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November 08, 2006

がっつり生きる

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月8日

人生の最後の段階においては、たくさんの神学書やその他の宗教書をもう読むにはおよばない。福音書を頼りにすることである。
(中略)
書かれたことば(聖書のことば)は、「われらの足のともしび、われらの道の光」(『詩篇』119篇195節)である。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

…と、ヒルティは言うけれど、nikkouは不遜にも、まだ自分が「人生の最終段階」とは思っていないので、もうちょっとあれこれかじって、もうちょっとあがいてみようかと思っております。

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そういえば、わが妹と母、
数年前のある初夏に、あいかわらずの「親子珍道中お遍路篇」の最中、17歳の少年お遍路に出会ったんだそうです。
少年高校三年生、妹いわくとってもcute。「大学進学をせずに、僧侶になりたい」との大望を抱いていたそうな。
それを聞いた少年の担任の先生は、「お遍路に行け」と言ったそうです。
その代わり、毎晩先生に電話をしろ、電話すれば授業出席としてカウントしてやる、と。
少年、白装束に身を包み、野宿をしながら、歩き続け、素直に毎晩先生に電話していたらしい。
男の子とはいえ、野宿の一人旅は危険であります。先生も親御さんも、毎晩、はらはらと無事の電話を待ち続けるひと夏だったことでしょう。

ところが、「お遍路してると、逆に僧侶になる気がしなくなるんじゃないの?」というのが四十一ヵ所まで寺をめぐってきたふたりの予測であります。
たしかに、古寺名刹でも、後継者問題だとか、仏事がビジネスになったりとかで、世俗と変わらないものだとは聞きますけどね。


もちろん、若いときから聖職者を志すというのも、たいへん素晴らしいとは思いますし、そういう使命を帯びている人もいることでしょう。
でもさ、17歳の少年よ、もうちょっとばかり、「終わりなき日常」の中であがいてみようじゃないの、とnikkouなんぞも思います。

昨夜は手話讃美サークル「風の音」の練習日。
讃美歌121番を教わりました。

1 馬ぶねの中にうぶごえあげ、大工(たくみ)の家にひととなりて、
  貧しきうれい、生くる悩み、つぶさになめしこの人を見よ。

2 食する暇もうち忘れて、しいたげられし人をたずね、
  友なきものの 友となりて、心くだきし、この人を見よ。

3 すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにも 報いられで、
  十字架の上にあげられつつ、敵をゆるしし、この人を見よ。

4 この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は、あらわれたる、
  この人を見よ、この人こそ、人となりたる、活ける神なれ。

最初はこの曲を、日本基督教団の「讃美歌名曲集」というCDを使って練習しました。このCDでは、1・3・4番だけを収録しています。でも、2番を抜かすとなんとも悲惨で、わびし~い人の歌になるのね。
そこでもう一枚、森山良子さんの讃美歌集を使ってみたら、今度は、3番がなくって1・2・4番だけ。そうすると今度は、単に「いいひとの歌」って感じになっちゃった。
この歌って、1~4番まで歌ってワン・ワールドというか、とても完成度が高いものだったんですね。1~3番まで1番も抜かさず歌って、4番を歌うと、じん…とする。

歌われているのはヒルティいうところの「福音書」に描かれたイエスキリストの生涯であります。Nikkouがこの歌から感じるのは、けっして取り澄ました聖職者の人生なんぞではなく、「日常」をガンガン働き倒して、与えられた命を極限までメラメラぼうぼう燃やし、がっつり生ききった「人の子」イエスの生涯であります。

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Comments

お久しぶりー。日文のナカクキです。

記事の中の讃美歌121番、すごく懐かしいです。
高校1年生のホームルームかなにかの時に、担任の先生から教わったの。
先生が一生懸命歌って教えてくれたのに、クラスのみんながちゃんと歌わないから(私も含めて…)、先生が怒り狂ったという思い出があります。

きちんと歌えるまで、ホームルームを続けます!!と叱られたので、必死に覚えました。
おかげで、今でもきちんと歌えます(笑)

ところで、手話で讃美歌を歌うって、なかなかイメージが出来ないのだけれど、どんな風にするのかしら?

それから、お遍路の記事にあった写真に、アサガオのようなきれいなお花が写っていたよね。
あのお花、通学路に咲いています。
アサガオにしては大きくて、季節はずれだなあと思っていたのだけれど…。
もしお花の名前が分かったら、教えてください。

ではでは。
長くなってごめんね。

Posted by: ナカクキ | November 11, 2006 at 12:23 AM

nikkouさん、私も「この人を見よ」大好きな賛美歌。確かに途中を抜いたらおまぬけだよねー。
曹洞宗の雲水が托鉢にいくときかぶる笠に確か「同行一人」って書いてあるのね。「同伴者イエス」を思い出させられます。
世間の波にもまれ、日常生活の中で信じ続けられる宗教こそやっぱり必要な気がして同感。

Posted by: ゴトウ | November 11, 2006 at 10:23 AM

2番を抜かすと悲惨でわびしい人の歌、3番を抜かすと単にいいひとの歌になってしまう…ああ、言われてみるとそのとおりだなー、って思いました。

そして、試しに1番を抜かしてみると、なんだかいいとこの坊っちゃんみたいで、あんまり共感してくれなさそうな、嫌味な人みたいになっちゃいますね。うーん、深いなぁ。

Posted by: ほそのひでとも | November 11, 2006 at 11:25 PM

ナカクキみほちゃん!
わー、読んでてくれてありがとー!

>…先生が怒り狂ったという思い出があります。
>きちんと歌えるまで、ホームルームを続けます!!と叱られたので、必死に覚えました。

わははははははははははははは!
そいつはおかしーや。
手話で歌うのはねー、たとえば「げんこつやまのたぬきさん」みたいな感じ?
いちど、みほちゃんの前で歌ってみようか?
「風の音」に、「リトルライトとジョイントしようよぉ」と言ってますが、実現したらみにきてきて。

あと、花っ!ええええ、あれ、朝顔じゃなかったんかー!
nikkouは、「四国の朝顔はこーんなにでっかくって、昼すぎまで咲くんですよ~」って吹聴してたよー。
四国出身の母は「土がいいのよ~肥料がちがうのよ~」と、なぜか誇らしげでしたが。
ちがうやん、>母。

>ゴトウさん

雲水さんも「同行一人」っていうんだ。お遍路さんと一緒だー。いいことばですねー。
あの、目に見えないけれど、たしかな存在が、常にともにいてくれている、という感触って、すごく心強いですねー。この感触こそが、「Amazing grase」、恵みなんだろうとつくづく思います。

>ほそのひでともさん

>嫌味な人
なははははは。ほんとですねー。
作詞者は、新約聖書の骨のとこを、よーく分かっている人だったんですね。

Posted by: nikkou | November 12, 2006 at 11:13 PM

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