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December 24, 2006

メリークリスマス!

『眠られぬ夜のために』第二部

「12月25日
真の友愛は、神の慈悲と博愛の反映である。
神の慈悲と博愛は、どんな人間のなかにも宿ることができ(テトスへの手紙3章4節)
その人間の身体的な動作をさえ照らし出すので
(とりわけ、眼の表情において)、
ほかの人びとも、この神的なものの反映に気づく。
(中略)
・・・この神の光に照らされた輝きは、一度それを見たならば、
もはや忘れられないものである。
しかし、それは、敬虔の表情とか、それをあらわすための、上にむけられた恍惚たる眼差しとかではなく、
まだかつていかなる画家も絵筆も描きえなかったような、
かぎりなく光にみたされた、
あたたかい友愛のごく自然な表情なのである。…」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

先週の日曜日は障害者介助で、礼拝を休んだ。
その間に、母が教会に来て、
でこぽん、という柑橘類をダンボール箱ひと箱置いて帰ったらしい。
なんでも、ダンボール箱を抱きかかえて、徒歩でやってきたそうな。
母よ、あなたはサンタですか。
今日は、教会の人、ほぼ全員に「おいしかった~ありがと~」、そして、「お母さん、力持ちねー」といわれた。
ええ、わが母は、かつて、灯油の入った石油ストーブを片手に下げて、
横浜の家から、東横線に乗って、自由が丘のわたしの一人暮らしのアパートまでやってきたことがあります。
「ことしは特に寒いからねー」…って、母よ、それは電車に乗せてはいけない危険物の一種だと思いますが。

そんなクリスマスイブです(どんなだ)。
午前の礼拝で、クリスマスとは、キリスト(クリス)+ミサ(マス)つまり、キリストの聖餐式という意味ですよ、というお話を聞いた。

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「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者とともに食事をし、
彼もまた、わたしとともに食事をするであろう。」

(ヨハネの黙示録3章20節)

↑礼拝堂の入り口にかかってある絵。画家不詳。
(老牧師はわざわざはずして、両手で掲げ、「わたしはもうすぐいなくなるから、若い人たち、この絵のこと忘れないでね」と言った。彼は、今年癌が発見されているんだけど、その後逆に福音を語る言葉が力強くなった気がする。)

ヨハネ黙示録ではイエス様が、「一緒にご飯たべよう」って言ってる。
わたしたちの心の戸の前に立って。
一緒にご飯を食べる、というのは、友愛を結ぶ、とても有効な手段だ。
逆に、仲たがいをしている人と食べるご飯は、のどを通らない。

今、nikkouには、一緒にご飯を食べられない間柄になってしまった人が何人かいる。
牧師が「一生のうちで、ひとりでも、ふたりでもいい、あなたの愛と福音を伝えることができますように、そのためにわたしたちをお用いください」と祈ったとき、
つい、その友のことを思って、不覚にも涙した。
ごめん、神さま。nikkou、あなたの使者としてはあんまり使えないかも。赦してください。でも本当は、あの人と、あいつと、あの子と、それからあの人とも、仲直りしたいんです。主よ、どうか、あなたにあって、彼らとまた一緒に食事ができるようにしてください。

川崎教会の礼拝のあと、喫茶店で仕事をしながら時間をつぶし、久遠教会のキャロリングに行く。
川崎教会のアットホームな集まりとまた違って、人数も多くて、とてもアダルトな雰囲気。
キャンドルの光のなかで、歌い、ハンドベルやオカリナの演奏を聴き、聖書朗読を聞いた。

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久遠Nu Praise(ゴスペルクワイアー)の今年の活動は、今日で終り。
「nikkouちゃん、今年も色々あったねー、ほんとありがとうねー。」
「よいお年をー」と
友人に抱きしめられたり、手を握り合ったりした。
本当に、いつも無神経で無遠慮なnikkouを許してくれて、友達でいてくれるみんなに感謝の気持ちでいっぱい。
今年もありがとう。

