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October 31, 2007

自分が何をしているか、わかっていない

「父よ、彼らを赦してください。彼らは自分が何をしているか、分かっていないからです。」
(ルカによる福音書23章34節)

今日は、手話讃美「風の音」のお稽古日。
Lyle(リラ)の「語ってください」「眉」「月の光」の三曲を賛美しました。
相変わらず師匠、土屋さんの手話は美しく、
「語ってください」の「一人じゃないとわかっていても 悲しみに負けそうになる」
「月の光」の「ひとりで泣いていた夜も 月の光があったように」
というフレーズでは、みとれるのを通り越して、あやうく涙がこぼれるところでありました。

今日ちょうどネットのニュースで三笑亭夢之助さんという落語家さんが、手話通訳にむかって「気が散る」といって、舞台から下ろさせたというニュースが出ていた。
彼は一度、NHKの手話講座の出演者とかになったほうがいいね。知らないからそんなこと言っちゃうんだろうね。

nikkouが子どものころは、道徳の教科書や国語の教科書で障がいをもつ人の手記や詩などが取り上げられるようになっていたし、年に一回くらい盲聾唖学校との交流会があったりしたものだ。
最近の国語教科書には口絵に点字が入っていたり、nikkouの脳性まひの友人のおうちにはクラブ活動の高校生が遊びに来たりして、まあ昔にくらべて、いくぶんか障がいを持っている方との付き合い方が自然になっているんだろうか、という気がする(もちろん、まだまだ不十分だとは思うけれど)。

そういえば大学生のとき、脳性まひの方の介助のボランティアを始めようとしたら、ある年配の女性から「そんなのに関わっていたら、障害児が生まれるよ」といわれてびっくりしたことがある。やはり60代くらいの男の人とテレビを見ていたときなど、たまたま「手話ニュース」が始まって、「気分が暗くなるからチャンネル変えて」といわれたこともある。
50代から上くらいの人の中には、知的障がいを持つの方を示すのに、頭の上でくるくると指をまわす、という仕草をする人をみるけれど、あれなんかも、わたしの記憶では学校の先生に「差別的な仕草だ」ときつく怒られることのひとつだった。だから、以前、なんのためらいもなくその仕草をしながら、70代の女性が「頭がこういう方は、心が清くて」とおっしゃったのを見たときは、その悪気のなさと仕草とのギャップにすごくびっくりした。同席していた障がい者施設の職員の方がこおりついていたけど、気づいていたかな。
年配の人の、無神経だなーと思う仕草や発言を見聞きするたびに、すこしは、時代は良くなったんだろうか、と思う。

知らないことって、罪だなあと、最近つくづく思う。
知らないから許されるかっていうと、全然そんなことない。悪気がなくったって傷つくのは事実だから。

そういう意味では、わたしなんか、もう大量に罪を犯している。ベルギーの方に「ベルギーの人って何語を話しているんですか」と聞いたり(あとで友人に「nikkou、失礼だよ!」と怒られた)、学生時代、バイト先で、奥さんが美人といううわさの若い社員の方に、「お子さんはまだですか」と聞いて、あとで別の方に「あの人の奥さんは流産して、お子さんができにくいんだ」と聞いて、すごくへこんだり。
でも、そんなことを言ったらなにも言えないじゃないか、と言いたくもなるわな。親しくなるまでは、まあ話題にしないほうが無難なことってのはあるけど、それでも人と交わっているかぎり必ず摩擦はある。

「主よ、彼らをお許しください。彼らは自分がなにをしているのか分からないのです」と、てのひらに、ぶっとい釘を突き刺されながら祈った主イエスの祈りは、今もなお、わたしたちのための祈りだと思う。

知らないから、って傷つけていいことにはならない。
罪は罪だ。
主よ、今日も、わたしが知らずにだれかを傷つけていたら、どうぞ赦してください。

ああ、だから人は、赦しがなければ、人の輪のなかでは、一日だって生きてゆけないんだなあ、と思う。

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October 26, 2007

願ったモン勝ち

「なんであれ、将来あなたがたが私(イエス)の名において何かを願うなら、
それを私は行う。子において父が栄光を受けるために。」(ヨハネによる福音書14章13節 小林稔訳)

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半年前に引越しの際、本棚をひっくりかえしていたら「夢をかなえる魔法の手帳2003年」ってのが出てきた。
今から4年前のもの。

当時、夢として
「海外旅行に行きたい」
「教科書以外の本の編集に挑戦したい」
「教科書の売り上げUPに貢献したい」
「指導書編集でミスを出さないようになりたい」
「ゴスペルシンガーズに参加したい」
「川崎教会でゴスペルコンサートをしたい」

