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December 17, 2006

バビロンの流れのほとりにて

『眠られぬ夜のために』第二部

「12月13日
『詩篇』第90篇、第116篇および第118篇は、数千年後の今日でも、人生のいくたの辛酸に鍛えられた人物がつい昨日その備忘録に書き付けたかとおもわれるほど新鮮で、いきいきと真実感にあふれた、三つの太古の歌である。『詩篇』第37篇(とくに第25節を見よ)、第109篇および第110編は、さらにその補足となるものである。(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

詩篇116編は、nikkouも感動したよ。この詩は「わたしは主を愛する。」で始まる。「主に仕えよ」とか、「主のいましめを守れ」とかいうフレーズの多い旧約聖書で、こんなに気持ちのいい信仰告白はないかも、と思ったくらい。
詩篇には、ゴスペルの歌詞になっているフレーズがたくさん出てきて、読んでいるとつい口ずさんでしまう。ゴスペルに採られているのはやはり、軽快な調子の詩が多い。
でも、そういうのばっかりじゃないんだな、詩篇って。それこそ寛容の精神のかけらもないようなおどろおどろしい呪いとうらみに満ちた歌とか、絶望の淵から呼び求める、みたいなものもある。ヒルティが挙げている109篇「わたしの讃美する神よ、どうか黙していないでください」とか、有名な137篇「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」とかがそうだ。nikkouもそういうの、嫌いじゃない。人間臭くって。『聖書』っていうものが、清らかな道徳書なんかじゃなく、長い年月、人間が積み重ねてきた実感を詰めた本なんだ、ということを深く感じられる気がする。

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詩篇137篇で、ふと思い立って、森有正「バビロンの流れのほとりにて」を読み始める。前半はヨーロッパの教会や美術館で観た絵画について、見事な描写が続く。筆のタッチや色使いはもちろん、飾られた部屋の空気とか光の当たり具合まで目に浮かぶようで、これはもう、実物の絵は見ないほうが、かえっていいんじゃないか、って気がするくらい。特に宗教画の描写がすばらしくて、その部分だけ繰り返し繰り返し読んでしまう。

森有正の最晩年の恋人は、栃折久美子さんという筑摩書房の元編集者だった。栃折さんは退社して装丁家として独り立ちし、同時に森有正の私設秘書のような立場になって、こまごまと身のまわりの世話をしたらしい。その辺のことは、栃折さんの『森有正先生のこと』という回想録に詳しい。
9784480814555
二人の関係について、森有正のこんな言葉が残されている。

「お仕事のこと、これを私はまず第一に考えます。私どもはそれぞれ主体的には第一人称の人間、したがってお互いには第三人称(二人称ではありません)の人間でなくてはなりません。だから、お互いの関係は信頼ではなく、信仰なのです。」

栃折さんを、大事な仕事をするひとりの人間として認め、自分自身も、きちんと責任を果たしたいといったところ。森有正の文章を読むと、クリスチャンなのかそうじゃないのか、いつも微妙な感じだけれど、大切な人との間では、ちゃんと「第三人称」になる。つまり、「この世にあなたと私、ふたりっきり」じゃなくって、主という第三者の前で「彼、彼女」という対等な存在であることを意識していた感じがする。
こういうのが大人の男女の関係なんでしょうかね。

栃折さんはやがて森有正に励まされたその仕事が軌道にのり、そのまま、のめりこんでいくうちに、森有正と疎遠になっていく。
そんな栃折さんの様子を、深く深く理解しながら励ます、森有正の手紙は良かった。『森有正先生のこと』は、時々、ぽんっと投げ出すように森有正のことばが記録されてあって、行間をあれこれ読まなきゃいけない。それがなんだか、ひとりよがりな感じがして、正直ちょっと、いらっとするんだけど、でも、その「いらっ」てのをすべて忘れてしまうほどいい手紙だった。

「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中をうしろ向きにしか進めないのです。… わたしもあとずさりをしながら進んで行きます。時々横目であなたをみます。もしうしろに崖があったら、横からは見えますからすぐ教えてあげます。」

こんな手紙を送ってすぐ、森有正はなくなってしまう。
そして栃折さんは、森有正と結婚しなくて良かった、結婚していたら、森有正になにもかも捧げつくしてしまって、今の仕事はなかった、と振り返る。いさぎよい。
うしろ向きに進みながら、見えているものが、最終的に納得のいくものだったら、本当にいいよね。
仕事でも、恋愛でも。

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Comments

いつもながらの名文、感激しました。男女の事始のかたの覚悟が、光るようです。すぎ

Posted by: すぎやま | December 18, 2006 at 06:14 AM

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