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写真は一番お気に入りのクリスマスCD。
教文館か御茶ノ水のCLCかで発見したもの。
久遠のクワイアーでも歌うAWAY IN A MANGER(まぶねの中で寝ている優しい顔のイエスさま)が、入っているんだけど、ラベルのボレロをアレンジしたものが伴奏になっていて、とってもかっこいい。
歌っているのはMichiko&Nobuo Aokiというご夫妻らしい。
でもネットで調べてもなんにも出てこない。
幻の名盤?

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December 23, 2006

クリスマスイブのつどい

天使が言った、
「こわがることはない。
いまわたしはイスラエルの民全体への大きな喜びのおとずれを、あなたたちに伝えるのだから。
実は今夜ダビデの町に、あなたたちのために一人の救い主がお生まれになった。
このお方がかねて予言されていた救い主なる主である。
あなたたちはみどり児が産着にくるまれて飼い葉おけに寝ているのを見る。
それが救い主の目印である。」

(塚本虎二訳 ルカによる福音書2章10節)

メリークリスマス!

今日、川崎教会で、クリスマスイブのつどいがありました。
リトルライトも讃美しました。

キャンドルサービスの様子↓200612231811000_1

クリスチャンになって4回目のクリスマスですが、
4回目でも、じつに新鮮。そして、とっても幸せな気分。
とくに今年はリトルライトの仲間と讃美ができて、うれしさも倍増です。
このクリスマスの季節を、
戦火の中や、友人・家族を失ったさびしさや、病のなかや、
なにか漠然とした苦しみ、悲しみの中で
すごしているひとりひとりのもとに、主イエスの慰めと、よろこびのおとずれが、届きますように。

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明日は、午前に川崎教会のクリスマスイブ礼拝、
そして夕方から久遠教会のクリスマスキャロルに参加。17時から18時です。
nikkouの会社の社長が「ことしのクリスマスは、nikkou、ゴスペル歌わないの?」と言うので、久遠教会の礼拝に誘ってみました。
さらに、ひょんなところから、校閲部の先輩のご両親が久遠教会の教会員であることが判明。
その先輩自身はクリスチャンでなく、ご両親もお歳を召されて、すっかり教会から遠ざかっているとのことなので、
「クリスマスくらいは、讃美歌を聴きに来て!」と、ちらしを渡しました。
クリスマスですもんで、ささやか~に伝道しています。

みなさま、良いクリスマスをお過ごしください。

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December 20, 2006

水からの伝言

『眠られぬ夜のために』第二部

「12月19日
 (前略)
…もちろん、美の感覚は、とくに若い人々には絶対に欠くことのできない、人間の教養要素の一つにちがいないが。いずれにしても、善より美を重んじてはならないし、また決して美と善と混同してもならない。それは二つの、まったく違ったものであり、たがいに区別さるべきものである。」

(岩波文庫・草間・大和訳)

本日のヒルティ、イエス様が、壮麗な大神殿をほめたたえる弟子をたしなめた「ルカ福音書21章」のくだりを引いて、上記のメッセージ。

11日(月)の朝日新聞夕刊に面白い記事が載っていた。
「水からの伝言」という擬似科学が、教育現場に使われて問題になっているんだって。
「水からの伝言」というのは、水に美しいことば(「ありがとう」とか「愛」とか)を見せると美しく結晶し、醜いことば(「ばかやろう」とか)を見せると醜く結晶する、というお話。人間の体の70%は水でできている、だから、醜いことばをなげつけることは、人に悪い影響を及ぼしますよ、と、「道徳教育」をするんだそうです。

