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May 26, 2007

賢い乙女と愚かな乙女の話ふたたび

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nikkouただいま教科書営業中です。キャリアケースとリュックサックに、教科書のパンフレットだの見本だの資料だのを詰め込んで、行商のおばちゃんよろしく学校めぐりをしています。
前日に細心の注意をはらって準備をするのですが、昨日、あろうことか、名刺を忘れました。応接室に通されて、先生があらわれて、さあ、営業トーク、というときに名刺がないって、まぬけですねー。なんともいたたまれない一日となりました。

さて、先月の話になりますが、私たちの結婚式の司式をしてくださった関根先生の主宰する集会の礼拝で、藤尾正人さんという伝道者さんがお話すると聞いて、わくわくして出かけました。

藤尾正人さんは「しらさぎ えくれ舎」というHPを持っていて、昨年はブログを毎日更新していらした(いまは週一回)。nikkouはこのブログが大好きで、毎日読んでいた。おかげでお目にかかったことがないのに、藤尾家にくわしくなっちゃった。そして、今回はじめて、実際におめにかかった藤尾さんは、もう、イエスキリストに出会った喜びがあふれてあふれて仕方ない、そんな人でした。

お話は、花婿を待つ10人の愚かな乙女と、賢い乙女の話(マタイ福音書25章1節から13節)。(下の絵はAfrican mafa 乙女たちがアフリカンなのがかわいい。)
花婿が到着したとき、5人の賢い乙女はランプの油を用意していたが、5人の愚かな乙女のランプは油がきれていた。あわてて油を買いに外に出て、帰ってきたら、もう戸がしまっていた、というお話。
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以前、nikkouの教会でも話され、nikkou父が「賢い乙女ってのは、根性が悪い」と激怒した、あの話です。(nikkouの両親が、礼拝に来た!)だから、ちょっとどきどきして聞いていたのですが、藤尾さんが語る「賢い乙女、愚かな乙女」、まるで、雲が晴れるように、面白い話になっておりました。(以下、文責はnikkouです)

彼女たちの仕事は、花婿が花嫁の家に到着したとき「いらっしゃいませ~!花婿さま~!」と駆け寄って出迎えることだそうです。婚礼にふさわしく華やかな演出です。
ところが、この花婿は、あろうことか深夜に到着した。深夜に到着する花婿なんかいません。
だから、ランプの油を用意してなかったのは、ごく当然のことなのだそうです。この「愚かな乙女」というのは、常識的にはちっとも「愚か」じゃない。
では「賢い」乙女たちは、なぜ油を用意していたのか。自信がなかったからじゃないか、と藤尾さん。彼女たちは、いつもはドジなもんで、自分たちの判断や、未来予想があたっていると断言できない。そう、いつもは決して「賢い」乙女じゃないのだ。だから、まわりから「ありえない」と言われても、油を用意していた。
「愚か」な乙女たちが一番「愚か」だったこと。それは、油を買いに、外に出てしまったこと。もう、いいや、油なんてかまやしない、行っちゃえ、行っちゃえ、「花婿さま~!いらっしゃいませー!」と、彼女たちはどうして飛んでいかなかったのだろう。

藤尾さんには「ほっとしなくちゃ福音じゃない」という名言がありますが、ここでも、ほっとさせる。
自分に自信がない、結構じゃあないか。
日常生活で要領が悪い、結構じゃないか。(…営業で名刺を忘れても結構?笑)
神様だけを頼っていればいい。(…ええ、応接室で、毎日祈らされました。名刺がなくても乗り切れますように!)
でも、もしいつも要領よくって賢かったのに、主が来臨した!という肝心なときにコケたら? かまやしない、プライドも、恥も投げ捨てて、駆け寄ってしまえ、「神様―っ!」って。

一同、ほっ。

そこで、ふと、nikkouはnikkou父の怒りを思い出しました。
じゃあ、なぜ「賢い」乙女たちは「油を買いにいきなさいよ」と言ったのだろう。「もう、油なんかいいから、待ってなさいよ」と言ってやったほうが親切じゃないか、という父は、いいところを突いている。