…などなど、こまごま~っといっぱい書いてある。
手帳には、「夢をかなえる」ために、
これこれ、このように時間をつくり、
これこれ、このように達成目標を定め、
これこれ、このように実践していくよう、
アドバイスが印刷されている。

まあ、アドバイスにしたがってがんばったほうだと思うけれど、
夢のほとんどは、「この年(2003年)」にはかなわなかった。
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「海外旅行」「教科書以外の書籍の編集」は、この翌年に実現して、韓国・ドイツに行き、新書と単行本を作った。
「売り上げ」は一進一退で、「ミス」はあいかわらず出しまくり(キャー  > <)。
一番の夢だった「ゴスペルシンガーズ」と「川崎教会ゴスペルコンサート」は、この年nikkouがメインで活動していたゴスペルクワイアー、オアシスが解散して、潰えた、
…ように思ったのに、
それから3年後に、川崎リトルライトシンガーズが結成、2006年、2007年とコンサートが開催されている。
逆転大勝利である。
そうやって振り返ってみると面白い。

「夢」ということばは、ちょっと独特な感じがする。
「売り上げアップ」とか、「ミスを出さない」とかいうのは、「夢」というより「目標」といったほうが正しいかもしれない。

じゃあ、「夢」とはなにか、というと、
自分の努力だけじゃどうにもならないもの、という感じ。
実現するには、出会いとか、時間の流れとか、いくつかの要素の結びつきとかが関わってくるもの。
「大きくて高い視点」からの見取り図が不可欠なもの。
だからちょっと未知数で、わくわくするもの。
したがって、ずばり「祈り」が必要なもの。

「祈り」というのは、「大きくて高い視点」の見取り図でいうと、わたしの「夢」はどのような意味があって、いまどのあたりに位置しているのか、
ということを、その「大きくて高い視点」におられる方に問う…ということじゃないかと思う。
だから、「祈り」と「願い」は同じじゃないけど、とても近い。
そして、その見取り図が今は分からなくても、
やがて、雲が晴れるように、「おおお、こうなってたのかー、予想だにしなかったよ」と驚かされる日が来たりするモンじゃないかと思う。
夢に「わくわくする」のは、この「驚き」への期待も含んでいる気がする…ということに、2003年の手帳を見て、気づいた。

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4年ぶりに、「夢をかなえる魔法の手帳2008年版」を買う。

2008年にむけて願う「夢」。

・相方と良い時間をたくさん過ごせますように
・手話讃美・ハングル・英語がうまくなって、それぞれ用いられますように
・わが教科書編集部が一致して、良質な国語の教科書を作ることができますように(もちろん、売り上げも伸びますように)
・わたし自身、編集者として、大きく成長できますように
・川崎リトル・ライト・シンガーズが、もっと豊かに成長しますように
・わたしの身近にいる、主を必要としている人に、適切に主を伝えることができますように
・それと、もう少しウエストが細くなりたいデス

さて、また4年後、この手帳を見て、どう感じるか、とても楽しみ。

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October 23, 2007

泣く人とともに泣く

喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい。(ローマの信徒への手紙 12章15節)

泣く人とともに泣く、ということは、
すごく難しい。
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英語の勉強のために、最近、「Frog and toad」(がまくんとかえるくん)シリーズを読んでる。
児童書と笑うなかれ。オーヘンリーに負けじともおとらぬ
まごうことなき“文学”であります。
この「ふたり」がね、つねに、ともに喜び、ともに泣くのだ。
なんだか、じーんとしちゃう。

数年前、壮絶な絶望と無力感のなかに沈みきっていた友人が、
しばしばnikkouに電話をかけてきた。
nikkouもしばらくは、一生懸命、その電話につきあっていたのだけれど、
たいがいありえないような深夜にかかってくるので、
とうとう本人にむかって「あなたの電話は、わたしの生活に支障をきたす」というようなことをぼやいてしまった。
すると先方は「ではなぜ今まで電話に応じていたのか」と詰問した。
で、正直に答えた。
「だって、あまりにかわいそうだから。」
友人は激昂し、電話をきったあとも、激怒のメールを2通ばかり送ってきて、しばらく交友が途絶えてしまった。
(最近交友が復活して、ほっとしている。)

「かわいそうに思う」というのは、
「泣く人とともに泣く」とは違うみたいだ。

人生で一番悲しかったことといえば、いうまでもなく妹の突然死だけれど、
しばらくの間、周囲にそのことを言わなかった。
まれに誰かに言うと、たいがい「かわいそうに・・・」「お気の毒に」といわれた。
べつに、例の友人のように激昂するなんて気持ちは、まったくなかったけれど、
それでもなーんとなく、言わなくてもいいことを言ってしまった、というような気持になった。