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この新聞記事が特に面白かったのは、こんな問いかけがされていたことだ。
たしかに「水からの伝言」はウソかもしれない。しかし私立校だって、カミだのホトケだのって、ウソとはいわないが、科学的に証明できないものを使って道徳教育しているではないか。ならば、擬似科学を使って道徳教育をして、何が悪い。
ほ―――――――――――――――――。
と、nikkou、思わず感心いたしました。なるほどー。結果オーライってかー。

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記事には反論のHPも紹介されていた。そのなかに、「見た目が美しい=善」という教育はいかがなものか、という意見があった。
たしかに人間の「美」なんてのは、一皮めくればエゴイスティックなもので。本日のヒルティのいうとおり、そして、主イエスのいうとおりであります。そういえば主イエスは家畜小屋でうまれたんでありました。たとえば「花にあふれたバッキンガム宮殿」と、「馬のうんちだらけの貧しい家畜小屋」ではどっちが「美しく」結晶するんだろう。(The Nativity (キリストの降誕) Lorenzo Lotto 1523 )

ただ、「科学的に証明されない」カミを信じているnikkouとしては、また別のことをチラッと思いました。

―宗教教育は、道徳教育だろうか。

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たしかに、宗教は道徳を含む、とは思う。
でも、「醜いことばは、人に悪い影響を及ぼすから、使ってはいけません」という教育では、たとえばこのあいだの、友人をかばって射殺されたアーミッシュの少女は育たないんじゃないかしら。ましてや、その犯人を「許します」と言った両親の存在なんて、ほとんど奇跡だろう。「わたしを撃ってください」とか「許します」とかいう言葉は「人によい影響をあたえるので、銃を向けられたらそう言いましょう」なーんて言われたって、絶対言えるもんじゃない。

nikkouの場合の「宗教教育」、つまり、イエスに学ぶ、イエスを子供に伝える、というのは、どういうことなんだろう。

人間のありようを、醜さもふくめて見つめること、と同時に、「あなたの存在は高価で尊い」という聖書のことばの意味を考えること。
イエスが命がけで伝えようとした、見せかけではない大切なものを、nikkouの生涯をかけて探していくこと。
答えは簡単には与えられないかもしれないけれど、「お前が求め続けるのなら、きっと与えるよ」というイエスの希望の約束をひとまず信じてみること。

もう、それは「道徳」じゃない。思想?倫理?哲学?(洗脳?徒労? 笑 …ええ、たしかにその可能性はありますよ。)…でも、なにか、そういう、もっと大きなもの。
だから、「美しいことばを使ったら、水が美しく結晶しますよ」という教育が、良いとか悪いとか、いうよりは、「それが『教育』だなんて、ずいぶん浅はかじゃないか?」というのが正直な気持ち。

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December 19, 2006

早起きしてみた

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月18日

ある種の大仰な、しかし当然そう いつでもするわけにはいかない善行よりも、
微笑と「イエス」をもって答えることのほうが
あなたの家族にも、また、あなたと交わるすべての人びとにも、
ずっと感謝してもらえる習慣である。
人生の性格を決めるのは、日常の瑣末事であって、大きな事件ではない。」

(筑摩叢書・前田敬作)

ヒルティ翁。おっしゃるとおりであります。
最近、年末進行で、仕事がすさまじく忙しい。
おかげで帰りは10時、11時。
そのうえつい、ネットを見てしまって寝るのは2時3時。
そんな時間に送ったメールを、翌朝読み返して、ぎょっとした。
日中は気をつけて使わないような無神経な言い回しを、ぼろっと書いている。
罪は闇夜にあらわれますな。

というわけで、
昨夜は家事もせず、ネットもそこそこに(見ない、というわけにはいかなかった)
早く寝た。
そして、ちょっとだけ早く起きた。(ものすごく早起き、というわけにはいかなかった)
聖書を読んでから、気持ちをこめて、出さねばならないメールを書いた。

無神経なメールを送ってしまったわが友には、
いまさら「これこれこんな無神経なメールでごめん」というわけにはいかないので、
こんなところで、こっそり反省を表してみる。
ごめんよ。

