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January 06, 2007

クリスチャンをやめるには!?

『眠られぬ夜のために』第一部

「1月6日

キリスト教が真に命ずるところに従って生きることは、あまりにも困難であり、むしろ全く不可能だという見解が、かなり一般にひろまっている。もしそれが真実ならば、教会の目的、または政治上の目的のためにただ「形式的」に、そんな宗教を守りつづけるよりも、むしろ捨ててしまったほうがよいであろう。(以下略)」

(岩波文庫・大和・草間訳)

ヒルティの面白いところは、こういうぶっちゃけトークだ。
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おととし、ドイツ旅行で、すさまじい傾斜面にぶどうをびーっしり栽培している光景をよくみかけた。足を踏み外したらざざーっと滑り降りて、そのまま川に飛び込んじゃいそうなくらいすごい傾斜なのだ。見上げながら、えらい苦労して作っているんだろうなあ、と思った。
夜、ホテルでその土地のぶどうで作ったワインが出た。「もしこれがまずかったら、町内放送をかけようね」と、相席した日本人の女の子が言う。「なんて?」と聞くと、
「ぶどう作りなんて、やめちまえぇぇぇー!」

主イエスはまことのぶどうの木であります。
おいしいワインができるはず。
ワインがまずかったら、やめちまえぇぇぇー。
…って話でしょ、今日のヒルティ。

洗礼を受けたとき、ある友人から聞かれた。
「クリスチャンになるには洗礼を受ける、として、クリスチャンをやめるには、どうしたらいいの。」
…さあ。
「やめた」と思ったらやめたことになるんじゃない? と言ってみた。

だいたいにして、クリスチャンに「なる」には洗礼をうければいいというものでもないと思う。わがゴスペル仲間には、洗礼をうけていないけれどわたしはクリスチャン、という友人がわんさかいるし、無教会クリスチャンの友人たちにはすばらしい信仰をもった人がたくさんいるし。

このあいだ、クリスチャンの友人たちと新年会をしていて、「クリスチャンとはなにか」という話になった。
友人のひとりが「ぼくが、『お前はクリスチャンじゃない!』って人に言う自由はあると思う。『そんなことをして、それでもクリスチャンなのか!』とかね。でも、その人が『自分には信仰がある。自分はクリスチャンだ』と考えているものを覆す権利はないと思う。その人がクリスチャンかそうでないのか、ということを判断するのは、やっぱり神お一人だけなんじゃないですかね」と言った。
アーメンだな。
「神さま、あなたを信じます」とか、
「神も仏もありゃしねー」とか、
心に浮かぶものを、主はつぶさに見て、判断するんだろう、と思う。

ヒルティ翁、「やめちまえー」といいつつも、最後はちょっと明るい。
「(マタイ福音書5~7章の「山上の垂訓」をまず読んでみろ、という薦めのあとに)幸い、これはだれもがためしてみることができる。しかも、いきなり信じるにもおよばない。いずれ近いうちに、すでに唯物論から離れている多くの人びとが身をもって試してくれるにちがいない。」(前田敬作訳)

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写真は、今日自由が丘のお菓子屋さんで見た「ガレット デ ロワ」。
「キリストが神の子として公に現れたことを記念する日」に食べるお祝いのお菓子だそうです。パイの中に小さい人形を入れて、切り分けたとき人形が入っていた人が、その日、王様としてみんなに命令することができるというお祭りだとか。Nikkou、キリスト教徒だけど、そんな日知らなーい。 でもお菓子はとってもおいしそうでした。

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Comments

前回の初詣、とってもよかった。おっかさんの台詞、ほんとうなのー。本当に冗談抜きのいいおかーさんです。まー軽くいなして、親不孝をしないこと。杉山

Posted by: すぎやまかつみ | January 07, 2007 at 06:06 PM

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