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妹が死んで半年たったころ、
親しい友人数人と、温泉旅行に行った。
夜、お酒をのみながらだらだらしていると、友人のひとりが、君のところは4人姉妹でうらやましい、ということを何度も何度も言ってくる。
この友人は一人っ子だったので、なおのこと、そう思っていたのだと思う。
あまりにしつこいので、「今は3人姉妹だ。この夏、末っ子が死んだのだ」と言った。
当然、場が凍りついた。
そして、その次におきたことを、
今も鮮やかに覚えている。
それまで「うらやましい」と言っていた友人が、
「くぅっ」という変な声を出して、
それから、「それは、かなしい」と声を詰らせたのである。
nikkouがかわいそうだからではなく、気の毒だと同情したのでもなく、
この友自身が、自分の悲しみを悲しんでいる、と感じた。
なんだか、とてもうれしかった。
うれしかった、というのじゃないなあ、
なんて言うのかなあ、
なんか心がすごく、軽くなったのよ、そのとき。

その次の朝、みんなで駅で撮った写真を、今も部屋に飾ってある。
Nikkouが撮ったので、nikkouは映っていない。
なんで自分が映っていない写真を飾ってあるのか、よく人には不思議がられるんだけど、
それだけ、素敵な日だったというわけ。

辛い思いをしている人を前にすると、この友人のことを思い出すんだけど、でもnikkouは一度も、同じようにふるまえたことがない。友は、演技じゃなく、本心だった。(しかも酔っていた。あとで感謝を伝えたら「は!?」と言われた。酔っていて、その晩のことはなにもかも忘れてるんだって。がくぜ~ん。)

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ゴスペル仲間に、今すごい辛いさなかにある友人がいて、先日、仲間たちの「メッセージを届けてあげよう」とテープレコーダーが回った。
でも、nikkouは絶句してしまって、頭が真っ白になってしまった。

実は、今日の記事は、その言い訳なんです。

仲間たちは、「祈ってる」というひとことだったり、聖書の一節を読んだりしていた。
nikkou自身が癒されたよ。聖書のことばってすごいと思ったよ。
ああ、その手があったなあ、と、nikkouもようよう、好きな讃美の詩を思い出して、テープの前で読んでみた。

要はね、●●ちゃん、
あなたになにか伝えたいと思っているんだけど、どうしてもわたしの言葉は、貧しいんでなにも言えません、すみません、でも想ってます、ということです。

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October 17, 2007

手話賛美

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おととい、全国集会で出会ったひでむらさんという年配の男性からお手紙をいただきました。
全国集会のとき、nikkouの参加している手話サークル「風の音」と、徳島聖書キリスト集会のメンバーとで、手話賛美をしたのだけれど、賛美を終えて席に戻ったとき、後ろの席から
「あの、2曲目の歌はなんですか?」と聞かれた方でした。
このとき賛美したのは、「鹿のように」「わたしが生まれる前から」「輝く日を仰ぐとき」の3曲。
2曲目は、リラの「わたしが生まれる前から」でした。
曲を教えてあげるといそいでメモをとっていたので、その場でCDをお貸ししました。
おとといのお手紙は、そのCDを返却してくださったもの。
素晴らしい歌だったから、同じ集会のみなさんにも紹介してくださるんですって。
うーん、世代を超えたな、リラ。

別の方が、ひでむらさんにnikkouを「さとうさん(相方の苗字)の奥さん」と紹介して、
「えーーーっ、そうだったのーー!」とすごく驚いてた。
昨年、相方が韓国無教会ツアーに参加したとき、ひでむらさんにはずいぶんとお世話になったらしい。
お手紙には「お目に書かれてうれしく存じました」って書かれていたけど、
こちらこそ、そんな出会いをうれしく存じました。

そうそう、出会いといえば、
わたしの参加している「風の音」で手話を教えてくれているのは、土屋さんというろうあ教会の伝道者さん、
美しい手話とおおらかな雰囲気をもつすばらしい伝道者さんなのですが、
彼女、なんと、徳島聖書キリスト集会の吉村さんの、ろうあ学校時代の教え子さんを2人も知っているといいます。

ひとりは、ろうあ者初の牧師になった女性、
もうひとりは、ろうあ者のための「手話聖書」(DVD)を編纂した人。

ふたりとも、吉村さんのことを、
「ろうあ学校で聖書の話をしてくれた先生」
「ろうあ学校でめずらしく手話ができた先生」
として記憶しているそうです。

数年前までろうあ学校では、「手話」を手まねといって厳しく禁じ、読唇と声によるコミュニケーションを進めていたといいます。
そんななかで、
堂々と手話を使って生徒たちとコミュニケーションし、
堂々とイエスキリストの福音を教えてくれる吉村さんは、
非常に強いインパクトがあったのでしょう。

