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February 07, 2008

イーユン・リー『千年の祈り』

またまた本の話。41esfp46lbl__ss500_ イーユン・リー『千年の祈り』(篠森ゆりこ訳)

表紙からなんとなく韓国の話だと思いこんでいたので、読み始めるなり中国を舞台にした短編集だと気づいたときは、ちょっと面食らった。

でも、とても面白かった。

中国の作品で記憶にあるのは、莫言の『豊乳肥臀』と、彭見明『山の郵便配達』、あとはユン・チアン『ワイルド・スワン』くらいだけど、今回の『千年の祈り』も含めて、いずれも、同じ感覚を起こさせる。

なんていうか、善悪の基準とか、正義とか、人類の進歩とか、

そういうものが、一切、信じられなくなる、という感じ。

四千年の歴史の凄みですかねー。

読みはじめるなり、いちいち途方もないような、馬鹿馬鹿しいような気がして、

最初、なんともいえない嫌悪感が湧くんだけれど、

だんだん、SFを読んでいるようなワクワク感に支配されはじめ、

最後はしみじみと、人間ってわけのわからない存在だなあ、と思わされる。

やはり中国を舞台にした小説に、アメリカ人宣教師の娘パールバックの『大地』があって、これもとても面白いんだけど、イー・ユン・リーや莫言、彭見明に感じる途方もなさみたいなのはなく、どことなくすんなり収まっていた。

中国に少なくとも4代は生きて、王朝、戦争、内戦、文化大革命、毛沢東の失脚、天安門事件…等を“家族”の歴史、「私たち」の歴史として、内側から知っている人たちの物の見方には、世界中、だれもかなわない、という気がする。

51uroeoebl__aa240_ 『千年の祈り』の一篇、「息子」には中国のクリスチャンがちらっと出てくる。…んだけど、キリスト教すら、中国には、どんぶりこっと飲み込まれるような感じがします。というか、互いにがっぷり飲みこみあっているというか。クリスチャンのくせしてnikkou、そこになにか痛快なものを感じました。

訳者あとがきによると作者のイーユン・リーは、この作品を英語で書いたそうな。

中国語で書こうとすると、なぜか自己規制してしまう、という。

そんなひと言にも、「ああ、これは内側の人が書いた物語なんだ」と思った。

(2008.2.7)

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Comments

毛沢東は政治的に失脚したのではなく、その政治生命はその死をもって終りました。私めはその葬儀を、現地で三回もやりました。彼の政治生命が終っていない証拠に、天安門広場の城壁の正面には、いまも堂々と彼の肖像画がかかげられています。
中国のそこぶかさには、こんごとも、きっとわれわれはなやまされるでしょう。

Posted by: 祖父ネット、杉山勝己 | February 10, 2008 at 01:41 PM

>毛沢東は政治的に失脚したのではなく、その政治生命はその死をもって終りました。

なるほど!そう言われてみればそうだ。文化大革命って、現地ではいまもなお、批判しちゃいけないんですよね。でも、政治や経済は変化していて、そこがまた、奇妙といえば奇妙ですよねえ。
(葬儀に三回出た、という祖父上も面白い。)

おそるべし、中国。まさにそこぶかい。

Posted by: nikkou | February 10, 2008 at 09:20 PM

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