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October 12, 2007

無教会全国集会の証し④若者の会

最後は、「若者の会」について。

無教会には、若い人が少ない、とよく言われる。
どこの教会もその傾向があるけれど、
無教会はたしかに顕著かなとは思う。

そんななか、会場にちらほらみえた若い人たちに声をかけて、
全国集会のあと、若者だけの会をもつことになった。
総勢10人程度。
10人でも、打ち解けた話をするのはなかなか難しい、ということで、
5人ずつに分かれて、まるくなって証しをしあいました。

nikkouと同じ名前をもつ女性は、
暗闇と不安のなかにいたある大みそかの夜、除夜の鐘をつきにいこうと家を出て、
その途中に、小さな教会の明かりがともっているのを見た、といいます。
――教会ってのは、どんなものなんだろう、
そっと覗いて帰ろう、と思って入ると、
中には5~6人しかいなくて、なんだか歓迎されちゃって、
入ったら帰れなくなっちゃった。
で、その次の日曜日も、礼拝に行ってみた。
説教は眠くって、ぜんぜん聴いていなかったんだけど、
いかん、いかん、と身をただして、讃美歌くらいはちゃんと歌おうと思って、歌い出したとたん、はっとした、というか、ほっとしたというか、ああ、この世界を、こんな暖かさを、この感覚を、私は求めていたのだ、と思って、涙が止まらなくなってしまった。
その瞬間から、私はクリスチャンになった…という話をしてくれた。

ある学生の男の子は、
宗教嫌いのお家に育った、といいます。
――でも、なんの精神的な支柱もない、そんな環境が不安だった。
11歳のとき、学校の前で、ギデオン教会が聖書を配っていた。
こっそり読んでいたら、親に見つかって、聖書も捨てられてしまった。
それ以来、布団の中で、聖書を読むことにした。(みんな大笑い。聖書ってエロ本?)
精神的な支柱を求めて、いろんな宗教を探したけれど、内村鑑三という人は、デコレーションされた西洋文化じゃなくって、本当のキリスト教を知っていた人だという気がする。教会にも行ってないし、無教会のこともなにも知らないけど、今日は、そんな気がして来てみた。・・・

無教会のクリスチャンホームに育ち、今なお無教会クリスチャンという男性は、
「なんで君は親に反発しなかったの、っていわれるけど、家では、礼拝って楽しかったんだよ。」という。
「家族でご飯食べて、それから聖書の話をして、ゲームして・・・。でも、一度も親は、クリスチャンになれ、って強制しなかったし。楽しいものに反発するはずがないよね」とのこと。
クリスチャンホームを建設したばっかりの身としては、とても参考になるお話でした。

そして、ひとつひとつの話に、ああ、よかったなあ、神様は生きてはたらいているなあ、と
心が元気になっていった。

武義和さんも、
「若者に伝道するには、言葉がちがう、讃美がちがう、といいますけど、
福音の喜び、その感動を語るのに、世代は関係ないと思います。」と言っていた。
吉村孝雄さんも、
「聖書のどこにも、若者に伝道せよ、とは書いていない。まず弱い人、虐げられた人のところに行け、と書いてある。弱い人、虐げられた人のところに行けば、若い人は、必ず、ともに行きたい、と集まってきます。」と言った。そして、彼の集会は、実際そのようになっている。

たしかにゴスペル仲間でも、病院や老人ホームや幼稚園や刑務所で讃美の依頼がくるたび、「行きたい人!」という声がかかると、あっという間にメンバーが集まる。そういう活動をしているゴスペルグループは、生き生きしている。

nikkouも、川崎リトルライトが、そういうシンガーズ―喜んで福音を歌う、悲しみのなかにいる人がいればどこだって讃美の歌声を伝えに行く、そういうシンガーズにしてもらえますように、と祈ってる。
そして、本当は、それが一番リトルライトのメンバーの祝福になるんだ、と確信している。

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「3 礼拝」カテゴリの記事

Comments

確かに聖書には若者に伝道せよとは書いてないね。
でもユダヤ家庭でのユダヤ教の素読や日本の寺子屋で行われていた四書五経の素読ということが、人間の精神構造の柱の構築に役に立っている。
そういうことからすれば、若いうちに、イエスの教えに触れてみるということは大事なことなんじゃないかな。?
私はキリスト教系の幼稚園に通っていたけど、イエス様を描いたカードをノートにペタペタ貼るだけで、その教えを幼稚園の先生が朗読してくれたことなんか一度もありませんでした。
若いうちに種蒔きをしてみて、育つかどうかは神様に委ねるという感覚が大事なのではないかな?
特に今の世の中のようにいじめやワーキングプアみたいな問題が起きている今こそ、イエス様の教えに触れてみる重要性をひしひしと感じます。
リトライのコンサート、行けないけど、行う人にもそして聴く人にも実り多きことを祈ります。

Posted by: Graham | October 13, 2007 at 11:18 AM

Graham兄

幼稚園の話、いいですねー。
ほんと、ちいさいころ、若い日々のの、愛されて守られて育った環境のなかに、そっと主イエスの教えがある、というのがベストかもしれないですね。
そこで蒔かれた種は、大人になった時、きっと支えになるでしょうし。

リトライ、お祈り感謝です。
いつか、リトライの讃美が、Graham兄にも聴いてもらえるような時と場が与えられるよう祈ります。

Posted by: nikkou | October 13, 2007 at 02:57 PM

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