いま、ふたりとも東京で、神様を伝える仕事をしています。
まるでたんぽぽのよう。
徳島での出会いからまかれた種が、ふわふわと、東京まで運ばれて、そこで花をさかせ、実を結んでいる。

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October 15, 2007

川崎リトル・ライト・シンガーズ、コンサート、感謝のうちに終了

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リトルライトのコンサート、無事終了いたしました。
聴きに来てくださったみなさま、
お祈りにおぼえていてくださったみなさま、
ありがとうございました!

よちよち歩きを始めたばかりだったシンガーズが、
不思議と守られて、結成後1年に、ふたたび小さなコンサートを開くことができました。
今回は、一年前の結成コンサートの時と違って、
たくさんの方が聴きに来てくださいました。
ちらしや、ブログや、ホームページで知ってくださった方、ソウルシンガー誠先生のお友達、そして、nikkouの友人たちも、たくさん駆けつけてくれました。
たくさんの出会いが与えられたこと、心から感謝です。

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コンサートは、まこと先生のギター弾き語りで始まりました。
誠先生に、ゴスペルの基本中の基本、イエス様とはだれか、ということをお話してもらったところで、
リトライ、Steal away(イエスのもとに逃れていこう)のアカペラからスタート。
ふるーい黒人霊歌だけれど、歌い継がれてきた重みと深さをもった名曲なのです。
歌うにつれて、会場がきゅーっと集中していくような感覚がありました。
(写真は、相方が携帯電話で撮影。だからちっちゃいの。)

そして、This little light of mine(わたしのこのちいさな光を)。
リトライのテーマソングです。
みんな手拍子で答えてくれて、ほんとうれしかった。

Amazing Grace(アメージング・グレイス)では、真ん中あたりに座っていらしたおじさんが、目を閉じて天を仰いでいるのが見えました。
(このおじさん、始まる前、「どんなものか、聴かせてもらいますよ」なんて、こわーいことをnikkouにおっしゃった方だったのでした。)
誠先生のソロも、ソウルフルで、一気にブラックな音に。

Down in the river to pray(川辺に祈りに行こう)は、アカペラで転調する、というチャレンジングな曲だったにも関わらず、リトライ、声も心も一致して難関をクリアーしました。

さらに、今回のゲスト、武義和さんが教えてくれたSeak ye first(神の国と神の義)を、会場にもシェアしてみんなで賛美。舞台のほうが圧倒されるほどの大きな歌声でした。

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ここで、ゲスト、武義和さんの賛美タイムに。
まずは、ノルウェーのさわやかでおおらかな讃美「デュー・アール・コンゲ」(イエス、あなたは王)からでした。
華麗なピアノと、スウィートな歌声に、会場からため息がもれることひとしきり。

つづいて、
「私の歩みがどんなにトホホであっても、
あなたがどんなに悲しみの中にある時でも、
それでも主はともにいてくださるから安心です」という証しとともに
「それでも主はともに」という武さん作詞作曲の歌を教えてくださいました。

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学校の先生をやめて、
心傷ついた少年、青年のためのちいさな学校、小国フォルケホイスコーレを始めると決めた時、
武さんのご家族には、生活費が一切断たれてしまう、という不安があったそうです。
それでも、始めよう、主がともにいてくださるから、
そう信じて、武さんとご家族は、その歩みをはじめた。
そして、なんと8年も続いている。
それは自分のちからじゃない、やっぱり主がともにいてくださるんだ、
そう武さんは断言します。

―うーん、「神の国と神の義をまず求めなさい、すべてのことは与えられる」(Seak ye first)とはまさにこのこと。
おまんま食えなきゃやってらんねぇや、なんてnikkouなら思っちゃうね。
でも、あのイエスのみことばは、本当のことなのねーと、驚く。

さらに、サプライジング!
「川崎リトルライトシンガーズのコンサートのために作曲しました」と、
詩篇41編から「鹿のように」という一曲をプレゼント!
おおお~とどよめきが起きました。
まるで小国の美しい野山が浮かぶような、風がとおりぬけるような、美しい歌。
リトライのレパートリー、決定です。

最後に、アルプスの少女ハイジから「おひさまのうた」を、会場のみんなと合唱して、コンサート終演となりました。

例の、開演前にこわーいことを言ったおじさん、「すばらしかった!たいへん感動した!」と力強くおっしゃって帰っていかれました。よかった~。

続けてきてよかったなあ、と思う一方で、
いや、武さんのいうとおり、主がともにおられたんだなーと、しみじみ思う。
一年前のあの小さなコンサートのときは、
こんなに充実したコンサートができる日がくるなんて、夢にも思わなかった。

