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June 27, 2007

玄米ごはん

『眠られぬ夜のために』第一部

「6月12日

人間の人生行路は、じつはひとつの大いなる幻影である。なめらかな表面の下にかくされているものは、だれも見ないし、また見ようともしない。だたときどき、この外皮にぽっかり穴があいて、神が見たもうたとおりの内部の実相が露呈されるにすぎない。だから、ほとんどすべての人間の判断や、さらには、すべての伝記は、半分の真実をつたえるにすぎない。…(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

以前、nikkouの勤めている出版社で、ゲイの方を招いて、差別表現に関する講習会を行ったことがある。

お話を聞いていて、以下のような話が、非常に印象に残った。

彼らのところには、しばしば、相談や、講演依頼の電話がかかってくる。
あるとき、
草木も眠る丑三つ時、人の家に電話をするにはあまりにも非常識な深夜、という時間に、彼らの自宅兼事務所の電話がなった。
講演依頼だったという。
電話をとった彼は、丁重にお話をうかがったうえで、
「なぜ、このような時間にお電話くださったのですか?」とたずねた。
先方は、「ゲイのかたは、夜更かしだと思ったものですから」
と答えたそうな。

「わたしは普通に朝起きて、普通に夜寝ているんですね。
でも、この方は、『ゲイは夜更かし』と考えて、
わざわざ気を回して、深夜に電話をかけてきたらしいんです。
なぜ、ゲイは夜更かし、と思ったんでしょうね。
あとで、いろいろ考えて、
ゲイ=おかま→おかまバー→水商売→夜更かし
と考えたのかなあ、と思いました。
でも、ゲイはおかまじゃないし、全員が水商売をしているわけじゃないんですけどね。」

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そういえば、川上弘美さんという作家が、アメリカで過ごした幼少時代を振り返って
金髪碧眼の同級生たちから、
「ヒロミは中国人だから髪が黒いのね」
「ヒロミは中国人だからおしっこもらしちゃうのね」とよく言われた、ということをエッセイで書いていた。
髪が黒いのも、おしっこをもらしちゃうのも、中国人とは何の関係もないことだし、
だいたい、ヒロミは中国人ではない。
こうした、「こういう属性を持っている人は、こうあるはず」という思い込みは、相手を見失う。
うーん、気をつけよう、と思った。

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さて、先日、教会で「結婚したら、生活習慣が変わるでしょう」という話になった。
nikkouの相方は、玄米が好きである。だから、
「ええ、玄米を食べるようになりました」と答えると、
「あー、無教会の人って、玄米を食べるよね」と言われた。
あ、そうなんだ、相方は、無教会だから玄米を食べるんだ、…とそのときなぜか、nikkouは、まじめにそう思った。
「へー、なんでー?」と別の人に聞かれて
「無教会のミッションスクールに『愛農高校』っていう農学校があって、そこが玄米を販売しているからかなあ」とnikkouは大真面目に答えた。

帰ってきて、彼に教会でのやりとりを伝えると、彼はきょとーん、とし、続いてむっとした。
そこで、nikkouは、はっと気づいた。
彼が玄米を好きになったのは、彼が以前通っていた根本主義バプテスト教会の日曜日の昼食が玄米ごはんだったからである。玄米は、近所のスーパーで買っている。無教会とも愛農高校とも、なーんも関係のないことである。

「無教会」ということばには、すさまじいインパクトがあるらしく、
nikkouの相方は無教会だ、というと、
クリスチャンの友人たち(ゴスペル仲間や、教会の人たち)から、
好奇心と、それからいささかの警戒心や猜疑心が混じった面持ちで、
「無教会ってなに?教会とどこが違って、なにが同じなの?」という質問をずいぶん受ける。
うーん、よく分かりません。ただ、クリスチャンであることはたしかです。

nikkouもよく、相手を理解しようとして、
一生懸命、分類しようとする。
それは、理解しようとする、ひとつの歩み寄りの形のようなんだけれど、
分類された側は、
「あなたは、●●なのね、だからあなたは変わっているのね、私たちとは違うのね」という排他的なメッセージも同時に受け取ってしまいかねない。

たぶん、「無教会の人は玄米好き」というのは、そんな深刻なものじゃなくって、ほんの軽口だったんだろう。
だから、nikkouも「コアラはユーカリを食べるって話じゃあるまいし、玄米は、ただ好きなだけですよー」
とか言って、笑えばよかった、となんだか、ちょっと悔しい。

根気よく付き合っていけば、だんだん、相手をレッテルなしに理解できるようになるんだろうと思う。それまでの過程が、人間関係の、たいへんさであり、面白さなんだろう。
人間の集まるところには、かならず、誤解があり、
その誤解を、ひとつひとつ解いていくことが、絆ができていく、ということなんだろう、と思う。
まあ、めんどくさいけど。

キリスト教では、「死んだら、人は、霊の体になる」という。
イエスによると、「霊の体」には、
「だれだれ夫人」とか、「何国人」とか、「お金持ち」とかいう属性が一切なくなってしまうんだそうである。
ただ、人格は残る。そうして、まったく裸になったところで、人は、神の裁判を受ける。

それがウソかマコトか、nikkouにはさっぱり分からないけれど、
考え方としては、とても好きだ。
属性なしの自分や、相手、というものが、どういう姿をしているのか、知りたい気がするし。

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Comments

マタイ7:1~2
人を裁くな。あなたがたも(他人に)裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分が裁く裁きで(他人に)裁かれ、自分の量る秤で(他人から)量り与えられる。
引きこもりの時代にはこのように解釈していました。
だから人を恐れてしまった。
今の解釈はこう、
人を裁くな。あなたがたも(自分の心に)裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分が裁く裁きで(自分の心に)裁かれ、自分の量る秤で(自分の心から)量り与えられる。
ゲイの話も玄米の話も自分の心の中に作ってしまった価値基準で判断してしまったのでは?
そういう意味で、人を裁くのではなく、その人から悪しき心(的外れな心)が取り除かれますようにという祈る心には神様から平安が与えられるものと思います。

Posted by: Graham | June 28, 2007 at 12:24 AM

>人を裁くな。あなたがたも(自分の心に)裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分が裁く裁きで(自分の心に)裁かれ、自分の量る秤で(自分の心から)量り与えられる。

ふーむ、なるほど、「真理は汝らを自由にする」ですねー。
また、人の反応にいちいちイライラするのも、実りあることじゃないですね。
祈りで、自由な心が与えられて、
悠然と生きていきたいと思います。

Posted by: nikkou | July 02, 2007 at 10:43 PM

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