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November 22, 2006

DMZ(非武装地帯)でみたもの

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月20日

地上における神の国とは、
ありとあらゆる困難と戦いながら、
しだいに一定の民族と国土との国民史になり、
さらにずっと後になってはじめて、
すべての真の文明諸民族の普遍史(世界史)にまで伸展していく
ひとつの家族の歴史である。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

Dscn01060001

金網のむこうは、北朝鮮です。

二日目に、DMZ(非武装地帯)を見学してきました。
DMZとは、韓国と北朝鮮の間に引かれた緩衝地帯のこと。
板門店が有名ですが、私たちが見学したのは、野原にえんえんと引かれた鉄条網のほうでした。


Dscn010200011953年に、北朝鮮の捕虜になっていた兵士が釈放され、自由主義陣営である韓国を選んで、「自由万歳」と叫びながら渡ったという自由の橋。橋の対岸は北朝鮮で、鉄条網の上に、たくさんの祈りのことばが貼り付けられている。
1978年、北朝鮮から掘り進んで、ソウルから車で一時間ほどの距離までに及んでいたという地下トンネルや、
望遠鏡で北朝鮮が望める展望台、
そして、統一すれば南から北まで一気に朝鮮半島をつなぐという鉄道の駅も見学しました。

じつは、たーくさん、ブログの原稿を書きました。
なぜ朝鮮半島がそんな状況になってしまったのか、
現在の状況のことを、韓国人のガイドさんがどう説明したのか、
各地点で出会った若い兵士たちの様子、日本語ができる兵士がつぶやいたことば、それを聞いて感じたこと、韓国と北朝鮮の将来…。

でも、読み返してみたら、なんだか、我ながらあまりにも小ざかしくって、恥ずかしくなって、嫌になっちゃった。
だから全部、破棄しました。

Dscn01090001

ただ、ふたつだけ、思いを改めさせられた事を書く。

まず、nikkouは、戦争など、もう、はるかかなたの昔のことだと思っていた。
でも、この朝鮮半島は、今もなお「休戦状態」でしかない。
nikkouが「もはや戦後ではない」といわれて以降の社会を豊かに育ってきた、まさにその時期に、
あたらしい戦争の火種を抱えながら、つい最近まで、いや、今もなお、戦争の後片付けをしている国があって、
その「戦争」に、わたしが育った国が、密接に関わっていたんだ。

ふたつめに、自分が「ニッポン」を背負って韓国や中国に「謝罪」する、というのはいまいちぴんとこない、と思っていた。
謝罪すべきは、そのとき、その場で、悪逆非道なことをした本人たちであって、
わたしではない。
だから、「ニッポン人」としてではなく、「人間」として、彼らの隣人になりたい、
「人間」として、「怒り」と「悲しみ」を分かち合いたい、と思っていた。
しかし、この場合に限って言えば、それは、不可能なんじゃないか、と思った。
「ニッポン人」であるという立場であるがゆえに、果たす事のできる「隣人」の責務、というものもあるのかもしれない。

鉄条網に触れながら、ひとり小声で「Make us one」を口ずさみました。
今回のツアーのリーダーのえっちゃんが、ふとわたしの傍らに立って、
やはり小さな声で、和してくれました。

Make us one Lord, make us one.
Holy sprit make us one.
Let's your love flow,
so the world will know,
we are one in You

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