これから、主がリトライにどんな道を開いてくださるのか、もう、不安はないもんね。
楽しみなばかり。ほんとです。
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October 12, 2007

無教会全国集会の証し④若者の会

最後は、「若者の会」について。

無教会には、若い人が少ない、とよく言われる。
どこの教会もその傾向があるけれど、
無教会はたしかに顕著かなとは思う。

そんななか、会場にちらほらみえた若い人たちに声をかけて、
全国集会のあと、若者だけの会をもつことになった。
総勢10人程度。
10人でも、打ち解けた話をするのはなかなか難しい、ということで、
5人ずつに分かれて、まるくなって証しをしあいました。

nikkouと同じ名前をもつ女性は、
暗闇と不安のなかにいたある大みそかの夜、除夜の鐘をつきにいこうと家を出て、
その途中に、小さな教会の明かりがともっているのを見た、といいます。
――教会ってのは、どんなものなんだろう、
そっと覗いて帰ろう、と思って入ると、
中には5~6人しかいなくて、なんだか歓迎されちゃって、
入ったら帰れなくなっちゃった。
で、その次の日曜日も、礼拝に行ってみた。
説教は眠くって、ぜんぜん聴いていなかったんだけど、
いかん、いかん、と身をただして、讃美歌くらいはちゃんと歌おうと思って、歌い出したとたん、はっとした、というか、ほっとしたというか、ああ、この世界を、こんな暖かさを、この感覚を、私は求めていたのだ、と思って、涙が止まらなくなってしまった。
その瞬間から、私はクリスチャンになった…という話をしてくれた。

ある学生の男の子は、
宗教嫌いのお家に育った、といいます。
――でも、なんの精神的な支柱もない、そんな環境が不安だった。
11歳のとき、学校の前で、ギデオン教会が聖書を配っていた。
こっそり読んでいたら、親に見つかって、聖書も捨てられてしまった。
それ以来、布団の中で、聖書を読むことにした。(みんな大笑い。聖書ってエロ本?)
精神的な支柱を求めて、いろんな宗教を探したけれど、内村鑑三という人は、デコレーションされた西洋文化じゃなくって、本当のキリスト教を知っていた人だという気がする。教会にも行ってないし、無教会のこともなにも知らないけど、今日は、そんな気がして来てみた。・・・

無教会のクリスチャンホームに育ち、今なお無教会クリスチャンという男性は、
「なんで君は親に反発しなかったの、っていわれるけど、家では、礼拝って楽しかったんだよ。」という。
「家族でご飯食べて、それから聖書の話をして、ゲームして・・・。でも、一度も親は、クリスチャンになれ、って強制しなかったし。楽しいものに反発するはずがないよね」とのこと。
クリスチャンホームを建設したばっかりの身としては、とても参考になるお話でした。

そして、ひとつひとつの話に、ああ、よかったなあ、神様は生きてはたらいているなあ、と
心が元気になっていった。

武義和さんも、
「若者に伝道するには、言葉がちがう、讃美がちがう、といいますけど、
福音の喜び、その感動を語るのに、世代は関係ないと思います。」と言っていた。
吉村孝雄さんも、
「聖書のどこにも、若者に伝道せよ、とは書いていない。まず弱い人、虐げられた人のところに行け、と書いてある。弱い人、虐げられた人のところに行けば、若い人は、必ず、ともに行きたい、と集まってきます。」と言った。そして、彼の集会は、実際そのようになっている。

たしかにゴスペル仲間でも、病院や老人ホームや幼稚園や刑務所で讃美の依頼がくるたび、「行きたい人!」という声がかかると、あっという間にメンバーが集まる。そういう活動をしているゴスペルグループは、生き生きしている。

nikkouも、川崎リトルライトが、そういうシンガーズ―喜んで福音を歌う、悲しみのなかにいる人がいればどこだって讃美の歌声を伝えに行く、そういうシンガーズにしてもらえますように、と祈ってる。
そして、本当は、それが一番リトルライトのメンバーの祝福になるんだ、と確信している。

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October 11, 2007

無教会全国集会での証し③吉村さんのお話

今度の日曜は、いよいよリトルライトのコンサートですよ~ くわしくは こちら

さて、みっつめは、分科会でのお話。
発題のあと、グループにわかれて、ディスカッションが行われました。
nikkouは、武義和さんのグループに参加したのですが、
先日書いた視覚障害者の綱野さんも参加、
そして、聴覚障害者の桜井さん、
彼らとともに礼拝をまもっている、徳島聖書キリスト集会の伝道者、吉村孝雄さんが参加されていました。
そうしたメンバーならではの、じつにふかーい証しが聞かれました。

