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January 29, 2008

パラサイヨ・ゴスペル2008年

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1月26日(土)、フィリピンの孤児院のためのパラサイヨゴスペルコンサート、無事終了しました。

Photo by NOG

お客さんは、8割9割がノン・クリスチャン、もしくはゴスペルを初めて聴く人、と聞いておりましたが、なるほど、そうなんだろうな、と舞台上で客席を眺めつつ思いました。

5512810045qz2 というのも、

ゴスペルファンの多いコンサートでは、歌が盛り上がると

クラシックの「ブラボー」にあたる場所で「ハレルヤ!」(ヘブライ語で「主を讃美せよ」という意味)の声があがり、

ゴスペルファンでなくとも、クリスチャンの多いコンサートでは、

リーダーがスピーチをすると、「アーメン」(ヘブライ語で「そのとおり!」という意味)の声が、大きく小さくあがったり、拍手がおこったりするものですが、

今回は、とても静かな雰囲気だったのでした。

しかし、それは決して悪い雰囲気ではなく、

むしろ、キリスト教というモノの考え方、ゴスペルという歌に、

興味深く耳を傾けている空気が、ひしひしと伝わってきたのでした。

521290334qz7後半のワークショップ(客席参加)では、

みんなで大きな声で、「shake the foundation(地面を揺らせ)」と「大切な人」を歌いました。

リーダーのまりりんも、

ゴスペルファンの多いコンサートと違って、慎重に言葉を選びつつ、

「むかし、ふたりの男の人が、なにか犯罪をしたわけでもないのに、捕まって牢屋にいれられました。みなさんはどうしますか? 鍵を盗んで、脱獄する? でも、ふたりは、そうしなかった。なんと、歌ったんです。すると、地震が起きて、鎖は解け、牢屋から逃げられたのです。そんなお話を基にした歌です。」

と、噛んで含めるように解説。

そう、聖書に親しんでいる人ならよく知っている、パウロとシラスの話であります。

こういうコンサート、必要だなあと、つくづく思いました。5412810045qz1

ゴスペルファンではないけれど、ゴスペルに興味があるという人が、いきなりディープなコンサートに行き、「ハレルヤ!」の洪水に飲み込まれると、取り残されたような、寂しい気持ちになることもあるでしょう。また、歌うほうも、ゴスペルファンだけ、クリスチャンだけ固まっていたら、視野が狭くなっちゃいそうです。ディープなコンサート、nikkouは個人的には大好きだけどね。でも、裾野を広げていくためには、いろんなコンサートが企画されてしかるべきだと思いました。

今回のコンサートで、ゴスペルを歌いたくなった方、ぜひ、一緒に歌いましょう。本当にいろ~んな個性のクワイアーがあるので、ぜひ、好きなクワイアーを見つけて仲間になってください。

写真で羽織っているのは、フィリピンの孤児院の子どもたちが作ってくれたショール。

子どもたちが歌う人全員のために100枚以上も作ってくれました。

チャリティによって一方的な施しを受けるのでなく、子どもたち自身も何かの形でコンサートに参加して、それによってお金を得る、という形が、彼らの尊厳のためには、とても重要なことなのだそうです。

ご覧の通り、本当に美しい、素晴しいショールです。

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January 23, 2008

働きマン!

モーセは神に言った。「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか。」神はモーセに言われた、「私は有って有る者(エゴ・エイミー・エゴ)」。(出エジプト記3章13~14節)

昨年末テレビドラマ化された漫画「働きマン!」を読む。

舞台になっているのは某大手出版社の週刊誌編集部で、nikkouが働く文芸・人文系出版社とはまったく空気は違うのだけれど、でも、とても勉強になりました。

518dc679zbl_aa240_なかでも、新人編集者まゆちゃんの

「心に決めた目標があります。大好きな作家さんと読者に一生大切にされるような本をつくりたいんです。胸にぎゅっと抱きしめられるような本を・・・。」

というせりふには、…泣かされましたなあ。

(でも書き写すとこっぱずかしいぜ。)

うう、いつのまにか、月給もらって日々の雑務をつつがなくこなすのに必死になっていたけれど、nikkouだって、最初はそう思ってたんでありますよほんと。

読者として好きだった出版社の入社試験が、思いがけなく最終面接まで残ったその前の晩、nikkou懸命に祈ったのでありました。

「もし、この出版社の編集者にしてくれるのなら、もう、一生懸命働きます、世に出ることを待っている原稿を見つけ出して、だれかの励みになるような、だれかの慰めになるような、そういう本を、もう、一生分の命を懸けて作ります。

