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May 15, 2008

勝浦さんのお話(無教会全国集会報告2)

Dscn0793_3 全国集会で、勝浦さんという男性がお話をされた。(写真)

勝浦さんのことは、nikkouもずーっと昔、このブログに書いたことがある。
徳島聖書キリスト集会の代表で、無教会の伝道者さんである吉村さんから聞いたのであった。

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2006年7月23日

吉村さんはノートパソコンをスピーカーにつないで伴奏も自由自在。
そのノートパソコンには、「讃美歌」「聖歌」「リビングプレイズ」「こども讃美歌」などから数百曲の讃美がプログラムされているとのこと。
しかもそれは、重度の障害をもっている方が、口ひとつで8年の歳月をかけて入力したそうです。
「だから、わたしは、どんな曲でも自在に弾けるピアニストをつれて歩いているようなものです」とにっこり。

このプログラムをされた方は、男性で、
医師の誤診のため、処置が手遅れになって、首から下は動かないという障害を負われたそうです。
障害を負った当初から7年間は、激しい怒りとうらみに燃え、ヘルパーさんもなかなか居つかないという恐ろしさだったとのこと。
しかし、病院で同室だった方、病院スタッフの方にクリスチャンがいて、
彼らに導かれて、主と出会い、怒りから解放され、
讃美をパソコンに入力する、という働きを与えられるに至ったということです。

それも、とても見事なプログラミングで、
伴奏のハーモニーもかっこよければ、音もきれい。

いやはや、不思議なものだわーというお話でした。

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この「讃美のプログラムをされた男性」というのが、勝浦さん。
今回参加した全国の無教会クリスチャンの人たちには、「私たちの礼拝では、勝浦さんのカラオケ・データを使ってます」という人が何人かいらっしゃいました(著作権の問題上、個人の礼拝のみ使用可です。)

勝浦さんが障害を負うに到った話を聞くたびに、研修医をしているnikkouの夫は、ちょっとおびえる。
医学の進歩は、逆に、「医学でできないことはない」というある種の「信仰」を生み、昔は治らなかった病気でも、今は「治るはずなのに、医者のせいで治らなかった」と厳しい目を向けられるようになってしまった。
もちろん、「誤診」を受けた方の怒り、哀しみは、言葉に表わせないほどつらいものとは思う。そして、最新の医学を謙虚に勉強しつづけるのが医者の仕事だろう、といわれればそうなのかもしれない。でも、医者は万能な「神サマ」じゃない。どんなに勉強してたって、「誤診」がまったくない世界というのは難しいかもしれない。そのストレスの中に生きる現代のお医者さんたちはとてもたいへんだと思う。

勝浦さんの経歴を紹介した全国集会のパンフレットにも「医者の誤診により」と書いてあって、
「ああ、そこははずせないんだなあ、まだ怒ってるんだなあ」とnikkou、ひそかに思った。
ところが。
勝浦さんは、お話のなかで、とうとう一回も、「誤診をゆるせません」と言わなかった。
「ゆるします」ともいわなかった。
そこから、全然、解き放たれちゃっていたのだ。

勝浦さんは言う。
「自分は、障害を負うまで、とても自分中心だった。
この罪に気づくためには、この程度の障害ではすまされないくらいだ。
生まれつきの盲人に、主イエスが言った言葉、
『この人が目が見えないのは、この人が罪を犯したのでも、両親が犯したのでもない。
神の栄光が現れるためだ』というのは、わたしのための言葉だ。」

念のためにいうが、キリスト教では、因果応報論をとらない。
悪いことをしたから罰が下る、というのではなく、
なにごとも、神とのコミュニケーションのためにある、という。
nikkouの経験からいうと、因果応報という考え方は、とっても楽だ。
「わたしが悪かったのよ」と思えば、すべては完結してしまう。
でも、人間の心はそんなに簡単じゃない。
「わたしは何も悪いことをしていないのに、どうして!?」と考えるのが、自然だと思う。
その自然な感情に、神は答えてくれる。
どんなに時間がかかっても、その意味を絶対に教えてくれる。
勝浦さんは、そう証言する。

讃美の入力をはじめたとき、勝浦さんは、「この仕事が終わったとき、私の役目は終わる」と考えたそうです。
「でも、この世界に、讃美の歌は、本当に多かった。」
勝浦さんがすでに入力した讃美は全8080曲。「讃美歌」「聖歌」はもちろん 「リビングプレイズ」「プレイズ&ワーシップ」「ゴスペル・ミュージック・ベスト・ヒット集」「こどもさんびか」「ノア」などなど全33歌集。
「神は、まだまだ、このわたしに『生きよ』と言っているようです。」
と勝浦さんは、言った。

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Comments

数年前に勝浦さんとメール交換したとき、ベトザタの池で38年間病気で苦しんでいる人についての質問をぶつけてみた。
そのときの答えが「思い悩むな」「思い煩うな」。
今回の証の中では
「神を知ろうとしなかった罪」をあげられた。
クリスチャンになって、イエスの十字架を思い浮かべること、神に委ねるという特権が与えられたとお話されていた。
「私は信仰の友の祈りを必要としている。静かな信仰の祈りを」
勝浦さんは強い薬を使われていて今も苦しんでいらっしゃる。
私も薬をほぼ20年飲み続けている話をすると、
「お互い薬はなかなかやめられないね。」
と気遣ってくださった。
その時の優しく、澄んだ瞳が私の心に焼き付いています。

Posted by: Graham | May 15, 2008 at 09:43 AM

書き忘れてしまったことが一つあります。
勝浦さんの心境を表す歌として
新聖歌442番「病の床にも」
をあげられていました。
皆さん、読んでみてください。

Posted by: Graham | May 15, 2008 at 09:57 AM

Graham兄、補足感謝です。

>ベトザタの池で38年間病気で苦しんでいる人についての質問

というのは、
「38年間も苦しまなきゃいけなかった、ということを、勝浦さんはどう思いますか?」ということを聞いたんですか?
ふむ、そういわれてみれば、なかなかリアルな年数ですね…。

Posted by: nikkou | May 15, 2008 at 12:41 PM

nikkouさんの相方なら覚えていると思うけど
私は数年前に半月板切除の手術を受けるため12日間入院したことがあります。
たかだか12日間で起きた心の中の葛藤、妬み、苦しみといったことを書いてみたのです。
長期入院生活で、心の苦しみをどのように解消されているのでししょうか?どうしたから心の平安を保っていることができるのでしょうか?
今思うと失礼だったかなと反省しております。
でも勝浦さんは丁寧な返事をくださいました。
感謝です。

Posted by: Graham | May 16, 2008 at 01:56 PM

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