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November 14, 2006

死んじゃいけない

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月14日

最もよい時期として思い出に残るのは、しばしばそれに直面しているときには最も苦しく思われた時期である。
というのは、その時期に、われわれは成長をとげたか、
あるいは、
その苦しみがなければいつまでも残ったであろう自分の欠点を脱ぎすてたからである。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

毎日、自殺自殺自殺、自殺のニュースばっかりです。

先日、校閲部の先輩Hさんと呑みながら、自殺の話になりました。
(このブログも読んでくれているそうです。Hさん、ちょっとネタにさせてねん)。
Hさんいわく、自分も子どものころいじめられたので、いじめられっこの気持ちはよーく分かる。(nikkou内心、あー、Hさんって、いじめられそうだなー、と思いました。Hさんごめん。)
大人になったら、こんどはいじめるほうの気持ちも分かってきてしまった(とHさん、ちょっと苦笑)。
だから、今の子がおかしいとか、今の教育がおかしいとかじゃなくって、いじめって、どこででも、いつでもあるんだ。だからさ、今の人が特徴的なのは、やっぱり、すぐ死んじゃえーって、ところなんじゃないかなあ。

…すると話は急に根源的なところに入ってしまう。
なんで、死んじゃいけないんだろう。

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nikkouも高校時代、学校があまり好きじゃなかった。でも、プライドが高いから学校を辞めるなんて、絶対ありえない、と思ってた。そんなある日、ふっと思った。
「あー、生きてるのって、めんどくせー」
(←今年の母校の学祭)
死んじゃった子たちがおんなじことを考えていたかどうかは、分からないけれど、
「今はつらくっても、いつか生きていればよかったと思える日が来る」とか、
「死んだらおしまいだ」とか、
そういうこともなにもかもひっくるめて、すごくめんどくさい。
いまの子の言葉を借りると、「うざい」とか「だるい」とか、そんな感じですね。
だから、「死にたい!」という前向きな(?)感覚じゃなくって、
「生きるのをやめたい」みたいな、「消去法で、結果的に死んじゃう?」みたいな気持ちになったことがあった。
ヒルティが言うようなことって、少しでも情況が楽になってから振り返ると、確かにそうかもしれないけれど、問題のさなかにあるときには、とっても遠い言葉に聞こえる。

自分から死ぬ「権利」はないんだ、と思うようになったのは、それから数年後、妹が死んだときだ。
彼女のことが、すっごく好きだったから、見送る側としては、そうとうしんどかった。
だから、nikkouのことを好きだ、と言ってくれる人があるかぎり、その人に、あのしんどさを経験させてはいけない、と思った。
もしnikkouが今死んだら、うちの両親なんて、もう、気が狂うだろうと思う。
今、自分が死んじゃっても、自分はべつにいいけど、彼らのことを思うと、ちょっとつらい。
だから、いよいよ死ぬときには、「あの人まだ生きてたんだー」って言われるくらいがいい、と思う。

もうひとつ、これはクリスチャンになってから感じるようになったのだけど、
nikkouの信じている神は、nikkouに対して、「これこれこれだけの仕事を、ちゃんとしてからこっちに戻ってらっしゃいよ」という、いわゆる「計画」を持っているんだろう、という気がしている。
それが、出版編集の仕事なのか、ゴスペルを歌うことなのか、はたまた、愛する人の働きを支えたり、子どもを育てたりすることなのか、―どれもみんな、ぼや~っと目の前に示されてはいるんだけれど、とにかく、どれもまだやりおおせていないな、と思う。
もちろん、その仕事も半ばにして、主が「はい、時間ぎれでーす、おかえりなさーい」とnikkouを天国に引き上げてしまうことはあるかもしれないけれど、
とにかく、その仕事を自分から終わらせてはならないだろう、と責任感みたいなのがある。

だから、神様が自分に与えた計画がなんなのか、だいたい、そんなものがあるのか、まるっきり検討もつかない10代のころって、とても不安定で、危険だ。
そんなときに、存在を否定されるようなことを言われたりされたりしたら死にたくなるのも分かる気がする。

でもまあ、そういう時期にいる人には、「もうちょっと待ってみれば」というくらいしか、言うことばが見当たらないんですけれどね。

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Comments

あの、…

ここ、私の母校…です… (吃驚)。

Posted by: ほそのひでとも | November 15, 2006 at 04:14 PM

nikkouさん、私も中学生の頃よく「死にたい」って思ってました。特に試験の前。「今晩地震が来ないかなー」と同じくらいの感覚で(笑)。
冗談はさておき、思春期ってホルモン・バランスが大幅に変わると同時に、子供のときみたいに「世の中は楽しいことばっかりじゃない」っていうことが急にわかってくる頃だから、つい死にたくなっちゃうほうが普通だと思います。逆にそう思うくらいの経験がないと、後で社会に出てからとってもつらいと思う。そこをどう乗り切るかは、やっぱり周囲が「つらいばっかじゃなくて楽しいこともいっぱいあるよ」と教えてあげるしかないんじゃないかなー。
自殺ってのはある日突然するのではなくて「コップに水がだんだん溜まっていって満杯になったときに」するものだと心理学者の先生の本で読みました。毎日、ウチのスタッフを見ててもわかりますよ。「この子ちょっとストレスたまってきてるなー」とか「そろそろ呼んで話したほうがいいかなー」とかみんなサインを出している。
そこが一番見えるのが親だと思うんだけどね。残念です。

Posted by: ゴトウ | November 15, 2006 at 08:47 PM

昨日、私もヨメさんと自殺の事を話していました。ヨメさんに「もし自分が文部大臣だったら、何をする?」と聞かれ、正直答えに詰まりました。
結局、家族で話す時間を持たせるとか、とにかく学校を見て歩くとか、普通の答えしか浮かばず。「難しいなあ」と、お互い言い合うばかりでおわりました。
今、PCデスクの脇に「夏目漱石集」が有ります。昨夜寝る前に何気なく開いて読んだ話が「夢十夜」の第七夜。
死を決する前に、こんな話を読んだなら。
死を思いとどまる人も居るかなあ。
たかだか小説を読んだくらいでは、心は動かんかなあ。

Posted by: y.yamaguchi | November 15, 2006 at 10:38 PM

>ほそのひでともさん

え、本当ですか!?ふこー!?
あらまー、奇遇ですねー。
びっくりしました。宗教心のかけらもない学校でしたのにねー。

>ゴトウさん

なるほどー、あのころは、「疾風怒濤」の時期って言いますものね。
たしかに、ゴトウさんのブログを拝見すると、時々、大変だなーって思う。
でも、ひとごとじゃないなあって思います。社会で生きるって、なにかとストレスフルですものね。ゴトウさんみたいに、身近にいる人たちが「あ、この人、やばいかも」って気にかけてくれるっていうのが、一番心強いですよね。それもまた、社会に生きることの醍醐味なのかな。

>yamaguchiさん

難しいですよー。わたしもなんにも思いつかない。
「夢十夜」の第七夜。文庫本をひっぱりだして読んでみました。わー切ない。
…どうだろう。思いとどまる人はいるかなあ。いるといいなあ。

Posted by: nikkou | November 16, 2006 at 11:58 PM

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