約束します。

だから、どうかどうか最終面接を合格させてください、お願いします。」

51gjbgivqsl_aa240_ 当時、nikkouはクリスチャンじゃなかったから、主イエスに祈ったわけではなかった。

それでも確かに、なにかに守られるように、

いや、何者かによって、すでに定められていたかのように、

最終面接を通った(あとで、300人応募のなかから、30人が最終に残り、3人が内定した、と聞いた)。

出版社の門口に、初めて社員として立ったとき、

「よい、仕事をしなきゃ!約束を果たさなきゃ!」

とそれこそ、働きマン!な思いに胸たぎらせつつ、

ふと、思ったのであります。

でも、誰に約束したんだろう。

― あなたは、一体、だれなんだ。

エゴ エイミー エゴ。

社会人になって、はや10年弱となり、振り返ると、「あなた」との約束はいまだ果たせていないなあと忸怩たる思い。

先日、仕事帰りに上司と飲んでたとき

nikkou30代かあ、いいなあ。これから10年間が編集者として一番いい時だなあ」と言われる(なんとなく根強い、編集者寿命40歳説)。

The best is yet to come(最善の時はいまだ訪れず)。

教科書関係にしても、それ以外にしても、今年はいい本を作りたいです。

(2008/1/23)

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January 19, 2008

パラサイヨ・ゴスペル2008

あなたのために 今できるのは

たったひとつ うたうこと

心の叫び 時を祈り

命のすべて 捧げるまま

(This song is for you)

来週、1月26日(土)に

ゴスペルのチャリティ・コンサートが開催されます。

コンサートの収益金は、フィリピンの孤児院に、子供たちの学費として

寄付されます。

nikkouも歌います。

ぜひいらしてください。

ホームページ パラサイヨ・ゴスペル2008

PARASAIYO GOSPEL CONCERT 2008
(パラサイヨ ゴスペルコンサート 2008)

主 催 PARASAIYO (パラサイヨ)

日 程 コンサート 2008年1月26日(土)
     開場 15:30  開演 16:00  終了 18:30

会 場 こまばエミナースホール
東京都目黒区大橋2-19-5
井の頭線駒場東大前駅より徒歩3分

今日はそのリハーサルでした。

コンサートで歌う1曲、「This song is for you」を歌って、

ああ、これぞゴスペルだ、と思ったね。

「あなたのために、いまできるのは

たったひとつ うたうこと」

「あなた」とは、なによりもまず主なる神であり、

そして、フィリピンの孤児たちであり、

われわれの歌を聴きに来てくれる人々である。

「パラサイヨ・ゴスペル」は数年前から恒例となっている

チャリティ・コンサートで、

2005年の初回は確か、

nikkouがはじめてゴスペルを教わったオアシス・ゴスペル・クワイアーの

解散コンサートでもありました。

オアシスの仲間が、フィリピンの孤児院の支援団体「パラサイヨ」と

知己を得て始めたのでした。

以来、毎年、ゴスペル仲間たちが協力して、毎年行っています。

チャリティコンサートなので、「ゴスペル」どころか、

キリスト教の「キ」の字、神様の「か」の字も興味のない人、

知らない人も、大勢聴きに来てくださるとのこと。

だからなおのこと、

「あなたのために今できるのは たったひとつ うたうこと」なのであります。

nikkouは、強引に人を礼拝に誘ったり道端で聖書を説いたりするのは

あまり好きではないのですが(自分がされて、非常に不愉快

だったから)、ただひとつ、こころをこめて、

だれかにイエスの語ったこと、イエスのしたことを伝えるとしたら、

歌うことなのです。

自分自身、ゴスペルを通じてイエスに出会い、いまもなお、ゴスペルに

助けられているから。

パラサイヨという支援団体も、

(こんな言い方をしては口はばったいのですが)

当初出会ったときより、はるかに成熟してきたようにみえます。

“わたしたち、フィリピンの孤児院に寄付ができてよかったねー”

だけでは済まされないフィリピンの子供たちの状況

―孤児として差別されて、就職もままならず、絶望の淵にいる彼ら―

を見据え、

祈りのなかで、できるかぎりのことを謙虚に進めていこうという意志が

強く表れた、賢明なひとたちの集まりのように思えます。

(活動内容については、こちら「パラサイヨ公式ホームページ」)