…ひょっとしてそれは、「じゃあ、油を買いに行きなさいよ」なんて、絶対言っちゃだめ、ということかしら。
「私は心が醜いから」「キリスト教のことなんか、なにも知らないから」「教会にふさわしくないから」…そんなことを言っている友達に「じゃあ、心が清くなったらクリスチャンになりなさいよ」「聖書を全部読まないとだめよ」「あなたみたいな人、教会にきてほしくないわ」そんなこと言ったら、彼らは天国から締め出されちゃうのよ、責任重大よ、ということだろうか。そうすると賢い乙女は、最後にちょっとミソをつけたことになる。藤尾先生、どうでしょう?

前回のこのお話をもとにしたブログ記事で、nikkouはちょっと、その罪を犯してました。
「かまわないよ、イエス様のもとへ、一緒に行こう」
そういえる人なりたい、と思います。

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「3 礼拝」カテゴリの記事

Comments

nikkouちゃん、このお話とってもおもしろいです。
性格悪かったのねー、油用意していた娘たち。でもその性悪さもまた「小さき者」らしいとこ。
なんかどんどん物事が悪くなっいって、「きーっ、もうやだっ! やめて!」っていうくらいだめになればなるほど逆に「私、ぜったい救われるわー!(っていうか今も救われてるからいいの)」と幸福感に浸るのワタクシ。これってまずいかしら?

Posted by: ゴトウ | May 29, 2007 at 12:41 AM

O・ヘンリーの短編に
「手入れの良いランプ」というのが有りましたよね。
ごぞんじかもしれませんが…

Posted by: y.yamaguchi | May 29, 2007 at 10:45 PM

>ゴトウ姉

いやぁ~、そのパラドックスこそが福音ですわなぁ。
腹がへるほどメシがうまい、っていうか。
ちょっとちがうか。

>yamaguchiさん

んん?知りませんでした。
よんでみようっと。

Posted by: nikkou | June 04, 2007 at 09:37 PM

すごっっっ!
初知り!

役に立ちましたっ!
ありがとう☆

Posted by: あ | June 07, 2008 at 07:53 PM

>あさん

こんにちは。
ずいぶん、お返事までの間があいちゃったから、
今も読んでいただけているかわからないけれど、
もしよろしければ、トラックバックの「紫の衣」さんの「十人の乙女の灯」も読んでくださいませ。
nikkouは、
「紫の衣」のてじょんさんが紹介してくださった「十人の乙女の灯」も、
「すごいっっっ! 初知り! 役に立ちましたっ!」って気持ちでした。

Posted by: nikkou | June 20, 2008 at 07:35 PM

通りすがりの者ですが、チラ見させていただきました。私はこのたとえ話は、普通に、ともし火は律法で、油は聖霊、壷は人の心。だから、律法だけでは救われず、律法ではなく、イエス様を信じて、心の中に聖霊を宿している人は、イエス様がお迎えに来た時に、そのままイエス様の元に携え上げられると読んでます。買いに行くとは、結局、救いというのは、他人が代行することのできるものではなく、一人ひとりがイエス様を個人的に信じなくてはならないことを言っているのだと思ってました。

Posted by: ,yusuto | January 31, 2011 at 10:08 PM

>,yusuto さま

こんにちは。はじめまして。
拙いブログに目を留めていただいてうれしいです。

さて、,yusuto さんの読み、なるほどね。

>油は聖霊、壷は人の心

っていうのは、nikkouも、考えたことあります。

>結局、救いというのは、他人が代行することのできるものではなく、一人ひとりがイエス様を個人的に信じなくてはならないことを言っているのだと

うんうん。分かります。nikkouも、そうかなーと思ってた。

>ともし火は律法

ってのは、新しいですね。

Posted by: nikkou | February 04, 2011 at 05:14 PM

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