きっかけは武さんからの質問。
実は、自分は主イエスのことば、「この人が眼が見えないのは、神の栄光が現れるためである」ということを、どうしても、障害をお持ちの方にいうことができない。
これは主イエスしか、言っちゃいけない言葉なんじゃないか。
(参考 イエス様しか言っちゃいけない言葉

吉村さんは、伝道者になる前は、聾唖学校の小学校で先生をしていました。
そのご経験から、こんなお話をされました。

聾唖学校では、ご両親から「この子に障害があるとわかったとき、夫婦で自殺しようかと思った」と言われることもあった。
障害児をもつ家族には、つらい、苦しい思いの中にいる方もいる。
そんななかで、吉村さんは、授業のあとや土曜日の空いた時間に、
子どもたちに、イエス様のことを教えることにした。
ミッションスクールでもなんでもないのに、不思議と、「学校でそんなことを教えないでくれ」という苦情はひとつもなかった。
やがて、そうした中で、主イエスのことを知り、神様を信じる心をもつ子どもたちが現れた。
そうして、「ああ、この子は、十分、イエス様のことを信頼している」と思える成長と、ふさわしい場と、時が与えられたと感じられた瞬間、吉村さんは伝えたそうです。
「君は、神様の栄光が現れるために、その障害を与えられたんだよ」

続いて、綱野さん、桜井さんが続けてお話なさいました。
――クリスチャンになるまえにそんなことを言われたら、本当に不愉快だったと思う、
でも、イエス様のことを知ってからは、そうだな、そのとおりだな、と思えた。

nikkouは思う。イエス様の言葉は、刃だ。
相手を見ずに、むやみやたらとふりまわすと、相手を傷つける。
でも、相手の目を見、声を聞き、ともに寄り添って生きていると、
ふと、「今だ!」というときがくるのだろう。
そのとき、イエス様のことばは、苦しみの鎖を断ち切るために力を発揮する。

nikkouも、ある人に、「神様は、君を愛している」と言ったとたん、
「そんな話、聞きたくもない! 因果応報、自業自得と言われるほうが、よっぽど納得がいく」と激しくなじられたことがある。
別の人に、同じことを言ったら、「うん」というなり、びゅーっと涙がその人の眼から噴き出した。
ともに、クリスチャンじゃない友人なのだけど、
なにがどう違うのか、今の自分にはさっぱりわからない。
でも、主イエスのことばとはそういうものだ、ということは、切実にわかった。

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October 10, 2007

無教会全国集会での証し②武さんのお話

ふたつめは、
今回のリトルライトのコンサートでお世話になる、武義和さんのお話。
「発題」(今回の全国集会のテーマについて、何人かの人が代表して語ること)として「証し」をされました。

武さん、今は引きこもりや不登校の形であらわれるような、心に重荷をかかえた青年たち少年たちとともに、小国フォルケホイスコーレで暮らしていますが、
それ以前は、高校の音楽の先生をしていました。

nikkouもいろんな高校の先生とおつきあいがありますが、
ある高校の先生で、クリスチャンの方から、こんなお話を聞いたことがあります。
その先生の受け持ちに、とても暴力的でうそつきの子どもがいた。
先生は、非常に不愉快だったけれど、
一生懸命祈った。
そして、彼にこう告げた。

「君のことを、僕は何回でもゆるそう。
でも、社会では、それは通用しないよ。」

・・・この話を聞いて、nikkouは心がさむーくなりました。
そんなことを言われて、この子はどう思っただろう。
社会にでることにおびえた?
社会で立派にやって、こんな教師見返してやる、と恨みを胸に刻んだ?
あるいは、社会でたしかに「通用」せず、あの教師のいうとおりだった、と傷ついた心をかかえて苦しんだだろうか。
なぜ、この先生は、そんな脅しのような言葉を、
そして、自分の「ゆるし」をひけらかすような言い方をするのだろう。

さて、武さんの証しです。
武さんも高校の教師時代、受け持たれたなかに、とても暴力的な生徒がいたそうです。
その生徒にとって、武さんの勤める高校は、3校目。
その前2校は、暴力のため退学になっていたといいます。
ある日、その生徒が、顔中傷だらけになって登校してきた。
武さんは驚いて、「いったい、なにがあったんだ!?」と聞いたそうです。
彼はこういいました。
――街で、ヤンキーの集団に絡まれた。