心の限り、歌いたいと思います。

チケット残り僅少です。

ご興味のある方、お急ぎください。

ホームページから購入できます。

(2008.1.19)

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January 16, 2008

祈りは聴かれる

「祈りは、心に平和と力をもたらす業である。祈りは、わたしたち人間の内面を清めるからである。それは決して気休めではない。」三浦綾子

つい先日、クリスチャンのギョーカイ用語で言うところの、「内面に平和のない」状態となりました。ひらたく言うと、いらっとすることがあったのね。

基本的に自分は温厚なタイプだと思うのだけど、

腹を立てると、われながら感心するほど辛らつになったりする。

まあ、そのせいで何人か友達を失ったりしてきているので、

多少とも大人になった今は、

じっと我慢の子で、表に出さずになんとかやり過ごそうとした。

そうはいっても、胸のうちは、やり場の無い思いでいっぱいで、

頭の中でいろ~んなことを考えて、なんとか溜飲を下げたりしていたのだけれど、

はっきりいって、そんなものは、何の役にも立たない。

そんなさなか、久遠Nu praiseのMLに、ディレクターえっちゃんのメールがふっと入ってきた。

「先日洗礼を受けた仲間に贈る予定だったゴスペルのCDが、

アマゾン(本やCDのネット通販店)で、品切れになっていたんだけど、

祈ったら、届いたよ、

祈りは聴かれる~」

という趣旨の、

まあ、他愛のないようなものであります。

ただ、そのときのnikkouには、まるで主の声のように思えました。

「祈れ、聴くぞ。」ってね。

なので、久々に(笑)、じーっと祈りました。

どうか、わたしの心のなかから、怒りを取り去ってください。

醜い思いを消し去ってください。

次々と沸き起こる、われながら素晴しくユニークな(!?)復讐の方法が、もう沸き起こらないようにしてください。

そんな思いが、どんどんわいてくる私の罪を消し去ってください。

そうして、数日たった今日、

ふと、その日の怒りを、忘れていることに気づきました。

忘れっぽいんじゃないか…って

いや、そうじゃなくて、ですね、

ふしぎなことに、逆に、怒りを上回る楽しかった思い出が

なんの苦もなく、脳裏に浮かぶのだ。

精神的に、たいへん、楽です。

怒りのさなかは、祈りの中で過ごしていたので、

今になって思えば、怒りにまかせて馬鹿なことをするのを抑えられていたわけで、

さもなくんば、後悔するところだったと、胸をなでおろす思い。

こういうのを「守られた」というんだろう。

主よ、感謝します、すんません、いつもこんなん世話を焼かせてばっかりで。

祈りは聴かれるぞ。

どんなに他愛なくても。

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January 14, 2008

映画マリア

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昨年、現在の相方と婚約中のクリスマスのこと、
nikkouは相方に言った。

「もし、わたしがマリアさんだったら、つまり処女受胎をしたら、
速攻、堕ろすね。」
「ええっ、なんてことを」
と、相方絶句。
でも、そうですよ。
身に覚えがないのに、妊娠なんて、気味が悪いじゃないですか。
「で、堕ろしたその足で精神科に行く。
『先生、わたし記憶がないのに、妊娠したんです。
なんか、記憶障害か人格障害かなんかでしょうか。』って。」
「俺には言う?」
「…言うだろうねー。でも、重い話だねー、なんかやだねー」
想像したら、暗ーくなってしまった。

聖書にはグロテスクな話がたくさんあるけれど、最近結婚したnikkouにとって、処女受胎ってのは、1,2をあらそうグロテスクな話だ。

昨日、相方とふたりで、映画「マリア」を見てきた。

1024_768_c 映画自体は、マタイ福音書とルカ福音書を混ぜて構成した物語だったのだけれど、マリアが、受胎を告げられて「御心のままになりますように」と答えたときは、やはり、「どうして、そんなことを言っちゃうんだろう。せめて、結婚して、子供ができてもだれにも疑われなくなるまで待ってください、とかって言いなよ。」と思った。

そして、やはり、未婚の母として、小さなナザレの町では、非難と侮蔑の的になってしまうのである。

そんななか、苦悩と不安を押し殺して、ヨセフは、マリアを守ったんだろう。

マリアも偉かったけど、ヨセフも偉かったと思う。

映画の視点は、ずっと、第三者の目でふたりを眺め続けることになるから、主が彼らを守りつづけたときは、こういう目線だったんだろうな、という気がした。本当にか弱い小さな家族。

