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May 16, 2007

「若者と語る信仰と現代」報告

『眠られぬ夜のために』第一部

「5月14日
宗教的な事柄にあっては、無条件な誠実さと真実のみが、大切である。したがって、精神のこもっていない一切の形式主義、たとえばうわの空の食前の祈り、その気のない教会まいり、いやいやながらの家庭礼拝などは、信仰に役立たないどころか、かえって有害である。いわゆる信心深い家庭の子供たちについての多くの人々の経験が、そのなによりの証拠である。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

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ずいぶん昔の話になっちゃいましたが、2月の「若者と語る信仰と現代」の報告です。
リトルライトは4人で参加。
リトルライトのテーマソングでもあるThis little light of mineを讃美しました。
ギター担当の誠先生が突如、朗々とソロを入れてくれました。
この、突然のソロ、という自由さもゴスペルならではで、誠先生、さすが黒人教会仕込み。むちゃくちゃかっこよかった。
お客さんたちの反応も上々でした。
歌い終わって、「すごい迫力だった」「とても楽しかった」とのお声をいただきました。
その後、nikkouがゴスペルに出会い、やがて、主イエスの言葉に出会ったその感動と喜びについて、拙い言葉ながら、一生懸命お話しました。

nikkouのほかに2人の同世代の方がお話なさいました。
お二人とも、無教会のクリスチャンホーム育ちの方でした。
そのお二人のお話を聞きながらわたしは、あるゴスペルのイベントで聞いたある女性のスピーチを思い出していました。
長いスピーチだったのですが、できるだけはしょってご紹介すると、こんなお話。

このスピーチをした女性はクリスチャンホームに育ったそうです。 だから、神の存在は、自分にとって自然だった。 しかし、彼女にとってイエス、とか、神、とは、自分を監視するうっとうしい存在でしかなかったそうです。

そんな彼女、高校生のとき、やむにやまれぬ家族への反感から、グレて
夜な夜な“ディスコ”に踊りに行くようになったそうです(そういう世代の方なのです)。
ある晩、ディスコで踊っていると、友達が言ったそうです。
「サイコーだね!」

…最高?…これが?

と彼女は思ったんだそうです。
こんなことが“最高”だったら、わたしの人生はなんなんだろう?

うちに帰ると、お母さんが、かんかんになって、仁王立ちになって待っていた。
そして、彼女の横っ面を張って、こういう意味のことを言った。
「あんたなんか、死んでしまえばよかった!」

彼女は、部屋に駆け込んで、泣きながら思ったそうです。
わたしの居場所はどこにあるのだろう。
ディスコにもない。我が家にもない。

そのとき、彼女のこころに、すっとさしこむように、ある言葉が響いたのだそうです。
「わたしの眼に、あなたは、高価で、尊い。」

こどものころからよく知っている聖書の言葉でした。
でも、このとき、彼女には、すごく新鮮に、すごく驚くべき言葉として、響いた。
そして、彼女は悟ったのだそうです。
そうか、わたしの居場所は、神様のもとにあるのだ。

このとき、彼女は、はじめて、本当に、神に出会った。
彼女はその後、神学校に通い、女性牧師として(相変わらず山あり谷ありの)信仰生活を送っている。

クリスチャンホームに育とうが、
神もホトケもまったく関係のない環境に育とうが、
神と人との出会いは、まったく個人的なものだと思います。
生まれつきクリスチャンの人なんか、一人もいないと思う。
だから、クリスチャンホームに育ったのだから、証し(キリスト教信仰の体験話)が出来て当然、と集会に引き据えるのは、気の毒な気がします。
すごく正直に申し上げると、nikkouがお二人の話から感じたのは、クリスチャンホームの両親がどんなに厳しかったかということや、クリスチャンであることの義務、そして、その義務を守らないとどんなことが起こるか、という切ない束縛感でした。
集会のテーマが「信仰の様々な形」だったので、それもまた、信仰のひとつの形だ、という結論だったのなら、まあ、そうなんですけど。

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会場には、ノンクリスチャンの若い男性がいて「なぜ、あなたは信仰をもたれたのか?」と質問された。
それに対して、会場から高橋照男さんが、実に素晴しいことをおっしゃった。

「なぜ? why? と問われても、あなたに納得できる答えはだれからも得られないと思うよ。
どのように? How? なら答えられるけど。でも、How? は百人百様なんですね。
だから、
わたしは、あなたのために祈りますよ!あなたが、神に出会えますように。」

…nikkou、思わず、声を出して「アーメン!」って言っちゃったよ。
拍手しようかと思った。

ただ、ひとつだけ思う。
その祈りを、その彼だけじゃなく、無教会のクリスチャンホームに育った若い人たちにもむけてあげたらどうだろう。彼や彼女が、神と出会えますように、そして、義務ではなく喜びから、イエスのことを周囲に伝えることの出来る人になりますように、と。
「親兄弟がクリスチャンだから自分もクリスチャンということになっているがいまいち確信は持てない」ということは、べつに後ろめたいことでもなんでもないと思う。もし、確信がもてないのに伝道しろというプレッシャーがあったらそりゃつらかろう。nikkouだったらディスコでフィーバーしちゃうね。

nikkouは、無教会の年配の方たちに、大好きなひとが大勢いる。
戦時中、あるいは戦後すぐ、つらく苦しい思いをしてきて、それが、主イエスによって、完全に解放されて、その解放感で、いつまでたっても若々しくって、ほがらかな人たち。
そんな彼らの祈りは、きっとききとどけられる。

つぶされてもつぶされても、主イエスに従おうという人はこの地上からいなくならない。
アメリカの黒人たちが奴隷のときそうだったように。
韓国のクリスチャンが戦時中の日本の占領下でそうだったように。
だから、この日本から、クリスチャンが消滅するんじゃないか、なんて心配しなくったって、だいじょうぶだと思うよ。

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Comments

nikkouさんご結婚おめでとうございます。
旦那さんにも宜しく。
先日、高知での四国集会に参加してきました。
時間的にも、空間的にも、
祈り合い、支え合う関係を構築すること。
神、主イエスを中心とした祈り合う関係を構築すること。
もちろん、クリスチャンだけで固まってはいけません。
弱い人、苦しむ人、悪人その人のためにも祈ることを含みます。
一人も滅びないためにというヨハネ3:16をテーマとした学びでした。

Posted by: Graham | May 17, 2007 at 09:50 AM

nikkouさん、ご結婚おめでとうございます。
ご主人にも宜しく。
先日、高知での四国集会に参加してきました。
テーマは「一人も滅びないで」(ヨハネ3:16)
神、主イエスを中心とした祈り合い、支え合う関係を構築すること。
クリスチャンだけで固まってはいけません。
弱い人、苦しんでいる人、悪人その人のために祈ることを含みます。
良い学びができました。

Posted by: Graham | May 17, 2007 at 10:04 AM

お、グラハムさん、行間から、聖霊の風がそよそよしてますねー。
記事をかいてて、ちょっとトゲトゲしてしまっていたnikkouの気持ちも和らぎました。
ありがとうございます。
四国集会、毎年、評判が高いですね。
わたしもいつか、きっと行きたいと思います。

Posted by: nikkou | May 19, 2007 at 10:05 AM

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