠のいのち」とは何かがはっきり分かった時、内村やヒルティが言うような、自然な心の発露として、自分を投げ出すことが出来るんだ、ということは、この子を通して、分かった。この命がまだあるうちに、それがどういうことなのか、知りたい、と思う。

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October 16, 2006

リトル・ライトの輪を忘れないでいよう

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月16日

神を愛するすべての人びとにとっては、
神は人生のいくつかの事実を通じて感得し、経験することができるであろう。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)


お祈りくださったみなさま、応援してくださったみなさま、
本当に、ありがとうございました。

昨日、リトル・ライト、初コンサートを終えました。

リトル・ライトの名にふさわしく、ささやかな、でも暖かなコンサートでした。
nikkou自身はあがってしまって、オタオタしっぱなしだったにもかかわらず、
出演したメンバー5人、みごと全5曲歌いきりました。
ちいさいけれど、ゆるぎないともし火、でした。

ゲストのチョイス・ノイズ・シンガーズにも、本当にありがとう。nikkouが最後に聴いたときより、格段に腕があがってました。
でも、なによりもすばらしかったのが、リーダーのともちゃんのMC!堂々たるPreacherぶりでした。シンガーズを始めるとき、ともちゃんは、
「大事なのは、自分を、シンガーズのみんなと神さまの間にいて、みことばを通す管にしてください、って祈る事だ」と教えてくれました。
昨日は、身をもって示してくれていた。ありがとう。

目をつぶれば、お客さん全員を思い浮かべることができる。どこにだれが座っていたかも。お客さんは全部で14人。お客さんみんなと、チョイス・ノイズと、リトル・ライトで、最後に、「主我を愛す」を手話讃美しました。
手のひらがくるくると舞って、とてもきれいだった。
これがきっと、リトルライトの原風景になるんだと思う。
ひとりひとりの顔が見える、ちいさくても確実な、人の輪。忘れないようにしよう、と思った。

・・・実は、帰り道、漠然と、この先、どうなるのかな、という不安に襲われました。

主は、なにをしたいのだろう。
こんなにもささやかなのに。こんなにも小さい光なのに。なにができるのだろう。

いま、nikkouがしたいこと。
ただ、恩返しをしたい。
わたしは、ゴスペルを通じて、主イエスを知った。
主イエスに出会えて、本当によかった。
だから、同じように、だれかに主イエスを伝えたい。
べつに、教会を大きくしたいとか、クリスチャンを増やしたい、とか、
そんなことは、全然、考えていない。
ただ、どこかで、だれかが、讃美の歌が伝えることを聴いたり、口ずさんだりして、
なんとなく、勇気付けられたり、安心したり、してくれれば、うれしい、と思う。
そんなふうに、用いてもらえるのだろうか。

帰宅して、録音しておいた、コンサートを聴きました。
数回の練習だったにもかかわらず、歌詞もハーモニーも見事でした。
神さま、もし、みこころにかなうのであれば、このシンガーズを祝福してください。

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October 14, 2006

いよいよ明日!

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月14日
『エゼキエル書』第37章。
ここにいわれているようなことが、いまにふたたび起こるであろう。
「枯れた骨」とは、現代の教会を意味する。
しかし、上からの息が、すでにかれらの上に吹きわたり、
これらの死に果てたもののなかに、動く音がしはじめている。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

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ゴスペルコンサートの前に緊張するなんて、
実に何年ぶりの経験だろう。

いよいよ、明日、川崎リトルライトの初コンサートです。
ウェルカムボードも、プログラムも準備できました。
少人数ながら、メンバーのハーモニーもスマイルもパーフェクトです。
ゲストのチョイス・ノイズ・シンガーズには、本当に感謝。
ひとりひとりのメンバーの上に「上からの息」が吹きわたるようにお祈りください。

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October 09, 2006

ミャンマーの「真理」

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月8日

われわれは、人間や世界について多くのことをまなび
知れば知るほど、
キリストの人間知の偉大さにおどろき、
また、この人間知のかわりにべつな世界観を立てようとする人たちの愚かさに
おどろかざるをえない。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