これは、nikkouの勝手な想像なんだけれど、
イエスの言葉「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」っていうのは、
この出生の秘密(処女受胎)が関わっているんじゃないかなあと思う。
どんなに、「聖なる受胎」であっても、普通の人には、婚外子を産んだ女にしか見えなかったマリアに、
きっと、ひどい言葉を投げつける人は少なくなかったんじゃないかと思う。
「セクハラ」という言葉どころか、きっと考え方すらなかった時代に、
レイプしたわけではないだろう、だから罪を犯したわけじゃないだろう、と開き直ってマリアさんにセクハラしまくる男たちに対して
「あんたたち、本気でそれが罪にならないとでも思ってるんかぃ?」って、イエスは言いたかったんじゃないかと思うのだ。

先日友人に、「nikkouは、絶対マリアさんみたいな試練はいやだなあ」と言ったら、「だいじょうぶ、神様は、その人にふさわしい試練しか与えられないから」と慰め(?)られた。ええ、ええ、そうしてくださいまし。マリアさんは、やはりえらいです。

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January 08, 2008

ベルセポリス

Photo 今、渋谷で「ベルセポリス」という映画が公開中。

すごい、観たい。

原作はマルジャン・サトラピ『べルセポリス』。

ほかに『刺繍』という本も翻訳されていて、昨年、イランにはまった勢いで読んだ。
イラン出身パリ在住のサトラピはグラフィックデザイナーで、
この本たちも、日本で言うところのまんが形式です。

彼女の著書には両方とも、サトラピのおばあちゃんが出てくるんですが、
この人が、もう、すんばらしいんであります。
聡明で、勇気があって、若々しくて、おしゃれで、セクシーで、経験豊富で、現代的。
はねっかえりの孫娘に理解を示しつつ、言うべきことはきっちり言う。

「恨みや復讐ほど最悪なことはない。いつも毅然として、自分に公明正大でいるんだよ」

というのが、おばあちゃんの忠告で、そしておばあちゃんの生き方そのものである。

息詰まるような社会で、人々がどのように感じ、どのように生きているか、ユーモアとペーソスたっぷりに語られている。

じつは、nikkouの書棚には大量のイスラーム関係書が眠っている。
昨年、讃美仲間の1人が「シオニスト=クリスチャン」であることを知って、あわてて買い集めたのだ。

「シオニスト=クリスチャン」ってのがどういう人たちをいうのか、わたしもよく知らないのだけど、
この友人の場合、まず、パレスチナにユダヤ人が入植したことは、神の意志である、と信じている。そして、全世界にちらばっているユダヤ人を説得して、パレスチナに入植させている(この友人は、翻訳作業を通してその手伝いをしている、という)。その結果、それまで某国で医者をしていたユダヤ人が、パレスチナでは食うや食わずになったりするという。
「えー、それって、かなり不自然な話なんじゃないの。中東の石油をねらっているアメリカの思惑にのせられてるだけなんじゃないの~」と
思わず口走ると、
「それはどこで聞いた話?」という。
「テレビ。」
「日本のマスコミは偏ってるんだよ」

…さようですか。
まあ、たしかに、あたしは、パレスチナはおろか、イスラームについてもユダヤについても、まったくの無知ですわ。
で、パレスチナ関連書と、それに類するイスラーム関係書を買い集めたってわけ。
ただ、まあ、そのうちね、と思って積読していたのです。

小説をきっかけに、一気にイスラーム革命を経験したイランへ導かれたわけですが、
なんだか、ミャンマーについて読みふけったときと、まったく同じ事態が発生中。
ヤスミナ・カドラやアーザル ナフィーシーが描く抑圧的なイランもイランなら、サトラピが描く聡明でセクシーなおばあちゃんもイランである。
革命や戦争はどの本にも描かれているけれど、とらえ方はそれぞれ微妙に違う。
怒りだったり、共感だったり、あきらめだったり、無視だったり…。
そして、イランという国がどんどん輪郭を失っていくと同時に、
イランの人々がどんどん身近になっていくのを感じる。

でもこれはちょっと、おもしろい感触でもある。
イランからパレスチナにむかって、このまま突き進もうか、思案中。
でもなんか、抜けられない深いもんが待ってそうで怖い。