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December 17, 2006

バビロンの流れのほとりにて

『眠られぬ夜のために』第二部

「12月13日
『詩篇』第90篇、第116篇および第118篇は、数千年後の今日でも、人生のいくたの辛酸に鍛えられた人物がつい昨日その備忘録に書き付けたかとおもわれるほど新鮮で、いきいきと真実感にあふれた、三つの太古の歌である。『詩篇』第37篇(とくに第25節を見よ)、第109篇および第110編は、さらにその補足となるものである。(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

詩篇116編は、nikkouも感動したよ。この詩は「わたしは主を愛する。」で始まる。「主に仕えよ」とか、「主のいましめを守れ」とかいうフレーズの多い旧約聖書で、こんなに気持ちのいい信仰告白はないかも、と思ったくらい。
詩篇には、ゴスペルの歌詞になっているフレーズがたくさん出てきて、読んでいるとつい口ずさんでしまう。ゴスペルに採られているのはやはり、軽快な調子の詩が多い。
でも、そういうのばっかりじゃないんだな、詩篇って。それこそ寛容の精神のかけらもないようなおどろおどろしい呪いとうらみに満ちた歌とか、絶望の淵から呼び求める、みたいなものもある。ヒルティが挙げている109篇「わたしの讃美する神よ、どうか黙していないでください」とか、有名な137篇「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」とかがそうだ。nikkouもそういうの、嫌いじゃない。人間臭くって。『聖書』っていうものが、清らかな道徳書なんかじゃなく、長い年月、人間が積み重ねてきた実感を詰めた本なんだ、ということを深く感じられる気がする。

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詩篇137篇で、ふと思い立って、森有正「バビロンの流れのほとりにて」を読み始める。前半はヨーロッパの教会や美術館で観た絵画について、見事な描写が続く。筆のタッチや色使いはもちろん、飾られた部屋の空気とか光の当たり具合まで目に浮かぶようで、これはもう、実物の絵は見ないほうが、かえっていいんじゃないか、って気がするくらい。特に宗教画の描写がすばらしくて、その部分だけ繰り返し繰り返し読んでしまう。

森有正の最晩年の恋人は、栃折久美子さんという筑摩書房の元編集者だった。栃折さんは退社して装丁家として独り立ちし、同時に森有正の私設秘書のような立場になって、こまごまと身のまわりの世話をしたらしい。その辺のことは、栃折さんの『森有正先生のこと』という回想録に詳しい。
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二人の関係について、森有正のこんな言葉が残されている。

「お仕事のこと、これを私はまず第一に考えます。私どもはそれぞれ主体的には第一人称の人間、したがってお互いには第三人称(二人称ではありません)の人間でなくてはなりません。だから、お互いの関係は信頼ではなく、信仰なのです。」

栃折さんを、大事な仕事をするひとりの人間として認め、自分自身も、きちんと責任を果たしたいといったところ。森有正の文章を読むと、クリスチャンなのかそうじゃないのか、いつも微妙な感じだけれど、大切な人との間では、ちゃんと「第三人称」になる。つまり、「この世にあなたと私、ふたりっきり」じゃなくって、主という第三者の前で「彼、彼女」という対等な存在であることを意識していた感じがする。
こういうのが大人の男女の関係なんでしょうかね。

栃折さんはやがて森有正に励まされたその仕事が軌道にのり、そのまま、のめりこんでいくうちに、森有正と疎遠になっていく。
そんな栃折さんの様子を、深く深く理解しながら励ます、森有正の手紙は良かった。『森有正先生のこと』は、時々、ぽんっと投げ出すように森有正のことばが記録されてあって、行間をあれこれ読まなきゃいけない。それがなんだか、ひとりよがりな感じがして、正直ちょっと、いらっとするんだけど、でも、その「いらっ」てのをすべて忘れてしまうほどいい手紙だった。