ヤンキー集団の顔を見回して、彼は思ったそうです。
この喧嘩は、勝てる。
でも、もしここで、喧嘩をしてしまったら、
やつらは、友達と、先生に報復にくるかもしれない。
友達と先生を、この喧嘩に巻き込むわけにはいかない。

で、殴られるまま、けり倒されるままに、なった…と。

―わお。
「ごくせん」みたい。そんな話、ほんとにあるんだね。

武さんは言います。
3校目の学校で、彼は、守るべき友と、信じられる先生を得られたんだと思う。
だから、暴力から、解放された。

その後の分科会で、nikkouは武さんのグループに入りました。
分科会の中のある人が、やや差別的な言い回しを繰り返しながら、知人のお嬢さんの問題を相談されました。
nikkouは、ちょっとはらはらしながら聞いていたのですが、
武さんは、簡単にその差別的な言い回しをたしなめたあと、
「祈ることだと思う」とひと言。
武さんは、青少年問題の専門家のように思われていて、すぐ処方箋が出てくるかのように頼りにする人も少なくないと思う。
でも、nikkouがみるかぎり、武さんは、ひとりひとりと、気の遠くなるほどの長い時間と手間をかけて、直接向き合いながら、祈り続けているように思う。

nikkouも反省したよ。
当てつけがましい祈りや忠告なんかいらないよね。
そっと祈って、じっと向き合って、ということなんだと思う。

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October 09, 2007

無教会全国集会での証し①綱野さんのお話

10月7日、8日は、無教会の全国集会でした。
「え、無教会って『全国集会』なんてやるの?」と教会の友人、クリスチャンの友人に何度も聞かれましたが、あるんですよ、全国集会。
無教会ってのは、べつに、個人が孤立して礼拝する、という意味じゃなくって、
教派による区別・差別に固執せず、クリスチャンはみな同じ主にあるエクレシア(おおきな教会)として礼拝しよう、という考え方なのだそうです。

全国集会ではたくさんの証しを聞くことが出来ました。
「証し」というのは、「神は生きてはたらいている」という「証言」のこと。
で、nikkouはその「証し」を聞くのがすごく好きなのです。
ときどき、まるで珠玉の短編小説みたいお話があって、胸が熱くなるから。
もちろん事実は小説より奇なり、なんだけどね。
今回聞くことができたいくつかの証しのなかから、それこそ「珠玉」だったもの、4つよりすぐって、連載でみんなにシェアしたいと思います。
(写真がなくてごめん。カメラの調子が悪かったのです)。

ひとつは、徳島聖書キリスト集会の綱野さんのお話。
彼女は、中途失明者で、いまは全盲です。
今回、綱野さんは、舞台に立って、お友達の中川さんとデュオを組み、何曲か讃美を歌いました。

讃美の前の証しで綱野さんが語ったのは、
20歳のころ失明の危機に接したときの、すさまじい恐怖と絶望でした。
そんなある日、彼女は友人の家のカレンダーに、ある言葉が書かれているのをみたそうです。

「明日のことを思いわずらうな」

まさに「明日を思いわずらい」、恐怖にうちふるえていた綱野さん、この言葉はいったいなにか、と友人にたずね、それが、イエスキリストの言葉と知るのです。
その言葉に導かれ、彼女は無教会の集会に参加、
神様を信じよう、と決意したとき、こう祈ったそうです。

「神様。
もしわたしの願いをかなえてくださるのなら、
目が見えるようにしてください。
もしその願いがかなわないのなら、
この命を、取り去ってください」

しかし、その願いはかなわなかった。

とうとう全盲となり、光をうしなったとき、彼女は気づいたそうです。
でも、自分は、イエス・キリストという光を知っている。
わたしの肉体の眼は見えなくなったけれど、
霊的な眼は、開かれている。

・・・・・・今は、そう言うけれど、本当は、信仰が失われるような思いにとらわれることが何度もあった。でも、そんなときでも、イエス様がそっとそばにいてくれることだけは信じてる。

そうして、中川さんと歌いはじめた讃美の歌は、
「人生の海の嵐に」(新聖歌248番)と「あなたに」(リビングプレイズ146番)、
そして、もう1曲(nikkouは知らない歌だった。綱野さん、なんて歌だったの?)。
それは
あまりにも美しくて、
あまりにも清らかで、
胸がくぅっと熱くなる思いがしました。

nikkouは、その後、綱野さんと昼食をご一緒しましたが、
ユーモアあふれるたのしい方で、いい友人が与えられたなあ、と感謝でいっぱいになりました。
このブログも読んでくださっているとのこと、ありがとー。
今後ともよろしく、です。