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January 05, 2008

あばら骨でつくる

創世記3章21節
「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。」

1月1日は、相方が昼に帰宅。
なので、そのままばたばたと支度をして、新幹線に飛び乗って、相方の実家に行きました。
何度行っても、美しい街。
東京のごみごみしたところに押し込めているのが申し訳ないような気がしてくる。
双方のおばあちゃんのごあいさつにいくと、いとこやらおじおばやらがたくさんいて、にぎやかで、核家族で育ったnikkouにはうらやましいようなHotな雰囲気でした。

相方の実家には2日までいて、3日は、nikkouの実家へ。
母から「あんた、ほんとに、“のだめ”に似てるわね~」と言われる。
正月の「のだめ・カンタービレ」再放送を観たらしい。
「そういうお母さんだって、ヨーコ(“のだめ”の母)にそっくりじゃん」というと、「まあね」とあっさり肯定。
nikkouから見ると、母のほうがのだめに似ている気がします。nikkouがのだめに似ているとしたら、絶対に、母DNAです。

4日は、相方は仕事へ。
nikkouは、7日から仕事はじめなので、大掃除の続きを(相変わらず)する。

捨てる雑誌をぱらぱらめくっていると、読者の投稿の中に、
「おばあちゃんから

『孫がかわいいんじゃない、かわいい娘の子供だからかわいい』

と言われる。人間ってそうやってつながっていくのかなあと思った。」
という言葉を見つけて、ここ三日ほどの、双方の家族との交流を思い出した。

創世記第2章では、「女」が造られる過程が描かれる。、
スタディ・バイブルには註がついていて

「女は男のあばら骨から造られ、土では造られなかった。」

とある。それがどういう意味なのか、よくわからないのだけれど、なんとなく気になって、メモする。

お正月にきた年賀状やメールを見ると、
独身時代には気付かなかったのだけれど、nikkouの身近には、けっこう素敵な独身男子がたくさんいるのね。
(別に、不倫願望勃発、という意味じゃありません。ごく客観的に。)
そろいもそろって、独身主義ではなく、いい人と巡り合えたら自然に結婚したい、と言うのだ。
そんな男子がごろごろしてるなんて、もったいね~な~。
思わず、
「彼らのあばら骨でこさえた女性を、主よ、彼らのもとへ連れて行ってください。それは、もう、製造者責任であります。」と祈ったのでした

追記:nifty、いつの間にか、フォントをいろいろいじれるようになっていた。

今年は、目に優しい大きめフォントを使うことにします。

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January 01, 2008

今年もよろしく

創世記1章31節
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。
(新共同訳)

ヨハネによる福音書1章16節
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
(新共同訳)

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新年にふさわしい美しい朝ですね。

昨夜は、相方が宿直だというので、
同僚をさそって、シャローム教会のカウントダウンライブに。
6グループが出演。
紅白歌合戦、讃美編、といったところでしょうか。
ロック系が多く、なるほど、ロック少年がクリスチャンになったら、急に坊ちゃん刈りにしてバッハとメンデルスゾーンを聴き始めるんじゃなくって、そのままロックで主を讃美するんだなあ、と感心する。

nikkou的には、「the Miracles」というおじさんロックバンドが一番気に入ったので、CDを買いました。
40代、50代になっても、ロックとかジャズとかソウルとかのバンドをやってるおじさん、好きです。
でも、なんでバンドというと、"おじさん"なんだろうな。
40代50代の女性バンドってのは、なかなか見ないよね。
これがコーラスになると"ママさん"なのにね。

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日付をまたぐ12時前後には、
nikkouも所属するシャローム・ゴスペルクワイアーとシーラブ・ゴスペルクワイアーで、
「Count it all joy」(すべてを喜びとせよ)
「詩篇103編」
「Jesus is the reason of the season」(クリスマスシーズンはイエスのためにある)
を讃美し、
カウント・ダウンと、「今年もよろしく~」という挨拶のあとに、
「Shake the foundation」(讃美で地を揺るがせよ)
「Joy」(コージさん・めぐさんの名曲)
で、新年を迎えました。
楽しかった。

今朝は、さっそく、スタディ・バイブルで「創世記」と「ヨハネ福音書」を2章ずつ読む。
なんていうか、初詣気分ですな。
明るい気持ちになりました。

大掃除の続きでもしながら、相方が宿直から帰ってくるのを待とうかと思います。

みなさま、今年も、「恵みの上に、さらに恵みを受け」られますように。
今年もよろしくお願いします。

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