「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中をうしろ向きにしか進めないのです。… わたしもあとずさりをしながら進んで行きます。時々横目であなたをみます。もしうしろに崖があったら、横からは見えますからすぐ教えてあげます。」

こんな手紙を送ってすぐ、森有正はなくなってしまう。
そして栃折さんは、森有正と結婚しなくて良かった、結婚していたら、森有正になにもかも捧げつくしてしまって、今の仕事はなかった、と振り返る。いさぎよい。
うしろ向きに進みながら、見えているものが、最終的に納得のいくものだったら、本当にいいよね。
仕事でも、恋愛でも。

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December 13, 2006

リトルライトのちょっとした危機

『眠られぬ夜のために』第二部

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「12月5日

ふりかえるな、なつかしの谷を、ふるき日のよろこびを、すぎし日の苦しみを。

み空に青く、新しき国は見える、おまえの手で、あそこに、神の宮をきずこう。

いまはかたく 舵をはなすな、目標を見失うな、顔をそむけるな。

ひたすらにすすむ あこがれのくにへ、 はや霊のひとみに 見ゆる岸辺、

神の国は近づく― 地はすでに消えた。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

詩の訳のほうは、圧倒的に筑摩叢書の前田敬作先生よりも、岩波文庫の草間・大和ペアに軍配が上がる。nikkouはドイツ語はわからないけれど、日本語の感覚だけでいえば、名訳だと思う。

み空に青く、新しき国は見える、おまえの手で、あそこに、神の宮をきずこう。

いいねー。誰か曲をつけてよ。賛美歌ふうじゃなくって、どちらかというとコンテンポラリーふうなの。トータルプレイズみたいな感じで荘厳に、かつドラマチックに。

 こないだの日曜日はリトルライトの練習日。
ところが、いきなり当日、ギターのM牧師が「ボク、今日、自分のライブがあるんだ」と言うではありませんか。えー、聞いてないよー。伴奏は思いっきりギターに頼るつもりでいたnikkou、あわてて往復1時間半の家までカラオケCDをとりに戻りました。
 さらに唯一のテナーのメンバーから「今日はお休みします」の連絡。たしかに年末で忙しいのはnikkouだけじゃありません。やれるのか、リトライ…!? と、にわかに不安に襲われました。
思い余っていつもnikkouを応援してくれる友人にメールしたところ、「なんとかなるよ。自分も祈ってるから、主にゆだねよう」…と、一瞬、とっても無責任に聞こえる返事がきた。まあ、とはいえ一応nikkouも数年間ながらクリスチャンをやってきております。だから、それが無責任どころか最善の手段であることも、経験上、分かってはおります。腹くくって祈りました。「イエス様、リトルライトを、どうぞあなたの好きにしてください。リトルライトをあなたに任せます」。

そうしたら、少し冷静になった。リトルライトの基盤はnikkouじゃなくって主ご自身だ。主が「歌って」というなら胸をはって歌おう。
そもそもリトルライトは営利目的のゴスペル教室でなければ、教会の広告塔でもない。ただ、讃美する仲間の輪(サークル)だ。だから別にキリキリする必要なんてないんじゃないか。思い悩むなnikkou、ちょっと肩に力入ってるぞ。

やがて、メンバーがひとり到着。デュエットできる歌ということで、アメージンググレイスのアカペラにチャレンジしてみました。やがて、もうひとり到着。3人でハモるアメージンググレイスはなかなかいいもので、人の声っていいなあ、アメグレって名曲だなあと、自分らの声で自分がしみじみ癒されている1時間になりました。nikkouの舵取りでは23日のクリスマス会用の歌を練習するつもりでした。主の舵取りはまた別の方向だったみたい。

ひたすらにすすむ、あこがれのくにへ、

ギターなくても大丈夫、カラオケCDさえ不要でした。それどころか、楽しかったよ、アカペラ。
「これ、リトライのレパートリーにしようー!」と急に調子づいているnikkouでありました。