みなさま、ごぶさたしておりました。
帰宅してからも、本ばかり読んでおりました。
なにを読んでいたか、というと、じゃーん、ミャンマー(ビルマ)関係書です。
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左上から
*『ミャンマーの柳生一族』
 高柳秀行・集英社文庫・2006年3月25日
 (初出「小説すばる」2004年8月~2005年10月)
*『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』
 田辺寿夫・根本敬・角川Oneテーマ21・2003年5月10日
*『ミャンマーという国への旅』
 エマ・ラーキン・大石健太郎訳・晶文社・2005年8月30日
 (著者がミャンマーを訪れたのは1995年)
*『マヌサーリー』
 ミンテインカ・高橋ゆり訳・てらいんく・2004年8月10日
 (原著の初版は1976年)
*『自由―自ら綴った祖国愛の記録』
 アウンサンスーチー著・マイケル・アリス(アウンサンスーチーの夫)編
 ヤンソン由実子訳・集英社・1991年12月20日
*『変わりゆくのはこの世のことわり マウン・ルーエイ物語』
 テイッパン・マウン・ワ著・高橋ゆり訳
 てらいんく・2001年3月20日
 (原著は1930年~1941年に発表)
*『ミャンマーの実像―日本大使が見た親日国』
 山口洋一・勁草書房・1999年8月30日
(著者がミャンマーに滞在したのは1995年)
*『希望の声』
 アウンサンスーチー著・大石幹夫訳・岩波書店・2000年7月26日

で、ミャンマー(ビルマ)についてなにか分かったか、と申しますと、
読めば読むほど、分からなくなる!というのが正直な感想です。
旧約聖書の『コヘレトの言葉(伝道の書)』を思い出しました。

「知恵が深まれば悩みも深まり
知識が増せば痛みも増す」

(1章18節)

最初の2冊めを読み終わったときは、「もー、ミャンマーのことはなんでも分かった!」と思いました。
「軍事政権」という言葉のおどろおどろしさと裏腹に、東南アジア特有のなんくるないさー感がたゆたう、微温的な国。
でも、子どもの駄々のような軍部のてきとーさによる経済破綻と人権侵害に国民はうんざりしていて、
そんな中で、東洋の精神性と西洋の知性が融合した才女アウンサンスーチーが民主化運動を進めている国。
その軍部は日本が戦時中にイギリスからの独立をけしかけてこさえたそうな…。

ところが、3冊め『ミャンマーという国への旅』にきて、ふと、不安になりました。
この本が描くのは、軍部による文化人への激しい迫害や、教育の崩壊、そして恐怖。先の2冊は、表面的な理解だったのだろうか。それともこの本が極端なのか。
さらに4冊目『マヌサーリー』を読んで、途方にくれました。
ミャンマーで最も人気のある小説だそうですが、nikkou、この小説の面白さが、さーっぱり分からなかったのであります。

アウンサンスーチーの『自由』に描かれていたのは「発展途上国、最貧国ビルマ」ではなく、王朝文化と仏教の倫理観に培われた豊かな国であり、今は、アメリカ型資本主義でも、もちろん高圧的な軍事政権ではない、最善を求めて歩み続ける一つの国でありました。

今、『変わりゆくのはこの世のことわり』を読んでいるところ。70年前の小説ですが、これはちょっと面白い。
次に『ミャンマーの実像』を読もうと思っている。
『ミャンマーという国への旅』と同時期のミャンマーに滞在した日本大使の記録です。
ぱらっとめくったところ、「ミャンマーに人権侵害はない、軍事政権はたいへんよろしくやっている、アウンサンスーチーにだまされてはいけない」的な主張のようであります。今まで読んできた本と真逆の主張のようです。
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以上、どの本も、それぞれミャンマーの一面なのでしょうが、読めば読むほど、全体は分からなくなる。
だいたいにして、日本人の私たちだって、日本の現状と日本の将来のことなんかそう的確に分かっているわけじゃないです。ましてや、外国の現状と将来なんて、わかるはずがない。

「コヘレトの言葉」とか「ヨブ記」なんかでは、よく、「人間には、なーんも分からないのさ」ということが主張されている。限られた期間、限られた場所、限られた人しか、知らないのに、知ったようなことなど、言えるだろうか。

イエスの言葉、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書8章31節32節)も思い出されました。

「真理」というのは、つまり、「人間には、なーんも分からないのさ、知っているのは『永遠の主なる神』だけなのさ」ということなのかしら、と思います。
「ああ、わたし、なーんも分からんわ」と思うと、確かに、偏見や傲慢さからは「自由」になれますな。

では、nikkouには何が出来るのか。
主イエスの言葉にとどまるならば、やはり「あなたの隣人を愛せ」だろうと思う。
ユーミンちゃんがどんな立場であろうと、どんな考えだろうと、nikkouはユーミンちゃんの「best friend」だ。(←ユーミンちゃんが、そう言ってくれた)。ミャンマーはユーミンちゃんの国で、nikkouには、何も口出しできない。
ただ、日本にいる間、日本のいいところも、もちろん悪いところも、できるかぎり案内してあげようと思う。
そして、ユーミンちゃんのミャンマーでの活躍に、少しでも役立てればいいと思う。

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