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October 02, 2007

ミャンマーのために祈ろう

わが友、ミャンマー人のユーミンちゃんは、2月には留学を終えて、祖国に帰っているはずである。2月、nikkouは結婚式前でどたばたしてしまって、帰国後の連絡先を聴きそびれてしまった。こんなことになるなんて、まったく予想もしていなかった。

昨日、新宿シャローム教会の午後の礼拝で、ミャンマーから来日した牧師のメッセージがあるとのことで、川崎教会の礼拝のあと、新宿に駆けつけた。
ユージンさんという小柄な牧師は、
しかし、なんだかえらく明るかった。Burmamap

時期が時期だけに日本の教会に民主化運動への支援を訴えに悲壮な思いを抱いてやってきたに違いない、と思って駆け付けたnikkouには、思わず拍子ぬけしてしまうほどののんきな調子で、
「最初、わたしの始めた教会は信徒が12人でしたが、7年後の今は、100人いまーす!」。
で、50~60人ほどの会衆が「ハレルヤー!」と手をたたく。
「神様は、ミャンマーを祝福してくださいまーす!日本も祝福してくださいまーす!」。
アーメン、アーメン、ハレルヤー、ハレルヤー! ぱちぱちぱち……(拍手)。

スライドには、山奥の掘っ立て小屋のような教会の前で、民族衣装をきてたたずむ何人もの若い男女が映し出される。
「ヤンゴンからこの教会に行くには、電車も車も使えません。徒歩で、川を渡るんです。電話もありません。」
普段の住居はヤンゴンにある、というユージン牧師、年に何度かこの山奥の教会に1ヵ月ほど滞在して、礼拝をもつという。
「神様は福音を伝えるためわたしの足を用いてくださるのですー!」
ハレルヤー、ハレルヤー、ぱちぱちぱち…。

……ハレルヤ―、て、人が銃でばんばん撃ち殺されて、お坊さんたちがばんばん拘留されておるんだろうが、いいのか、それで。
「祈りましょう」という段になっても、とうとう、ミャンマーの現状について語られることはなく、アジアにますますの祝福がありますように、となんとも曖昧な祈りがなされてとうとう礼拝が終わってしまった。

これじゃあ、川崎から新宿まで、昼食もとらずに駆け付けた甲斐がない、と
終わるや否や、人をかきわけて前に出て、ユージン牧師の腕をつかんだ。
「God bless you」とにこにこ握手をもとめてきたユージン牧師に、
おぼつかない英語でもって、「ミャンマーでは5人以上の人で集会を開くことはできないと聞いたが」と言うと、さっと表情をこわばらせて、「no!」と両手を挙げた。
「ではなぜ、先ほどあなたは、教会に100人のクリスチャンが集まると言ったのか」と聞くと、
ミャンマーのキリスト教会はすべて「underground church」(地下教会)なのだ、礼拝はすべて、秘密裏に行われている、という意味のことを言う。

なんということだ。そう、おどろくべきことは、12人の信徒が100人に増えたことなどではない。
そのような状況下で100人ものクリスチャンが礼拝のために集おうとしている、というのである。それこそ、主の大きな祝福ではないかと思う。

わたしの友人がいま、ミャンマーにいる、どうしているのかわからない、と言いかけて、不覚にも涙が出そうになった。
ユージン牧師は、「あなたの友のために祈る。だから、あなたもどうかミャンマーのために祈ってくれ」という。

ミャンマーのデモを先導したのは、仏教の僧侶たちであるらしい。
もし、このデモが失敗したら、仏教さえも弾圧されてしまうのではないか。
なぜ、ユージン牧師は迫害の状況について語らない? なぜ信教の自由を得られるよう支援を求めない?
おぼつかない英語ではそこまで話すことはできず、すごすご帰ってくる。
帰宅して、いささかのいらだちをこめて、相方に話すと、
「迫害されている国の牧師は、出国した先では、すごく慎重だよ」と言う。
「中国で伝道している人たちなんて、たいがい匿名か、仮名使ってるしね。なにをしていたかばれたら出国したまま帰れないということもありうるし。」
それでなのか?
のんきだったのは、nikkouのほうか?
真相はわからない。
事情は複雑なんだろうな、とは思う。

ただ、もう、これ以上、ミャンマーでひとが殺されることがないことを、せつに祈る。
神様、ミャンマーの人々を守ってください。ユーミンちゃんと、彼女の家族を守ってください。
ミャンマーのクリスチャンが、命の危機にさらされることなく、また地下ではなく、太陽のもとで、のびのびとあなたを礼拝する日が、一日も早く訪れますように。

…あと、英語、勉強しなきゃ、とつくづく思ったよ。

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