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December 04, 2006

その他のことは神が配慮される

『眠られぬ夜のために』第二部

「神への不誠実、つまり、地上的なものへの信頼と、それに対する心からの満足とに、用心しなさい。
さもないと、天上的なものへ絶えず引かれる心を、しだいに失ってしまう。
これがあなたのなすべき心づかいである。
その他のことは、神に属する者の場合には、神が配慮される。
神の祝福こそ、人間のまことの幸福の秘密である。」

(岩波文庫・大和・草間訳)

その他のことは、神に属する者の場合は、神が配慮される。
…うーん、いいですねー。こういう言葉は、nikkouみたいな30歳そこそこが言ってもあまり信憑性がないですけど、70歳を越えたヒルティ翁が言うと、重みがある。

こんな女性誌の特集があった。
200612050018000
「?!」って…。どぉかなあ…。「クリスマスの神様」はお金持ちの青年に「行って持ち物を売り払い、貧しい人びとに施しなさい。…それから私に従いなさい」(マタイ福音書19章21節)なんてことを言う方だヨー。

チームBuy Nothing Dayの人たちが「クリスマスのサンタクロースも、物欲社会に巻き込まれて、ちっとも愛と平和の使者じゃないじゃないか」…ということを、言っている(サンタvsゼンタ)。だから、アメリカ軍と一緒に戦争にいかず、コカコーラーのCMにも出ない「禅(ゼン)タクロース」を提唱中だそうです。

nikkouに言わせれば、
クリスマスはちゃんと、イエス様のお誕生を祝う日に、
サンタクロースは、聖ニコラウスに戻せば、
愛と平和の記念日になるんではないか、と思うよ。
聖ニコラウスが「イエスのみあとを慕う人」であれば、米軍と一緒にイラクの戦場入りしても、まず真っ先に、親を失ったイラクの子どもたち、爆撃で病院に担ぎ込まれた子どもたちのもとに駆けつけて祈り、励ますことだろう。
日本人が本当に「宗教に寛容な素晴らしい国民」ならば、クリスマスから宗教性を引き抜いて物欲に走ったりしないで、それこそ「宗教」ごと寛容に引き受ければいいのに。カレーライスからお野菜だけのけて食べてる子どもみたい。(……ちょっと根に持っているnikkou)。

200612050035000
クリスマスには自殺する人も多い―という話を聞いた。町はカップルにあふれているのに、自分はひとりだけ…と悲しくなってしまうんだとか。悲しくなっちゃった方は、教会のクリスマスキャロルへどうぞ。今年はnikkouが、キャロリング用の手燭を用意しました。これで、今年は子どもたちと歌うんだ。元気になるよ。「その他のことは、神が配慮される」。だからだいじょうぶ。

200612050019000
川崎教会・クリスマスの集い:12月23日(土)午後5時から。…もちろんリトルライトも歌います。
川崎教会・クリスマス礼拝:12月24日(日)午前10時半から。

川崎教会
そして、今年nikkouは
久遠教会のクリスマスキャロルにも参加。キャロルのはしごです。
久遠教会クリスマスワーシップ:12月24日(日)午後5時半から。
久遠教会クリスマスイベント

待降節のいま、わたしたちの教会では、5歳のかなちゃんをリードボーカルに、「アドヴェントクランツに」を歌います。(アドベントクランツのお写真は、「私的生活」のみかこさんからお借りしました。みかこさん、ありがとう!nikkouも作ろうかな。)

Adventskranze
アドヴェントクランツ
あかりが つ・く・と
神の子イエスさまの
おたんじょうがちかくなる

まことの光 イエスさまの
おたんじょうは
 みんなが待っています
 みんなが待っていまーす

アドヴェントクランツに
あかりが つ・く・と
神の子イエスさまの
おたんじょうがちかくなる」

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